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感染公表

クラスター発生校名、なぜ非公表?公立と私立で分かれる対応、京都府「意向尊重」

2020年9月13日 14:00【京都新聞】

京都市内の私立高校で部活を契機にした新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生したことを受け、京都新聞社の双方向型報道「読者に応える」に「どうして校名が公表されないのか」との投稿が寄せられた。これまでに市立学校では校名が発表されているケースもある。疫学調査を担っている市などに取材した。

今回のクラスターは今月2日、最初の感染者3人が発表され、現在は生徒計36人(10日現在)とその家族13人に上っている。

感染症法では、国や都道府県、政令指定都市は情報を積極的に公表しなければならないとする一方、個人情報の保護に留意すべきとも明記されている。京都府や京都市による毎日の感染状況の発表でも、個人の特定につながる情報は公表されない。

施設名が公表される場合はあるが、いずれも施設側の自主判断や同意が基本となっている。これまで市内のクラスターでは京都産業大や市立病院(中京区)が会見を開いて明らかにしたほか、企業や福祉施設などがホームページで発表することも多い。

学校のケースはどうか。京都市立の小中学校などで児童生徒、教職員に感染者が出た場合、学校名が公表されることもある。公立学校の場合、公表するかどうかを決めるのは設置者の行政側で、市教育委員会は「地域住民の出入りがあるため、周知の必要がある場合は公表している」(総務課)という。京都府内でも「原則、学校名は公表してない」とする教委もあり、対応が分かれる。

一方、私立学校では、学校側の判断や同意が重視される。クラスターが起きた今回の私立高校について、私立学校を所管する府文教課は「学校名を公表することで、生徒や学校への誹謗(ひぼう)中傷などの人権侵害が起きる可能性があると、学校側から報告を受けている」とする。また、市によると、現時点では生徒らの感染経路を把握できており、公表を強く求める必要性はないという。

私立高の感染を巡っては、サッカー部でクラスターが発生した松江市の高校名が8月に公表されると、会員制交流サイト(SNS)上などで誹謗(ひぼう)中傷が相次いだ。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は「差別とプライバシー侵害に当たる恐れがある」として問題視している。

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公表の影響で支障があるのは個人のプライバシーだけではありません。自治体がわざわざ公表することで、この感染が「とても恐ろしいもの」という印象を与えやすいのです。

感染症法の中でも超怖いサーズや鳥インフルエンザと同じ2類感染症相当としたのは1月末の閣議決定です。感染の実態がほぼ明らかになったのに指定感染症決定をそのままにしているから、いつまでも間違った評価が訂正されないのです。日本の行政は、決めるのも遅いですが決めたことの変更が遅いのも、昔から変わらないです。

武漢風邪を5類感染症に訂正し、インフルエンザと同じ扱いにすれば、武漢風邪に対する偏見や感染者や所属先への差別や風評被害をなくすことができます。同調圧力によるマスクの強要も軽減されるはずです。

スウェーデンでは、誰もマスクをしていないのに、すでに収束に向かっています。世界中の人々がネットワークで繋がっているのですから、同じウィルスの場合、民主主義国家なら感染防止策は同じはずです。しかし、残念なことに、どこかの国のように、戦前のように、間違った情報が広がるとなかなか修正できないのが現状のようです。

 

 

起立性障害

朝は体調悪い…起立性調節障害の子らに、居心地良い場を

2020年9月13日 10時00分【朝日新聞デジタル】

朝、体調不良で起き上がれず、学校に行けない――。若年層に多いとされる「起立性調節障害」(OD)で学校に通えなくなった子どもらを支えようと、大阪人間科学大学(大阪府摂津市)の学生たちが、居心地のよい場所づくりに取り組んでいる。

一昨年6月に立ち上がったボランティアサークル「Lico(リコ)」。メンバーは月2回、夕方から約2時間、八尾市の公共施設で、ODに悩む中高生6人ほどと一緒に時間を過ごしてきた。冒頭、体を使ったゲームなどで緊張をほぐし、趣味やテレビ番組について話したり、絵を描いたり。昨年12月にはクリスマスパーティーも開いた。

