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山口、世界新で金メダル 涙の母「人生最高の日」

東京パラ競泳男子100平
山口、世界新で金メダル 涙の母「人生最高の日」

2021年8月30日【愛媛新聞】

「すごい、やった」―。29日の東京パラリンピック男子100メートル平泳ぎ(知的障害)決勝。今治市の山口尚秀(20)が世界新で金メダルを決めた瞬間、同市南大門町2丁目の四国ガス本社で社員ら約30人と中継を見守っていた母由美さん(52)は、手に持つバルーンをちぎれんばかりに振った。そばには、山口を水泳好きにさせてくれた祖父母の写真。お祭り騒ぎの中「人生最高の日」と流れる涙を抑えられなかった。

由美さんによると、山口選手は3歳で知的障害を伴う自閉症と診断され、祖父母と温水プールに歩行浴に行くうちに水泳が大好きになった。トップ選手と泳ぐようになり「障害があっても勇気や希望を人々に届けられる」と実感。四国ガスでガスメーターの管理業務に携わる傍ら、週5日の練習に励んできた。

決勝は圧巻だった。最後までリードを守り、5月に出した世界記録1分4秒00を0秒23縮めてゴール。目に涙をため祈っていた父峰松さん(55)は相好を崩し「うれしいの一言。苦しい練習にめげず、よく頑張った」。姉智子さん(24)は「弟が必死で頑張る姿を見て励まされた。姉でいられて本当に幸せ」と赤くした目で話した。

四国ガスの片山泰志社長も「大変な誇り」。上司の片上幹雄今治支店長も「真面目で丁寧な仕事ぶりの一方、泳ぎはダイナミックで別人のよう」とたたえた。

「尚秀は予定通りにいかないとパニックになる傾向がある。大会延期や練習中止に加え、大きな期待はかなりの重圧だったはず」と由美さん。山口は笑顔を2年間見せなかったという。10日に無言で握手して送り出した息子の快挙に「まっすぐ突き進んで勝った。人生を明るく楽しく送ろうと教えてくれた」と感激する。

「尚秀」は、生まれた2000年のシドニー五輪女子マラソン金メダリスト高橋尚子さんと、プロ野球の松井秀喜さんから名付けたと明かし「ふかふかの布団と好物の焼き肉を用意して待つ」と一日も早い帰郷を待望。「周囲に感謝し、人間としても成長し続けてほしい」と願った。

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パラリンピックの表彰式の映像はオリンピック以上に泣けてしまいます。というか、パラの場合ずっと泣いています。ボッチャの杉村英孝選手や水泳の鈴木孝幸選手の金メダル、車いすラグビーの銅メダル。表彰式だけでなく、水泳の東海林大選手が泳いでいる姿だけで泣けてしまい、テレビの前のティッシュペーパーが足りません。

泣けてしまう背景は、障害を乗り越えた人生、さらにアスリートとして世界の壁を乗り越えていく姿に感動することもあるのですが、やはり家族の苦労を思うから泣けるのだと思います。山口選手も東海林選手も知的障害のある自閉症です。二人とも20代ですから、20年前の日本の自閉症支援はというと、絵カードなんて社会には用意されてないから学校で教えても意味がないと言われた事を思い出します。自閉症児がわがままなのは親のせいだと平気で言う人がまだこの業界にいたころです。

家族は心無い人たちの言葉や後ろ指にどれだけ傷ついたか知れません。感動するのは山口選手を水泳好きにさせてくれたのは祖父母だと言う話です。平成の時代でも、祖父母が自分の家系には障害者はいないと、支援学級や支援学校に行くことに反対されているという母親の話をたくさん聞いてきました。

山口選手の祖父母は、水が好きならと孫と歩行浴に通い水に親しませてくれたのです。祖父母が子育てに協力してくれることでどれだけ家族は心強かったことかと思います。山口選手が水泳競技に取り組んだのは高校からですが、この祖父母のサポートがなければ今の彼はいないと思います。パラリンピックで家族の話を聞いていると、我が国の障害者の理解の歩みと、それを推し進めてきた人々の熱い思いを感じます。このコメントを書いているだけで、胸が熱くなって、また泣いてしまいそうなのでこの辺にしておきます。

