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人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」

人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」

2021年10月21日【大阪日日新聞】

重度の知的障害を持つ弟とどう向き合うのか?重いテーマながら爽やかな映画に出会った。第40回「地方の時代」映像祭優秀賞受賞作「僕とオトウト」(制作・元町プロダクション、配給宣伝・「僕とオトウト」上映委員会)。京都大学の大学院生である髙木佑透(ゆうと)さん(25)が、弟の壮真君と自分の今後を考える為(ため)、家族を撮影し、監督したドキュメンタリーである。

髙木監督は2016年の相模原障害者施設殺傷事件以来、障害について考え続け、今は発達心理学と障害学を専攻し“障害者のリアルに迫る京大ゼミ”も運営している。

「障害って何やろう?両親がいなくなれば、僕が弟と同居するべきなんやろか?と悩み、自分の心や弟の状況を見つめようと、初めて映画を作りました」

何をどう撮るのか?迷い続けて「気合と覚悟で完成させた」と言う「僕とオトウト」。壮真君を巡る髙木ファミリーの生活が飾り気なく映し出される。農園での就労面接に行く。収穫の合間につまみ食いしてしまう弟。見守る兄の髙木監督が謝る。しかし弟は、売り物にならない傷ついた果実のみを食べていた事も判明する。路上で、多動の壮真君の保護に懸命な母に、ほんの小さな桜のつぼみを見つけた壮真君が教えたこともある。

日常は波乱に富む。以前、壮真君の行動により自宅が火事になり、自宅ドアに全て鍵を付けた。本作撮影中に再び騒動が起こる。半端ない緊張感。観客の私もハラハラする。

映像作品は編集により変化するが、ドキュメンタリーは特に編集の影響が大きい。髙木監督はパソコンで編集し、映像に磨きをかけた。監督と父の対話バトルシーンがある。“これまで何も話してくれなかった”と激しく迫る監督。しかし父の反応を映像は見せない。父の顔の代わりに、実家のある高松と神戸を結ぶフェリー上で撮った瀬戸内海のさざ波や、美しい夕景のカットへと繋(つな)ぎ、父子の葛藤について観客の想像力をかきたてる。

監督は長年、写真に力を入れ、音楽CDのジャケット写真を依頼され撮ったこともある。ドキュメンタリーにも意欲を燃やし、本作の池谷薫プロデューサー(「延安の娘」「蟻(あり)の兵隊」などのドキュメンタリーの監督)が開講した池谷薫ドキュメンタリー塾にも通い、研鑽(けんさん)を積んだ。本作で監督は池谷さんに綿密で厳しい指導を受けた。

自分と母が撮影した家族の映像を繰り返し見て、「多くの発見があった」と監督は言う。「弟に接する時、僕はいつも笑顔なんです。弟が何かしでかしても笑顔。険しい雰囲気を回避はできますが、根本的な解決にはならない。笑顔で全てに蓋(ふた)をして来たことに気付きました」。障害があっても全て受け身ではない。壮真君も撮られっ放しではなく、ガツンと意思表示するラストシーンが、本作の華である。

人と人の距離が神経質に問われる今、本作を観(み)ながら私は“誰とどんな距離で生きて行く?”と自問した。コロナ、介護、老後-。この映画は他人事(ひとごと)ではない。私やあなたの映画でもある。

上映は22日から京都みなみ会館、30日から元町映画館(神戸)、11月6日からシネ・ヌーヴォ(大阪)。オンラインでのトークイベントも開催予定。

問い合わせは、bokutootouto@gmail.comまでメールで。

(パーソナリティー西川敦子)
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笑顔で蓋をすること、とても重い言葉です。世間一般の障害者や弱者への考え方と、家族のスタンスは違って当たり前です。自分で選んだわけではない家族の絆で結ばれていた時、逃げ出しようのない運命とどう向き合うのか、高齢者のいる家族や障害のある「きょうだい」の問題は古くて新しい課題です。昨日掲載した強度行動障害のある息子のいる家族の話も深刻ではあるけど質的には同じです。

前回紹介した、ドラマ『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』の第2話の内容も視覚障害の妹と晴眼者の姉の葛藤でした。妹を思いやる姉の立場と、自立したい妹の立場が交互に描かれていました。妹がお気に入りのブティックで、店員にサポートをお願いして気に入ったドレスを買う姿を、姉がそれをそっと店の外から見ていて、姉妹だけで支えるのではなく社会も支えてくれるという姉妹の気づきを描いていました。

京都みなみ会館は、昔は床が傾いていてとても座りにくい座席だったのですが、2年前に道路を隔てた前に移転リニューアルされて素敵な映画館になったと聞きます。機会があれば行きたかったので、ぜひこの映画で「封切」したいと思います。10/22~10/28は上映後、連日監督の舞台挨拶があるようです。