Licoのメンバーは、社会福祉や心理、子ども保育を学ぶ大学1~3年生約30人。ODの子どもだけでなく、障害児の支援などにも取り組んでいる。

〈起立性調節障害〉自律神経の働きの不調により、起立時に脳や体への血流が低下するなどして、立ちくらみやめまい、倦怠(けんたい)感、動悸(どうき)などの症状が出る。小学校高学年から中学生で増える。軽症も含めると小学生の約5%、中学生の約10%が該当し、不登校の子どもの3~4割がODを伴っているともいわれる。午前中に体調が悪くても午後に回復することが多い。

Licoを作った大阪人間科学大3年の神野佑介さん(22)は自らもODの影響で中学校に通えなかった経験がある。昨年2月ごろ、ODの子らを持つ家族の会に参加した時、「ODの子は朝体調が悪くて学校に行けず、午後に元気になっても夕方から行けるのは塾ぐらいしかない。居場所が少ない」という声を聞いた。

神野さんは自らの経験を思い起こし、「同世代と交流できる居場所があると、ODの子たちにとって大きい」と思った。Licoのメンバーとともに、昨年2月ごろから、ODの子どもらが居心地良く過ごせる場所づくりを始めた。

参加する中高生たちは当初、「次にやりたいことは?」と尋ねても「別に」「ない」と言葉少なだった。大学生たちが寄り添い、グループで話すうちに子どもたちは打ち解け、輪になって話すようになった。「ゲームがしたい」「休憩スペースがあったらいい」と意見を言うようにもなった。Licoメンバーで大学3年の香西優希奈さん(20)は「私たちも中高生たちもお互いに心を開ける信頼関係ができた」と話す。

娘が中学時代にODを発症し、学校に通えなくなったという母親は、友達とのつながりも希薄になり、不安が募る毎日だったという。集いに参加した娘に付き添い、別室で待っていた時、娘の笑い声が聞こえた。「こんなふうに笑っていたんだと気づかされました。活動はありがたい」

新型コロナウイルスの影響で、Licoの活動も今年3月ごろから休止に追い込まれた。8月になって、メンバー3人と中高生6人ほどがオンラインでつながり、再開後にしたいことや好きな映画などについて語り合った。

Lico副代表で大学2年の安在侑輝さん(19)は「交流の場がなくなり、体調や心の面が心配でしたが、元気な姿を見てほっとしました。素の自分が出せる居場所があることで、少しでも前向きになってもらえれば」と話す。(瀬戸口和秀)

〈起立性調節障害〉自律神経の働きの不調により、起立時に脳や体への血流が低下するなどして、立ちくらみやめまい、倦怠(けんたい)感、動悸(どうき)などの症状が出る。小学校高学年から中学生で増える。軽症も含めると小学生の約5%、中学生の約10%が該当し、不登校の子どもの3~4割がODを伴っているともいわれる。午前中に体調が悪くても午後に回復することが多い。

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起立性障害の診断は難しいと聞きます。朝起きられないという不登校には、家族力動(親子関係)が関わる心因性のものから、ASD等発達障害が関わるものや、それらが複合的に絡まることが少なくありません。

従って、正しい診断がまず必要となります。「新起立検査」等を行い診断をしていきます。検査もせずに起立性障害の治療を行うと様々な問題がすべて本人のフィジカルな問題に置き換えられてしまう危険性があります。不登校全般を扱う医療機関から起立性障害を検査する専門医に紹介を得たほうが良いかもしれません。

特別支援教育支援員

教育支援員足りず「権利利益侵害」の恐れ 市民団体が市町村実態調査

9/11(金) 11:40配信【NEWSつくば】

通常学校に通う、障害のある子供たちの学校生活を支援する「特別支援教育支援員」の配置実態を明らかにしようと、市民団体「茨城に障害のある人の権利条例をつくる会」(事務局・水戸市)がこのほど、茨城県内の各市町村教育委員会にアンケート調査を行った。教育支援員が足りない市町村があったり、足りていても保護者に付き添いを求める市町村があるなどの実態が浮き彫りになった。