9月1日、4300人超が「休み」 3割は「感染が不安」

2学期初日の9月1日、4300人超が「休み」 3割は「感染が不安」を理由に新型コロナ・鹿児島

2021/09/04 【南日本新聞】

新型コロナウイルスの子どもへの感染が拡大する中、鹿児島県内の多くの学校で2学期の始業式があった1日に少なくとも4300人以上の児童生徒が学校を休んだことが3日、南日本新聞の調べで分かった。「まん延防止等重点措置」が適用されている鹿児島市の市立校の児童生徒は前年比の約2倍に当たる2266人が休んだ。そのうち約3割の671人が「感染への不安」を理由に挙げた。

臨時休校中の薩摩川内市を除く42市町村教委に調査。回答した35市町村の市町村立の学校で、少なくとも4345人が休んでいた。県教委は「県立校のデータは未集計」と答えた。

鹿児島市教委によると1日、小学校で1256人(前年比906人増)、中学校で962人(前年比254人増)、高校で48人(前年比9人増)が休んだ。全児童生徒の4.4%に上った。「感染への不安」から休んだのは1.3%で、小学生が567人で大半を占めた。

そのほか鹿屋市で休んだ児童生徒は496人、霧島市302人(出席停止を除く)など。昨年9月1日と比べて2倍以上になったのは12自治体で、9倍になった自治体もあった。

児童生徒が学校を休む場合、「欠席」と「出席停止」の区分がある。鹿児島市などの多くの学校が(1)ワクチンの副反応がある(2)風邪症状がある-といった場合は「出席停止」で、「感染への不安」を理由とする場合も「欠席」とせず「出席停止」としている。

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以前にも鹿児島の感染がらみの記事を掲載しました(感染情報、身内にも秘密に 鹿児島市教委が口止め: 01/29)。なるほど、情報を公開したら混乱するという前回の鹿児島市教委の思惑は当たっていたとも言えます。まさに大混乱です。昨日の時点での陽性率は、全国平均で1.2%、トップの東京で2.5%、鹿児島は0.5%です。東京の5分の1、全国の半分未満で、鹿児島市の子どもは陽性になって学校を休む推定値の2~4倍以上(子どもの陽性率は低い)の子が、感染恐怖から休んでいることになります。

感染報道は都市部のものが地方局にダイレクトに流されることと、実際には感染者の実態を目にしたことがないので余計に恐怖感を抱いてしまうと言う理由から、学校は感染するところ通学路はウィルスが飛び交っていると子どもがイメージしても不思議ではありません。都市部であれば実際に身の回りに感染した子の様子がリアルに伝わってくるので、普通はそれほど恐れるものではないことが分かるのです。

メディアから流されてくる感染者の情報は重症化したかその一歩前まで進行した人の体験談ばかりですから、怖がるのは無理もないのです。テレビは子どもも見るのですから、もう少し実態に合わせた報道はできないものかと思います。とはいっても、テレビは見てもらってなんぼですから、テレビは怖さを煽るお化け屋敷みたいなもんだと子どもに言って聞かせるべきかもしれません。そして、正しい情報を大人が学んでおく事が一番大事です。小児科学会資料.pdf

辞退者が続出した学校連携観戦現場は苦悶

辞退者が続出した学校連携観戦現場は苦悶「イメージで批判」の声も

2021年9月5日 【朝日新聞】

5日に閉幕する東京パラリンピック。新型コロナの感染急拡大で、一般客の観戦は断念したのに実施に踏み切った学校連携観戦プログラムには「矛盾している」「感染のリスクがある」「テレビ観戦でも学べる」などと批判が集中した。

対象は競技会場がある1都3県の小中学生ら。国や都などは開幕約1週間前の8月16日に希望者の受け入れを決めた。

都では、都教育委員会臨時会で教育委員5人中4人が反対を表明。江東区や港区なども中止に転じ、参加を決めた自治体でも辞退者が続出した。開幕日の24日時点の観戦予定者数は約2万4千人だったが、組織委によると、5日までの入場者数は約1万2千人にとどまった。

