2020年6月の記事一覧
高学年ゲーム教材の工夫
放デイは日常生活や遊び活動で社会性の伸長を図っていきます。ただ、放デイに来ている子どもは低学年から高学年まで6年という年齢の開き、重度知的発達症(知的障害)から知的には遅れがないけどASD等の発達障害を持つ子や知的発達症も併せ持つ子など様々な特性を持つ子どもが通所しています。毎日、ある程度グループ分けはしていますが、どうしても低学年や知的発達症の子どもに合わせた内容になりやすいので、高学年や遅れのない子どもにとっては物足りなさがあります。
昨日も高学年のC君がボーリングゲームから逃げ出してきました。「D君が邪魔するからもうゲームやりたくない」と言いますが、高学年の彼にしてみれば幼稚なゲームから逃げる理由を探していた節があります。以前も単なる的当て(ストラックアウト)ゲームではなく、ポケットモンスターをみんなで仕上げるゲームしたら取り組み方が変わったことがあったことから、工夫が足りないんじゃないかということになりました。
そこでスタッフで話し合いました。「やることは繰り返しの幼稚なものでも、D君が好きな戦国武将倒しゲームならボーリングを楽しめないだろうか」「お城好きなので、ただの磁石魚釣りではなく、騎馬隊を釣ったり足軽を釣ったりする城攻めの釣り合戦ではどうだろうか」「時代物はD君は嫌いだけどスターウォーズシリーズでキャラ釣りすればどうだろうか」などアイデアが出されました。同じゲームでも高学年の子どもたちの興味関心をつかんでゲームを提供していけば、必ず気に入ってもらえるあそび教材が開発できると思います。ヒットしたものができたらここでまた掲載しようとおもいます。
具体的な目標
放課後等デイサービスでは、半年に1回個別支援計画を書き直します。1万4千の事業所が23万人弱の子どもたちに書いて保護者に説明していることになります。もちろん、放デイだけで考えるのではなくて、相談事業所が家庭や地域での目標も含めて当事者からの聞き取りやアセスメントを経たサービス利用計画として大枠の目標を設定し、それに沿う形で放デイの目標が決まります。
気になるのは、どの計画をみても誰にでも当てはまりそうな目標が並んでいることが少なくない事です。支援計画とは、文字通り支援の計画ですから、何をどのように支援すれば子どもが自立的に活動できるのか、みんなと活動に参加できるのかが記述されている必要があります。
勿論、生活経験を重ねる中で自然に子どもたちが気づいて力をつけていくことが望ましいのですが、子どもを取り巻く環境は必ずしも子どもが自分で学べる環境ばかりではありません。その環境の調整も含めてスタッフは子どもの支援を考えていく必要があります。そして、放デイの取り組みだけで子どもが成長していけるものでもありません。家庭や学校、他の事業所も利用している子どもはそれもふくめて考える必要があります。
となってくると、あまり大上段に振りかぶった大きな目標よりは、1回2時間ほどで週2~3回の放デイでできることを目標にしなければなりません。具体的に書くことは今まさに必要なリアルな支援が展開されている証拠でもあるのです。
計画的無視の誤解
応用行動分析で使う「計画的無視」について誤解されていそうなやりとりを目にすることがあります。というのも、なんとなく「無視だけで問題行動が収まる」かのように誤解されている方が多いのです。A君がイライラしてものを投げているのに無視。Bちゃんがスケジュールカードの意味が分からなくて床に落しているのに無視、などです。その結果、「無視は効かない」「あの子には合わない」と結論づけたとしたら、それは計画的無視を誤解していることが原因です。
「計画的無視」は、名前が有名な割に単独で主力になる場面はそんなに多くありません。少なくとも、無視だけで効果を出そうとすることはあまりないです。なぜなら、無視のみでは重要な視点が抜けている上にリスクもあるからです。計画的無視というのは基本的に「それはダメだよ」ということを伝える側面が強いです。しかしそれだけでは「じゃぁ何はOKなのか」が伝わりません。そのため、「こうすると良いよ」の部分をきちんと伝える視点が大事です。子どもが低年齢だったり自閉傾向が強かったりすればするほど非常に重要な視点です。
応用行動分析でいう「何がOKかを示して促す」というのが、歌で言えば『こっちの水は甘いぞ』と比喩できます。そして、『あっちの水は苦いぞ』に当たるのが応用行動分析で言う「計画的無視」なのです。この二つの対応のコントラストが効けば効くほど、無視されるような行動よりは、褒められたり要求が通る行動に移っていくことを狙っているのです。要するにやる事(お得な事)がわかってないのに無視しても意味がないのです。