学校生活において、平常の授業日や校外学習時に支援員が付き添えないからと、保護者の付き添いを障害児だけに求め、できない場合は参加を拒否することは、2016年施行の障害者差別解消法が禁止する「権利利益の侵害」にあたる。同つくる会では今後、各市町村教育委員会に対し、今回の調査結果を情報提供すると共に、支援員の研修機会を提供するなど、支援員の充実に協力していく考えだ。

6割が「足りていない」
支援員は、学校生活での食事や排せつなどを介助したり、授業や学習で個別的な支援が必要な児童生徒を支援する。アンケートには全44市町村のうち41市町村が回答した。「支援員が足りているか」という質問には、6割超の27市町村が「足りていない」と回答した。

さらに、1人の児童生徒が1日に支援を受けられる時間についても尋ねた。支援員が支援できる時間が限られていて、その時間では支援が不足する場合、保護者が付き添っていると8市町村が回答した。

支援員が足りていないと回答した市町村の方が、保護者が付き添っている割合は高いが、足りている市町村でも「平常の授業日に保護者が付き添っている場合がある」と回答したところが1市町村あった。

一方、支援員が足りていない市町村でも、「1日の支援時間に上限はない」と5市町村が回答した。「支援時間に上限はあるが、支援員の勤務時間を前後させたり、空いている職員を計画的に配置したりすることで、保護者の付き添いはないようにしている」と回答した市町村もあり、支援員の人材不足が、必ずしも保護者の付き添いを求めることにつながらないことが分かった。

校外学習時に支援員が付き添えるかという質問には、「日帰りの校外学習に支援員が付き添える」と35市町村が回答し、「宿泊を伴う校外学習に支援員が付き添える」と5市町村が回答した。「支援員が足りていない」市町村でも、「宿泊を伴う校外学習に支援員が付き添える」と回答したところが3市町村あった。

さらに校外学習時に保護者が付き添っているかという質問には、支援員が足りている市町村の方が付き添っている割合は58%と低いが、それでも約6割の市町村が校外学習に保護者が付き添っていることがわかった。

つくば市、修学旅行に付き添えず課題残る
修学旅行に支援員が付き添えないために、保護者が付き添えなければ、障害のある児童生徒が修学旅行への参加をあきらめる事態がつくば市内で起こったことが、2016年12月の市議会一般質問でも指摘されている。

同年に施行された障害者差別解消法では、障害を理由として、各種機会の提供を拒否する、または提供にあたって、障害者ではない者に対して付さない条件を付すことは、障害者の権利利益の侵害として禁止されている。

五十嵐立青つくば市長は、支援員の大幅増員を公約に掲げ、2016年度から2019年度にかけて支援員の数を倍増した。しかし、宿泊を伴う校外学習には支援員は付き添えないなど課題は残っている。

同市によると、市内の小中学校や義務教育学校では平常の授業日は支援時間に上限はないため、学校側から保護者の付き添いを求めることはない。一方、日帰りの校外学習に支援員が付き添えることもあるが、宿泊を伴う校外学習には支援員は付き添えず、保護者に付き添いを求める場合があるという。

今後、宿泊を伴う校外学習にも支援員が付き添えるようにする方針はあるかをつくば市に聞いたところ「勤務条件外になってしまうため、難しい」という回答だった。障害のない子供なら無条件に参加できる修学旅行に、障害があるからと、保護者の付き添いが参加の条件になってしまう実態は解決されないままだ。(川端舞)

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特別支援教育支援員は国からこの名目だけに使う財源ではなく、地方交付税といって、市町で道路や焼却所などに使ってもいい一括財源として交付されるものです。したがって、土木関係などにお金がかかるときは支援員の財源は使えなくなる場合もあります。だから市町によって支援員が多かったり少なかったりしているようです。

ただ特別支援教育支援員は、採用時にレクチャーは受けますが資格はなく教員ではないので権限が制限されています。また、クラスの子どもにしてみれば「○○ちゃん付きの先生」のような位置づけになりやすいので、運用には工夫が必要となります。

 

「障害は個性」、それ本当?