参加を決めた区市の学校も、希望者の把握や事前のPCR検査など対応に追われた。

千葉県では7市町207校の約2万6千人が観戦を予定していたが、8月29日に観戦を引率した教員2人の感染が明らかになったことで、熊谷俊人知事は「保護者の不安を払拭(ふっしょく)する(事前のPCR検査などの)施策の実施が困難」などとして途中で中止を決めた。県によると、観戦者は同30日までに6市町92校の計3292人だった。

国や都が実施にこだわったのは、多様性や共生社会の大切さを知る教育効果が高いと考えたからだ。

都教委によると、参加者からは「障害を乗り越えてパラの舞台で活躍する姿に感動した」「ボランティアやコーチを見て、支え合う大切さを感じた」「人生に一度だと思う東京でのパラリンピックを観戦できてよかった」などの感想が寄せられた。担当者は「共助の意識につながる感想を持ってくれた」と手応えを語る。

選手からも「子どもたちの応援がうれしかった」「(感染対策で)声は出せないが、応援する心は十分に伝わってきた」と一様に喜びの声が上がった。

参加したある学校長は相次いだ批判について、「PCR検査を受け、定員の半分以下でバスを利用し、競技会場もほぼ貸し切り。正直、普段の学校生活よりも感染リスクは低いと思う。イメージで『感染を広めるのか』と批判されているようだった」と振り返る。

別の校長は「様々な考えがあることは承知しているが、数年来行ってきたオリパラ教育の集大成。子どもの学びを止めないことを大切にした」と話した。(荻原千明、真田香菜子)

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オリパラで感染が広まる不安を煽ったのはメディアです。学校観戦に一貫して不安をあおったのは朝日新聞をはじめとしたメディアでした。そんな中でも千葉県知事などは一貫して「会場も移動過程も部外者と接触しないなら学校環境下の授業と変わりはない」として、子どもたちにオリパラから学んでほしいと推進してきましたが、観戦者の中の教員と児童に、数名陽性者が出た時点で、不安を払しょくできないとして中止したのです。

結局、パラリンピックを参観した児童は1万5千人程度でした。ただ、朝日新聞の記事だからと言うわけではありませんが、パラリンピックの前に開催された夏の甲子園は1試合4000人で1日5試合程度ですから2万人。15日間で30万人が観戦したのです。もちろんこの中には陽性が判明して涙をのんだ不戦敗高校もありましたが、観戦は中止されません。どのメディアも陽性者が出てけしからんなどとは書き立てずスルーしているのです。陽性率は現在全国平均で1.2%です。観戦者は3000人以上に陽性反応が出るはずですから、陽性者がでないはずがありません。メディアが取材をしなかっただけのことです。

プロ野球も同じです。オリパラのない毎日、1試合5000人の観客が6試合3万人近くが観戦するのです。メディアのスポンサー企業が関わる試合開催には何も言わず、TV中継さえすれば損害の出ないオリパラ観戦には執拗に感染不安を煽っているのは、2枚舌メディア、Wスタンダード(二つの基準をもって自分の都合で使い分ける)と言われても仕方ないです。オリパラはテレビ観戦で十分と言う方もいますが、勝ち負けだけではないのです。それを支えている関係者やボランティアの様子を目にするだけでも教育効果は全く違います。「正直、普段の学校生活よりも感染リスクは低い」と校長先生、オリパラが始まる前に言って欲しかったです。

閉会式は素晴らしい演出でした。そして何より衝撃的なのはフランスパリの観客の映像でした。「手のパフォーマンス」こそ室内でのオールマスクでしたがパリ市街でウェルカムイベントをしている主催者も観客もノーマスクです。密密の野外会場にマスク者を見つけるのに一苦労するくらいノーマスクの大歓声状況です。日本のメディアはパリ五輪委員会やフランス政府をどう描くのでしょう。今のところ二枚舌メディアはこれもスルーしています。

 

 