例えば、事業所の集まりの時間などで、「がおー!!」などの奇声をあげて注目が得られている状況では、「不適切場面での奇声は相手にしない」のような方針が出てきます。そうして何をどうやって無視するかといったことが議論されます。勿論これでも「無事にやりきれれば」効果は出るでしょう。条件次第で万事解決も十分あり得ます。しかし、極端な話、これでうまくいってもそれは「たまたま」や「子ども頼み」に近いと言わざるを得ません。
計画的無視のみで対処することには以下のような最低3つのリスクがあります。
①最終的には収まるが、無視を始めて一旦奇声が悪化する際の程度が激しい(→踏ん張れないとエスカレートの危険)
②奇声はなくなるが他の問題行動が出る
③本人にはきつそうで自傷や通所しぶりなどがみられる
等です。
そこで、そうしたリスクを下げつつ更に成功率を上げるため、先程の「何ならOKかを示す」という視点から一工夫加えます。「奇声は相手にしないけど、その時の話題に関係のある話だったら少し譲歩してでも話を拾う」この後半部分が、「じゃぁどうしたらOKなのか」の視点による対応です。むしろ、実際はそちらがメインで、【無視はあくまでサブ・補助】と考えた方が良いです。
大きなポイントは以下の3つです。
ポイント①:「これならOK」とした行動は本当に今の本人にできそうなものか
ポイント②:特別扱い過ぎないか。自然に認められる範囲を逸脱しすぎていないか
ポイント③:その行動をして本人にとってのいいことはあるか⇔ただ大人側に都合の良い行動をさせようとしていないか
もし、相談機関など専門家に【問題行動を無視することばかり強調された場合】にはぜひ「代替行動(だいたいこうどう)についてはどうしたら良いですか?」と聞いてみましょう。「代替行動」というのが先程の「何ならOKか」の部分にあたるものです。おそらくこれを聞けば、今回の話にあたる内容を説明してくれると思います。逆に言えばこれを検討もしていない専門家だとすると、それはちょっと心配な方です。
私たち抜きに私たちのことを決めないで
以前、お買い物でリマインダーの重要性について掲載しました。コンビニでお買い物03/19 自分で選ぶこと決めることの重要性03/25 コンビニ作戦04/06 結構このシリーズはたくさん掲載しています。
さて、ℤさんは今回はもうスパゲッティー弁当って言うに決まっているから、スタッフがお決まりのスパゲッティー弁当のリマインダーを持たせて買い物に行きました。そうすると、突然以前の「コンビニ→飲み物」モードが蘇って、お茶を買わないと帰れなくなりました。
突然の行動で考えられることは二つです。Zさんが、お弁当買うならお茶も買おうとたまたま思いついたか、もう一つは、いつものスパゲティーだからと選択の機会を奪われて納得がいかなかった上の行動かの、どちらかです。しかし、今となっては証拠がないので何とも言えません。
従って、以下のスタッフの思いは全くの憶測ですから、正しいかどうかはわかりません。Zさんのたまたま思いついた行動かもしれないというのも否定できません。しかし、あえて、Zさん達の支援をするときに心にとめておきたいことだから書いておきます。
リマインダーは記憶を助けますが、それは自分で選んだものを記憶して購入できたからこそ自立心や自尊感情が育つのです。言われるがままに自分が食する弁当を買っても、それが結果的には自分の欲しい同じものであっても、選ぶと言うプロセスが抜けているのです。「私たち抜きに私たちのことを決めないで」というのは障害者権利条約の肝ですが、これは日々の彼女らの自尊感情の育ちにも大きく影響していることだと考えています。
ご褒美制とトークン
Z君は省エネタイプで、気持ちが乗らないと車からも「降りません」といって時間がかかったり、山歩きでも「行きません」と座り込んだままだったり、事業所で作業課題があっても「やりません」と言ってソファーで寝てしまったりすることがありました。
Z君は本当にやる気がないからやらないのか、やることが十分わからないからやろうとしないのか、自分にとって価値がないからやらないのかよくわからないなぁという話になりました。でも、やる気などと言う抽象的なものは調べることができないので原因としては除外しました。何をして終わったらどうなるのかスケジュールでは示しているけどよく理解していないのではないかという議論になりました。事業所に来た時に、スケジュールの説明をするときに「~が終わったら~だよ」それでも「~しない」と言ったときは、「じゃぁご褒美にこれ食べますか」「食べます」というふうに契約を成立させて取り組んでもらう事にしました。今後は、一回一回ではなく、何回か目標が達成出来たらお気に入りのものを話し合ってボーナスを出すというトークンエコノミー法を取り入れていけるようになったらいいねと言う話をしています。