2020年9月の記事一覧
医療連携
X君がお母さんに計算は努力してできるようになるもので、電卓使って宿題しても努力にはならないと言われた事がありました。X君には知的な遅れはなく、集中力が短いので短期記憶や空間把握が苦手で、計算したり書いたりすることが困難になっているようです。計算ができないのは本人の努力が足りないせいではないとお母さんに話しました。
また、X君は低学年の宿題がいまだに困難な結果、自分のことを否定的に考えてしまい学習性無力感に苛まれていることも伝えました。そこで、計算ができるかどうかはわからないけれど医療の支援を受けてせめて注意集中の短さが服薬によって改善しないか受診を勧めました。自分の特性について学習するサポートも必要なことを話しました。
実は、以前も同じ話をして、受診を促してみたのですが、受診はされませんでした。お母さんの話によると、低学年の時、学校から同じように促されて精神科医を訪ねたけれども、病院の先生は話を聞いているだけで何もしてくれなかったという苦い経験を話してくださいました。
親にしてみれば、障害が疑われるからと受診を勧められても、そう簡単には腰は上がりません。家の姿と学校の姿も違いますし、なんと話せばよいかもわかりません。勇気を振り絞って病院に行っても、親や本人からの困り感が医師に感じられなければ「様子を見ましょう」と言われるのはよくあることです。
親に強い困り感がない時、学校や施設が受診を勧めるなら、親と一緒に同行する専門サポーターが必要だと感じます。多くの保護者と関わる中で、このニーズは大変高いのではないかと感じています。字が書けない、計算ができないことが病院と結びつくとは普通は考えないからです。
しかし、お医者さんにしてみれば、「外野」は黙れと思うかもしれません。それは、症状(障害)名を背負うのも、服薬の副作用を引き受けるのも当事者と家族だからです。善意とは言え、他者が手伝うのは限度があるという意見もよく分かります。
ただ、眼鏡はかけて見ないと役に立つかどうか当事者には分からないのも事実です。薬とメガネ一緒にするなと怒られそうですが、メガネだって調整していなければ目に害で苦痛しかありません。と考えていると、堂々巡りです。
学校から送られてくる視力検査表や尿検査表等と「専門医にご相談ください」という通知を訝る親がいないように、学習症(障害)についても同じような仕組みにならないものかと思います。