精神科医が教える「対人関係のしんどさ」を減らすコツ

【発達障害を専門とする日本屈指のスペシャリスト!】精神科医が教える「対人関係のしんどさ」を減らすコツ

9/7(火) 【ダイヤモンド・オンライン】

仕事、人間関係…周囲に気を使いながらがんばっているのに、なかなかうまくいかず、心をすり減らしている人も多いのではないだろうか。注意しているのに何度も同じミスをしてしまう、上司や同僚といつも折り合いが悪い、片付けが極端に苦手・・・。こうした生きづらさを抱えている人の中には、「能力が劣っているとか、怠けているわけではなく、本人の『特性』が原因の人もいる」と精神科医の本田秀夫氏は語る。

本田氏は1988年に東京大学医学部医学科を卒業。横浜市総合リハビリテーションセンターで20年にわたり発達障害の臨床と研究を重ね、現在は信州大学で臨床・教育・研究に従事している。2019年にはNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』に出演して話題になった。
本田氏は、「生きづらさを感じている人は『苦手を克服する』ことよりも、『生きやすくなる方法をとる』ほうが、かえってうまくいくことも多い」と言う。

2021年9月初旬に、本田氏が精神科医として30年以上のキャリアを通して見つめてきた「生きづらい人が自分らしくラクに生きられる方法」についてまとめた書籍、『「しなくていいこと」を決めると、人生が一気にラクになる』が発売となる。今回は特別に本書の中から、対人関係のつらさを減らす方法について、一部内容を抜粋、編集して紹介する。

●「協調性」よりも「ルール」を優先しよう
対人関係には、会話が苦手、挨拶がうまくできない、飲み会がストレスになっている、人の顔色を気にしすぎてしまうなど、さまざまな悩みがあります。対人関係の悩みを解決するためには、「協調性」よりも「ルール」を優先することが大切です。ここでいう「協調性」とは、「相手に合わせて行動しよう」とすることです。協調性は一定ではなく、相手次第で変わるものです。

協調性を意識しすぎると、常に相手の話すことや表情、行動などを気にして、「やりたくないことを相手に合わせて無理してやっている」という状態が長く続き、心が落ち込む原因になります。それに対して「ルール」というのは、一定の決まりごとです。常に一定で、相手によってぶれることがありません。ルールにも社会のルールから家庭のルール、マイルールまでさまざまなものがありますが、大切なのは、社会のルールから大きく逸脱しなければ、自分の生きやすいスタイルを選んでいいということです。

●人の評価を気にしすぎない。受け流すことも大切
対人関係で「しなくていいこと」を手放すには、「人の評価を気にしすぎない」という点も大切になります。対人関係で悩んでいる人は「自分がこういうことをしたら、相手はどう思うだろう」「嫌われるかもしれない」と考えがちです。

そんなときは、「協調性よりもルールを優先」という原則を思い返してみてください。社会のルールを守っていれば、少しくらいやり方を変えたからといって、人に嫌われたり怒られたりすることは、基本的にはありません。もしも、ルールを守っているのにネガティブな反応をする人がいたら、その人とは距離をとったほうがいいというだけのことです。

誰かに合わせるやり方ではなく、社会のルールを守りながら、自分自身に合ったスタイルをつくっていきましょう。そうすることで、対人関係のつらさは軽減していきます。

(本原稿は、本田秀夫著『「しなくていいこと」を決めると、人生が一気にラクになる』より一部抜粋・改変したものです)
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書いてあるのは、いちいちもっともなことですが、発達障害の中でピュアなASDの人では、こういう悩み方をする人は少ないです。本田先生の言われているケースは、うつ病になるメランコリータイプの人に多く、ピュアなASDの方の悩み方ではないように思います。ASDの方はどちらか言うと、協調性を気にせず、周囲の人に不快になるマイルールを押し付けてくるので、周囲が本人と口をきかなくなり、必要な情報が当事者に届かなくなって初めて「ハブられている」ことに当事者が気付き、何故だか意味が分からず悩むというパターンが多いです。

人の評価も、仕事上の特定のスキルの事では気になりますが、職場内で協調性がない自分に気が付く人は少ないです。或いは、当事者は協調性を大事にしているつもりで、誰にでも同じ距離感で接したり、逆に必要以上に距離を取り、誤解される事があります。他者の事がわかっているつもりになり、妙な気遣いをしてしまって迷惑がられることもあります。つまり、「そのマイルールーが周囲には痛い」場合が多いのです。