「障害は個性」、それ本当?当事者が感じる違和感とは

佐藤仙務 2020年9月10日 9時00分【朝日新聞デジタル】

「普通って何ですか。僕たちは障がい者だから普通じゃないってことですか」
私の隣に座る車椅子の男の子が、教室の黒板を真っすぐに見つめている。今にもこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら、彼は授業中の先生に向かって、そう言い放った。

今から約20年前、私がまだ小学生で名古屋の養護学校(現在の特別支援学校)へと通っていたころの話だ。この日は授業の一環で交流会の準備をしていた。交流会というのは、養護学校の近くにある小学校から児童を招き、お話やレクリエーションなどをするイベントのことだ。私が子どものころは今のように、まだインクルーシブ教育といって、障害児が一般学校に通学するケースはほとんどなかった。もちろん、私も例外ではない。

そんな理由で、学生時代は養護学校と一般学校同士による交流会がたびたび企画されていた。ただ、このイベントをとても楽しみにしている子もいれば、一方で、あまり興味のなさそうな子もいた。

「普通」ってなに?
それが私の隣の席の車椅子の男の子だった。交流会に興味がないというと聞こえが悪いが、彼の理屈によると「たった数時間会うだけで友達になれるわけがない」というのだ。実際、こういった交流会は毎年あるが、交流会が終わったあとに養護学校と一般学校の児童が友達になって遊んでいるといった話は聞いたことがない。私は彼と仲良くはなかったものの、彼の言うことはなんとなく理解できた。そしてこの後、ある先生のなんてことのない一言で、彼の表情が一変した。

「明日はいよいよ交流会です。普通学校の子どもたちと楽しく遊びましょう」
先生がそう話した瞬間、彼が先生の話の続きを遮って、「普通って何ですか。僕たちは障がい者だから普通じゃないってことですか」と涙ぐみながら言った。もちろん、先生も悪気があったわけではないだろう。言葉の便宜上、何げなく使った“普通”という二文字が彼を傷つけた。私は隣で涙ぐむ彼を見て、心のなかで「そんな揚げ足取りで、わざわざかみ付くなんて本当に馬鹿らしい」と思った。だが、私も次の先生のせりふにより、自分の中の何かが変わり始めた。

「ごめんね。でも大丈夫だよ。障害は個性なんだから」
障害は個性。それは私が子供のころから散々言われていた言葉だった。今の時代の障がい者も同じかもしれないが、多くの障がい者は子どものころから健常者の大人たちに「障害は個性である」と教えられる。私自身もそうであったが、それをずっと信じてきた障がい者は多い。

使うのは健常者
だが私も少しずつ大人になっていき、一つの疑問が生まれた。それはそもそも個性とは何なのか。そして、障害は個性であるという言葉は、なぜ健常者は使いたがり、障害者はあまり使わないのか。

まずはじめに、私たちが日常生活の中で個性という言葉を使う場面を考えたい。障害は個性というと、一見ポジティブに聞こえるかもしれないが、例えば、私に好きな女性がいたとして、「君は顔も性格も個性的だね」と言ったとしよう。どうだろうか。私はほめているつもりでも、女性はバカにされていると思うだろう。一方、「君は顔も性格も魅力的だね」と言えば、悪い気はしないだろう。

また、私自身、これまでの人生で男女問わず、友人から「君の障害の個性がいいね。友達になりましょう」と言われたことはいまだかつてない。

だったら、「障害は魅力と言えばいいのでは?」と思う人がいるかもしれないが、障害が魅力というのはちょっと無理がある気がしてならない。

言葉のマジック
だからこそ、障害は個性という言葉は良くも悪くも完成度が高い。普段はなかなか使わない“個性”という言葉を“障害”という明らかにマイナスな言葉と組み合わせることで、ちょっと良い言い回しに思わせてしまうマジックがここにある。

人によっては私の言っていることはへりくつに聞こえるかもしれない。ただ、実際問題、私の周りの多くの障がい者たちは健常者から「障害は個性である」と言われ、困り顔になっている。仮に障害は個性だったしても、それは、周りの人が障がい者に言うべきことではなくて、自分の障害を受け入れた障がい者が「私にとっては個性です」と言っているときに同調してあげるぐらいがちょうど良い。

