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みんなちがってみんないい

クリスマスプレゼント

クリスマスが近づきました。プレゼントの由来はいろいろあるようですが、今はサンタクロースと呼ばれているセント・ニコラウスという人が由来とする説が強いようです。東ローマ帝国小アジアのシュラ(現在のトルコ)に実在したカトリック教会司教セント・ニコラウスは裕福なクリスチャンであり、自分でお金を一人で保持しているよりも貧しい人にお金を分け与えた方が良いと考えていました。彼は貧困のため苦しむ娘たちの家に窓からこっそり金貨を投げ入れようとしたところ窓が開いていなかったので、煙突から家の中に金貨を落としました。それが丁度暖炉に干してあった靴下の中に入ったと言われており、これがクリスマスプレゼントの始まりだとされています。サンタや煙突、靴下などのキーワードがでてきているので、この説が一番現代の風習に近いようです。

小学生になると、単純に「おもちゃ」をプレゼントするのも悩ましいところです。ゲームやアニメ、スポーツに夢中な男の子、目線が大人に近づく現実主義な女の子、欲しいものを親に教えてくれない子どももいて、プレゼント選びに困っているご家庭も多いかもしれません。今回は、小学生向けに流行しているクリスマスプレゼントを10点を調べてみました。見た感じ男子向けが多いです。女子のほうが多様な選択をされるのでランク付けするとトップテン入りしていないものが多いようです。価格や写真はググって調べてください。

1. タカラトミー 人生ゲームプラス 令和版
これまでの人生ゲームはお金持ちを目指していましたが、令和版の人生ゲームで目指すのはトップインフルエンサーです。
勝ち負けの判断は「フォロワー数」!最近では小学生が将来就きたい職業にもYoutuberが入ってきているので、ゲームを通じて疑似体験させてあげるのもいいかもしれません。
2. タカラトミー リズモ
今年流行の「育てるぬいぐるみ」系のアイテム。そのなかでもこのリズモは、最初はただの毛玉のようなシルエットですが、声や歌などのコミュニケーションをとることで進化していきます。カラーはベリー、アクア、スノーの3色。住宅事情から最近ではペットを飼えない家も多いので、進化するリズモは子どもの情操教育にいいかもしれませんよ。
3. バンダイ オリケシ すみっコぐらし たっぷりすみっコDXセット
小学生の女の子は、なぜか消しゴムにハマってしまう時期があります。そんなときにプレゼントしたいのが「オリケシ」です。付属のデザインシートに合わせて消しゴムを並べ、水をつけて電子レンジでチンすれば、あっという間にすみっコぐらしのキャラ消しゴムが作れます。
4. カタン スタンダード版
世界で2000万個以上の販売数を誇る、大ヒットボードゲーム「カタン」。カタンという無人島を舞台に、自分の家を建て、道を作り、島を開拓していきます。単純なルールながら、必要な資源を計算したり相手と交渉したりと戦略が必要。運だけでは勝てないのが楽しいポイントです。
5. ギガミック コリドール ミニ
世界の教育現場で採用されているボードゲーム。コマを進めるか、相手の進路にフェンスを置いて妨害するかを選択してゴールを目指します。ルールが簡単だから子どもでもすぐに遊ぶことができます。自分の動きと相手の動きの先を読むことで、戦略的な思考が鍛えられます。
6. 立体4目並べ
4×4に並んだ棒に順に玉を刺していき、先に縦・横・斜めのどこかで先に4つ同じ色の玉を並べた方が勝ちという単純なルールです。玉の並びを立体的に考えなくてはいけないので、かなり頭を使いますよ。
大人が子どもに負けちゃうこともしばしば!?家族で盛り上がること間違いなしのアナログゲームです。
7. ブロックス
他のプレイヤーの陣地を取りつつ、自分の手持ちのピースを減らしていくゲーム。直感的にできるゲームなので、子どもでもすぐルールを覚えられます。2人?4人で遊ぶことができるので、家族でも友達同士でも盛り上がることができますね。
8. キッズ ジュニア用 エスボード
スケボーのような「エスボード」は左右交互に重心を移動させ、その推進力で前に進みます。少し練習すれば乗ることができ、乗るほどにテクニックが上がっていくのが面白いところ。遊びながらバランス感覚や集中力が身につきますよ。カラバリ豊富なので、子どもの好きな色を選んであげてください。
9. MakeBlock Codey Rocky
2020年から小学校でも必修化するプログラミング。そんなプログラミングを楽しみながら身に付けられるのがこのアイテムです。プログラミングといってもブロック遊びのように簡単にできるものから、パソコンで本格的に打ち込むものまでできるので、低学年から高学年の子まで、年齢に合わせて遊べます。
10. 壁を走るラジコンカー ウォールラウンダー
こちらのラジコンは、床からそのまま90度の壁を登れる驚きのおもちゃです。スムーズにスイスイ走っていく姿に、子どもは引き付けられること間違いなし。カラーはレッド・ブルー・ブラックの3色展開。コストパフォーマンスの高さも、うれしいポイントです。