これは当事者むけの本なので、比率としては一番多いソフトな境界域の発達障害の方の事なのだろうと思います。協調性の必要性を知ってるが故に苦痛、対人上の良い評価を得たい故に苦痛、なのだと思います。もちろん、そういう方には、社会性を逸脱しないマイルールかどうかを、職場の信頼できる人に聞いてみて、それで「まぁ、まぁ」ならあとはマイルールで行動して気にしないというのが大事と言うのは書いてある通りです。発達障害と言っても、最も多い境界域から一番端の方に偏在している少数の人までいろいろなので、どういう人を対象にしているかで、かなり対応が変わってくるので、気になって書きました。

苦行じゃ意味がない 障害児の「療育」はほどほどに

苦行じゃ意味がない 障害児の「療育」はほどほどに 自分らしく、生き生きと暮らす

7/4(日) 【オトナンサー】

「療育」とは、障害のある子どもが社会的に自立できるようになるために行う教育のことです。わが子に発達障害があると分かると、療育を受けさせる親御さんも多いと思います。

しかし、療育を「定型発達児に近づけること」と勘違いし、苦手を克服させようと必死に努力させたり、「やればできる」と過度な期待を抱き、何でも1人でやらせようと試みたりする「熱心な無理解者」と化している親御さんや支援者がいるのも事実です。こうなると、子どものためであるはずの療育が、子ども本人にとっては苦行となってしまいます。

子どものための「療育」
療育は子どもが日常生活を送りやすくするために、こだわりの緩め方を学んだり、コミュニケーションの取り方を学習したりする場です。「一つでも、普通の子と同じことができるように」と定型発達児に近づけようとすればするほど、本人の自己肯定感を下げるだけになってしまいます。もし、そうなってしまったら、「やらない方がよかった」ということにもなりかねません。

一方で、親にとって、療育はどのような意味があるでしょうか。それは、周りが定型発達児の親ばかりで孤立無援の状態だったところから、同じ障害を持つ子を育てる保護者との交流が持て、居場所が見つかることです。また、療育の様子を見学して、親が支援の仕方を学ぶことができるなどのメリットもあります。ただし、周りのママ友が熱心すぎて“才能の温泉掘り”に必死になっていたり、「熱心な無理解者」の支援者がいたりしたら、その人は良い手本ではないので気を付けなくてはなりません。

音が怖いなら…
私の息子は知覚障害のある自閉症児です。聴覚過敏のある息子は幼児期、公衆トイレのハンドドライヤーの音を怖がっていたため、外出先でトイレに行けませんでした。そのため、療育施設ではこれに慣れるための訓練を受けていました。

実際、ハンドドライヤーを怖がる自閉症の子は多いようで、ママ友の中には「家庭での練習も必要だ」と思い、自宅のトイレにハンドドライヤーを設置し、親が“療育の先生”となって練習をしている人もいました。しかし、これでは子どもにとって、家が“恐怖の館”になってしまいます。

息子が次第に療育を拒むようになってしまった中、当時通っていた児童専門の精神科の主治医に、ハンドドライヤーを使う練習をしていることを伝えました。すると、「そんなことをしていると将来、2次障害を起こして入院することになりますよ。そんな練習は今すぐやめなさい。お母さんがハンドドライヤーのないトイレを探してあげて、そこを使えば済むことです」と叱られたのです。

さらに「障害児なんだから、堂々と多目的トイレを使えばいいんです。そこだったら、急に誰かが入ってきて、ハンドドライヤーを使うことはないでしょう。息子さんも安心してトイレが使えるはずです」と言われました。実際、この病院には、親がわが子を思って、「定型発達児と同じことができるように」と引っ張り回した結果、うつの発症やリストカットなどの深刻な2次障害を起こしている子どもが多く入院していました。

私は主治医に言われた通り、ハンドドライヤーがない公衆トイレを探して使うようにしました。駅やデパート、ファミリーレストランなど、外出時に利用する機会が多い場所のトイレはハンドドライヤーの有無、設置個数について特によく調べました。

やがて、外出時はいつも、トイレを我慢している様子だった息子が、私と一緒のときは公衆トイレに入れるようになったのです。中学生の頃、ボウリング場に行ったときには、かつて、あんなに怖がっていたハンドドライヤーをうれしそうな顔をして使っていました。