ちなみに、私が経営する会社「仙拓」でも障がい者のスタッフが働いているが、彼らに「障害は個性だと思うか?」と尋ねたところ、彼らは「障害は障害です」と悲壮感なく答えた。

私も同じ意見である。障害は、障害なのだ。

でも一つ勘違いしていただきたくないのが、仙拓で働く障がい者は決してネガティブではないし、一人ひとり社会人として自分の役割を全うしようとしている。障害は障害だと言う彼は、何か壁にぶち当たったときに「障がい者だから仕方ない」ということは決して言わない。

理由は一つ。障害は個性だという言葉で自分を美化しなくても、彼らは障がい者以前に、自分自身の役割と価値を信じ、懸命に生きているからである。


佐藤仙務(さとう・ひさむ)
1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。

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「俺は障害(者)なんか?」と聞く発達障害の子どもたちに、「できることの凸凹が激しい人」と答えています。障害は、不自由に感じる本人と、不自由だなと思う周囲の方の主観の交わるところにあります。その人を取り巻く環境が凸凹の凹を埋めたり手伝ってくれる環境があり自由に生きられるなら障害はありません。

ある視覚障害者が「光のない世界では、我々から見れば晴眼者が障害者です」といいました。光を頼らない生活をしている人には、晴眼者ほど生活は不自由でないというのです。でも、不自由のないところまで支援したのは晴眼者だけどなぁという矛盾があるのですがそれは置いておきます。障害は主観的なものだという例えとしてのお話です。

手足が動かない・話せない・見えない・聞こえない・見えるけど読めない・手は動くが書けない・計算できない・難しい話が分からない・・・・。そのハンディは若さや老いが原因ではなく、平均的な努力をしても平均的な「できる人」には追い付かない能力差は、背丈や体形や皮膚の色の違いと同じだと言えばそうなのでしょう。しかし、「それは個性だよ」と子どもにいうには、まだ私には躊躇があります。

 

 

邪魔だと思う人は手を挙げて

「邪魔だと思う人は手を挙げて」支援学級の子に不適切発言 先生怖いと休む子も

2020年9月8日 09:54【沖縄タイムス+】

沖縄本島中部の小学校のクラス担任を務める女性教員が、普通学級と一緒に授業を受けていた特別支援学級の児童が騒いだ際「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」と普通学級の児童に挙手を求めていたことが7日、分かった。手を挙げない児童に「あなたも支援学級に行きなさい」とも発言。教員の言動を受け、普通学級の児童一人が4日間、学校を休んだ。

■合同で授業
小学校を所管する教育委員会は教員の言動を処分の対象としていないが、不適切だったと認めている。教員は現在、体調不良を理由に休職している。

関係者によると、教員の不適切な言動があったのは今年6月。同じ教室で支援学級と普通学級の児童らが合同で授業を受けていた際、支援学級の児童が騒いでいたことを受け「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」と挙手を求めた。

教員は手を挙げない児童に「あなたも支援学級に行きなさい」などと発言し、手首をつかまれた子もいた。騒いでいた児童は教室の後ろに立たされた。

■不適切な言動
挙手せず注意された児童の中には「先生が怖い」と話し、学校を4日間休んだ児童もいた。

児童から話を聞いた保護者が学校に連絡し、教委が事実を確認。教委は「教員に不適切な言動があった。教育委員会に呼び、指導を行った」としている。

保護者の一人は「子どもは特別支援学級の児童に対する不適切な扱いをおかしいと感じ、親に相談した。別の日には、教員が騒いだ児童の手を引っ張り、教室の外に出そうとしたこともあったようだ」と指摘している。

教員の言動3つの問題点
【丹野清彦琉球大学教授の話】

特別支援学校の児童に関する不適切な教員の言動があった。この出来事には光と影があるように思える。

影の部分の問題点は3点ある。1点目は支援が必要な子がなぜ騒ぐか、教員が理解しようとしていない。支援が必要な子が騒ぐ理由はさまざまで、うれしさがあったりする。教師は子どもの行為を理解する目が必要だ。

