みんなちがってみんないい
木土大接近
観覧車が特等席?木星・土星が397年ぶり「超大接近」
2020年12月21日 20時27分【毎日新聞】
397年ぶりの「超大接近」と話題になっている木星と土星が、21日の日没後、南西の空で最も近づいた状態で観測された。両惑星の離角は約0・1度で、月の直径のおよそ4分の1程度しかない。
相模原市緑区では、ライトアップされた「さがみ湖リゾートプレジャーフォレスト」の観覧車の上に、木星と土星が接近して輝く様子が見られた。双眼鏡で眺めると、同じ視野の中で接近した両惑星の他に、木星の周囲を回るガリレオ衛星もはっきりと確認できた。
木星は現在マイナス2等、土星は0・6等の明るさ。両惑星とも日没から1時間ほど後の南西の低空で、すぐに見つけられるほど目立つ明るさで輝いている。
約12年で太陽を一周する木星と、約29・5年で一周する土星は、地球からの見かけ上、約20年ごとに接近して見える。国立天文台によると、これほど近づくのは1623年7月以来で、次回は60年後だという。両惑星の見かけ上の「最接近」は22日午前3時ごろだが、日本ではその時間には両惑星は地平線下のため、21日夕が最も近づいて見られた。惑星の動きは遅く、22日夕にも、同じように大接近した様子が見られる。
全国の天文台や天文関係者などが、両惑星がどのように見えたかを報告する観測プロジェクト「惑星で星空視力大実験!!!」を実施している。詳細はウェブサイト(https://www.nayoro-star.jp/mokuseidosei/jp/)。【手塚耕一郎】
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家康・秀忠の遺志を継ぎ、武家諸法度・参勤交代の制などを整え、幕政の基礎を築き、キリシタンを弾圧して鎖国体制を強化した徳川家光[1604~1651]江戸幕府第3代将軍も同じ現象を見たでしょうか。世界ではフランスでルイ13世が即位し(~1643)ロシアではロマノフ朝が成立している時期です。そして、1633年「天文学の父」ガリレオ=ガリレイは宗教裁判にかけられ、「それでも地球は動いている」と有名な言葉を残しました。実はこの木星はガリレオをガリレオたらしめた惑星なのです。
1564年、ガリレオ・ガリレイは現在の北イタリアに位置するフィレンツェ公国ピサに生まれます。日本では翌年に足利義昭が上杉謙信に援助を依頼しています。NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」で今週放映している織田信長の時代です。
1581年、17歳のときにピサ大学に入学し、ユークリッドやアルキメデスを学び、1586年に最初の科学論文を発表します。ガリレオは25歳で大学教授の地位を得て、1610年まで数学、幾何学、天文学を教えます。そして、木星の衛星ガリレオ衛星を自分で作った天体望遠鏡で発見し論文を発表します。木星の衛星の発見は当時の天動説には不利なもので、彼は世界的な名声を博したのです。
その後、ガリレオは金星が大きさを変えることを発見します。古代ギリシアのアリストテレスらの天動説に従うならば、地球から金星の距離は一定のため、大きさは変化しないはずだと主張します。ガリレオが地動説について言及し始めると、異端であると訴えられます。1616年、52歳のガリレオは宗教裁判にかけられ、地動説を唱えないよう注意を受けます。しかし、1630年に地動説の解説書「天文対話」を執筆します。これにより1633年の2回目の宗教裁判で終身刑を言い渡され、軟禁状態での生活を送ることになります。
ガリレオは経済的に苦境に立たされ病気がちになり、看病してくれていた長女も病気で失い、その後ガリレオは失明します。ガリレオは困難な状況にも屈することなく、口述筆記で研究の成果を残しました。1642年1月8日、彼は77年の生涯を閉じました。天文対話を書く7年前、1623年の木星土星の大接近をガリレオは見ています。
ガリレオが敬虔なカトリック教徒であり、キリスト教が強大な力を持っていた時代に、教会と信者の同調圧力に屈せず、何故地動説を唱え続けたかについては、発達障害説を説く人が多いです。発達障害では通常の生活において困難も多いのですが、1つの事柄に執着する能力が高く、先進の人々に受け入れられその能力が開花すれば、世界を変えるところまで行きつくのだと思います。