なぜ、息子は苦手だったハンドドライヤーを怖がらなくなったのか。それは主治医の助言以降、安心・安全を確保した状態でトイレを利用できるようにしたから、そして、息子自身が14年という人生経験を積み、3歳の頃と違って苦手なものにも挑戦できるようになったからだと思います。

息子にとって、いつしか、トイレは恐怖の場所ではなく、「こだわりの場所」になっていったようで、公衆トイレは今や、息子が一番好きなものになりました。特に便座のメーカーや型番をチェックするのが大好きで、文字を書くのも絵を描くのもトイレのことばかり。外出先でトイレを見つけると吸い込まれるように入っていきます。

成人した息子を見てしみじみと思うのは、幼い頃に「この世界は怖くない。安心、安全だ」「先生や親は自分を脅かす存在ではない」「大人は自分を守ってくれる人間だ」ということを体験させれば、子ども本人の力で自然に乗り越えられるようになるということです。世の中は定型発達の人が生活しやすいようにできています。そのため、社会になじめるように練習していく必要はあります。しかし、それが行き過ぎるとデメリットもあると私は思うのです。

障害のある子どもは定型発達の子どもと同じやり方では学びづらいです。療育とは、その子に合ったやり方でできることを増やし、自分らしく、生き生きと暮らせるようになるために行うものです。何のための療育なのか。誰のための療育なのか。「療育はほどほどに」という考え方も大切にしたいものですね。

子育て本著者・講演家 立石美津子
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掃除機の音が怖い自閉症児の事を思い出しました。小1のA君は体育館に入れず、誘導すると逃げ出したり泣きだしたり、誘導する大人を激しく蹴りに来たりするのでした。聴覚過敏のASD児が多いことは知っていたので、体育館の反響音とか喧騒が怖いのだろうと、無理強いはせずに声かけはしますが入場は本人の主体性を尊重していました。。その後に、T君の就学前通所施設(今の児童発達支援事業にあたる)の話を聞いて、原因が分かりました。

確かにT君は聴覚過敏で、園児が集まるプレイルームの喧噪が嫌で入れなかったそうです。ところが、それではT君が集団性を学べないと言う理由で、プレイルームに入れるために、T君が嫌いな掃除機でプレイルームの入り口のT君を追い立てて入れていたと言うのです。掃除機音に追い立てられるわ怖いプレイルームに入れられるわで、T君がPTSDを抱えてしまったと言うわけです。

小さい子は、力が弱いですから、大人の強制力で簡単に屈服させられます。しかし、やがて身体が大きくなり幼少の期のトラウマを抱えたままの場合は、衝動的に暴れたり暴力をふるったりするようになることがあります。言語発達に遅れがある場合は、恐怖の原因を大人に語る事すらできません。こうして、発達障害とは何の関係もない行動障害を抱えることになります。無論、当時の大人はそんな事を知るすべもなく「集団性」を優先したのです。ASDの事を知らない事業所に療育を受けに行ったばかりに、PTSDを負わせてしまったのです。

熱心な療育が間違っているのではなく、障害特性も良く把握しないまま、「慣らそう」としたり「できるように」しようとするのは療育ではありません。ただの、お節介で迷惑行為なのです。他にも、思春期に荒れるのは、受動型のASDで絵カード支援をした子どもに多い等というデマ説がありますが、これは、理解コミュニケーションばかり教えて、表出コミュニケーションや交渉を教えなかった結果です。療育者が、コミュニケーション支援を正確に学ばずに、絵カード支援を見よう見まねで「熱心」に実施した結果です。私たちが絵カード支援で、安くはないPECSマニュアルの熟読を勧め、高額だけど支援者トレーニングを受けて欲しいと言うのはこういう理由があるのです。

しかし、療育技術はその時代の限界性はあるとは言え、支援者が子どもと養育者をリスペクトして、子どもの発達や障害特性に支援者がアンテナを張っていれば、効果的な療育が見つからない場合はあっても、間違った療育を強いることはないと思います。それを筆者は「ほどほどの支援」と呼んでいるのかも知れません。