2点目は周囲の子に「うるさいと思う人は手を挙げて」と同意を求めたこと。同じ価値観や考えを押し付ける、行き過ぎた行為だ。

3点目は支援が必要な子のサポート体制が十分だったか。サポートがなければ学級担任に過度な負担がかかり、冷静さを失うこともあるだろう。学校や教育委員会は先生を追い込まない体制を考えてほしい。

光の部分は、教員の行動をおかしいと感じ、親に話をした子どもがいるということだ。こうした行動は人権感覚があることを意味する。子どもが声を上げたことで周囲の大人の人権感覚が磨かれ、学校の自浄にもつながることになる。

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特別支援学級の児童を「邪魔だと思う人は手を挙げて」…小学教員、一緒の授業の場で

2020/09/09 08:55【読売新聞】

沖縄本島中部の小学校の女性教員が6月、授業中に特別支援学級の児童が騒いだ際、「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」と発言していたことがわかった。教育委員会は「不適切な言動」として教員を口頭で注意指導した。教員と校長は児童の保護者に謝罪した。

教委によると、問題の発言は、特別支援学級の児童と普通学級の児童が一緒に授業を受けていた際に起きた。発言に対し、手を挙げなかった普通学級の児童に「あなたも支援学級に行きなさい」とも発言し、手首をつかむなどしていた。その後、恐怖心から4日間学校を休んだ児童もいたという。児童から話を聞いた保護者が学校に連絡した。教委の聞き取りに、教員は「指導の一環で、悪意を持ってやったわけではない」と説明し、現在は体調不良を理由に休職しているという。

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支援学級の子「邪魔だと思う人は手を挙げて」 教員が不適切発言 ショックで休む児童も

2020年9月9日 11:08【琉球新報】

本島中部にある公立小学校クラス担任の女性教員が6月、普通学級と一緒に授業を受けていた特別支援学級の児童らが騒いだため「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」と児童らに呼び掛けていたことが、8日までに分かった。地元自治体の教育委員会や学校などによると、同教員は、特別支援の児童1人の頭をたたいた事例があったという。教育委員会と学校は7月までに「不適切な言動があった」として教員を口頭注意した。

「先生が怖い」「学校に行きたくない」などとして4日間休んだ児童もいた。教員は学校で6月、頭をたたいた児童の保護者と面談し謝罪した。現在、体調不良で休職している。学校は近日、学級にいる児童の保護者向けの説明会を開く。

授業中に支援学級の児童らが騒ぎ、教員が発言して挙手を求めた。教員は、手を挙げなかった普通学級の児童に「あなたも支援学級に行きなさい」と言い、手をつかんだという。別の授業中、教室の後ろに児童を立たせる事例もあった。

学級にいる児童の保護者からの訴えで、学校は事案を把握し、6月に教委へ報告した。

ある保護者は「今の世の中、暴言や暴力は時代錯誤だ。学校は安全な場所であってほしい」と話した。教委は「適切な指導をするよう、ほかの学校にも注意喚起していきたい」と述べた。

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この教師の暴言はどんな理由をつけても許されません。こんな言動をあいまいにしてきたから、学校は子どものいじめに真摯に向かい合えないのです。何かあれば病気休暇というのもあいかわらずの公務員対応です。面倒になると職員を休ませてしまうのです。間違いがあったら、すぐに親や子どもたちに謝罪をして再発防止策を約束するのが、社会人としての最低限の責任です。当事者には謝罪したといいますが、影響が大きいのはそれを見ていたクラスの子どもです。「先生が間違っていた」と担任が言わないと子どもの不信は募るばかりです。

これは教育の問題ではなく大人として常識の問題です。コメントした教授は、学校は常識が通らないと言っているに等しいです。教授が述べている理由程度のことは学校や教委でもすぐにわかることで、事後策としてすぐに発表できたはずです。

6月の事件が9月に保護者説明会という遅れも、武漢ウィルス感染防止を理由にするのでしょうが、文書でも何でも学校の姿勢は早々に表明できたはずです。これが「古い学校」の体質です。これまでも責任者が責任者としての常識を果たしてこなかったから、当事者の教員も「指導の一環、悪意はない」と常識のない自分を守っているように思えてなりません。