みんなちがってみんないい
校則なくした中学校
「校則なし」で区立中はどう変わったか校則は誰のためにあるのか
2020/12/25 16:00【共同通信】
「校則なし」を実現した公立中学校がある。東京都世田谷区の区立桜丘中だ。服装や髪形は自由で、遅刻しても、教諭に大声で怒鳴られることはない。定期テストやチャイムもない。全国各地の学校ではいまだ、下着の色指定やツーブロック禁止など理不尽な校則がまかり通る中、桜丘中はどのように校則をなくしていったのか。前校長の西郷孝彦さん(66)に聞いた。
校則はいったい誰のため?
3回にわたって考える3回目です。(共同通信=小川美沙)
―校則をなくしたきっかけは。
赴任した2010年当時、桜丘中は荒れていた。服装や髪形に関する決まりがあり、教諭が声を荒らげて生徒を指導することもあったが、子どもたちを上から押さえつけたってうまくはいかないと感じていた。
学校にはさまざまな子どもがいる。「普通の子」なんて存在しない。こだわりが強い、朝起きられない、制服が着られない、学習障害や発達障害がある…。こうした個性や特性を考えずに、「靴下は白」「中学生らしい髪形」など合理的な理由がない校則を当てはめると、それがストレスになり、不登校になる。
生徒全員に「学校は楽しい」と感じてもらえるにはどうすべきかを考えると、合理的な理由のある校則は一つもなかった。それに、校則で「みんな同じ」を押しつけると、枠からこぼれ落ちた子がいじめの対象になる。
ある男子生徒は、学習障害があるためにタブレットの持ち込みを必要としていたが、別の中学では「一人だけ特例は認められない」と断られたそうだ。桜丘中で受け入れ、これを機に「全員持ち込みOK」にした。その生徒だけでなく、誰にとっても過ごしやすい環境を目指したからだ。
―学校は集団生活を送る場で、ルールは必要だとされているが。
校則ありき、ではない。生徒が自ら考え、判断する力を伸ばすにはどうするか、だ。どんな髪形や服装をするかは自分で決める。帽子をかぶって来る子もいれば、メイクをする子もいた。チャイムがないから、自ら時間を管理する。授業中に居眠りしても、注意することはない。短時間の居眠りで頭はスッキリする。教諭は授業に集中してもらえるよう工夫するようになり、居眠りも減った。
校則をなくしたもう一つの理由に、生徒に「非認知的能力」を身に付けてほしいという願いがあった。社会で活躍するためのコミュニケーション能力や柔軟な発想力など、紙の試験では測れないスキルを指す。そのために生徒に対し6つのことを実践した。①言うことを否定しない②話を聞く③共感する④触れ合いを積極的に行う⑤能力ではなく努力を褒める⑥行動を強制しない―いずれも厳しい校則とは相いれないことだった。
―生徒はどう変わったか。
「管理」されることに慣れた子は最初は戸惑うが、自由に思ったことを言わせた。「授業がつまらない」でも「こんなの将来役に立たない」でも、とがめない。その結果、教諭との信頼関係を作りやすくなったと思う。年に数回「ゆうゆうタイム」といって、生徒と教諭が一対一で自由に話せる時間を作ったが、生徒の表情が豊かになったと感じる。こうして子ども本来の、自分自身に戻していく。自分から進んで勉強しようとする生徒が多くなり、学力も身についた。朝8時から、廊下に設けられたハンモックや椅子に座って、それぞれ勉強していた。
友達に対する考え方も変わったようだ。入学当初は他人の言動を気にしてばかりで、教師に「あの子はルール違反では?」と告げ口しに来た生徒もいた。しかし、桜丘中ではそれが意味の無いことだと気づくと、「私は私、あの人はあの人」だと自分も、相手も尊重できるようになっていく。2、3年生ではいじめは全く無い。
―全国の中学、高校には、理不尽な校則がたくさんある。
中高生が不安定な思春期にあることを忘れてはいけない。合理的な理由がないルールで縛ると最初は反発する。「内申書に響く」などと言われると、生徒は意見を述べるどころか、考えることさえ諦めてしまう。ストレスがたまると、勉強にも集中できないだろう。
学校は厳しい校則を運用する一方、社会で法に触れることが「治外法権」になり、曖昧に対処されがちだ。これでは生徒を混乱させる。体罰は暴行、傷害罪で、学校の内も外も同じ法律を適用すべきだ。桜丘中でも生徒が窓ガラスを割ったら、故意であれ過失であれ必ず弁償してもらった。校則はなくても、社会のルールである法律を守らなければならないという厳しさは、生徒も実感していた。
日本は1994年に「子どもの権利条約」を批准した。12条に意見表明権を定めており、生徒がルールや学校のことについて自由に意見を述べる機会は保障されなければならないはずだ。数年前、桜丘中でも生徒手帳に一部を抜粋して載せた。子どもたちに、君たちの権利は認められ、大切にされているんだということを伝え、安心してほしかったからだ。信頼とは、そうやってつくられていくと思う。
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さいごう・たかひこ1954年生まれ。今年3月まで東京都世田谷区立桜丘中校長。著書に「校則なくした中学校たったひとつの校長ルール」
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「学校は校則を運用する一方、社会で法に触れることを曖昧に対処する。これでは生徒を混乱させる。」と言う考え方は理にかなっていると思います。学校は公共の場、社会そのものだという方が生徒は理解しやすいです。同じように、教員も学校を公共の場としてわきまえれば、生徒へのパワハラもセクハラもモラハラも犯罪として認知され、無法者は許されない土壌が作れるはずです。まだ、子どもだから、善悪が分からないから、という触法のラインが一体どこにあるのかわからないようなシステムこそ改めるべきだと思うのです。大人がしゃんとすれば子どもはまねるものです。