ギガミック コリドール ミニ

今年の人-米誌タイム(Time)-

【ニューヨーク時事】米誌タイムは11日、恒例の「今年の人」(パーソン・オブ・ザ・イヤー)に気候変動対策を訴えるスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(16)を選んだ。1927年に同誌が「今年の人」の選出を始めて以来、最年少。
以前にもグレタさんのことはASDの環境活動家として紹介しました。(グレタ・トゥーンベリさん 09/28)化石燃料はエネルギーの8割を占めています。100万年かかって二酸化炭素から生成した石油を1000年で消費するとすれば(石油会社は後40年と言い、学者は採掘可能な理論値は8000年と言う)、少なくとも千倍の速度で大気中に放出していることになり、地球環境に全く影響がないというのは無理があります。ただ、温暖化の証拠についてはいくつかの子どもだましのウソがあり、これがいまだに信じられているのが問題です。

例えばツバル諸島が温暖化で融けた氷の影響で海水面が上昇して「島が沈んでしまう」 というのはひどいウソでした。盛り土した土砂が海水で削られた場所だけを映像でアピールしていたのと、衛星から観測するとツバルは実際には2%陸地が拡大していることが分かったのです。それから、北極の氷が融けて水かさが増え海水面が上がるという嘘も、アルキメデスの法則を知っていればすぐわかることです。また、南極の氷は、南極の平均気温が氷点下50度から例え10度上がったにしても氷点下40度ですから、氷が溶けだす温度ではないので海に流れるわけがないのです。また、森林は光合成で昼間は酸素を放出しますが、夜中は二酸化炭素を放出します。森林の伐採は生態系の維持には良くないことですが、二酸化炭素の増減とは関係がありません。焼き畑は、それまで植物が吸い込んできた二酸化炭素を焼いて放出しているだけなのでこれもバランスの世界です。また畑を作るので、植物が成長すれば二酸化炭素はそこに吸収されます。

このような明らかなウソが世界中にイメージ操作(メディアの主張を映像等で誘導する)で拡散され、大臣クラスの人までこの嘘(嘘と知っているかどうかは知りませんが)を平気で言い続けているのが温暖化議論の世界ですから、どうしても政治的な狙いが見え隠れします。下の表は、二酸化炭素の放出ランキングです。その下の図はGDP比率つまり1ドル生産するのに二酸化炭素を何十グラム放出するかの国ランキングです。こうした観点で各国の環境政策を見ることも大事です。若すぎるから仕方がありませんが、グレタさんの言っていることは体制批判だけで根拠を示した生産的な論点がありません。グレタさんは学生生活を放棄せずにもっともっと様々な角度から勉強すべきです。大人に踊らされているとは思ってはいないでしょうが、彼女の大西洋ヨット航行を何人もの大人が二酸化炭素を大量排出する飛行機で往復して支えている背景はかなり複雑そうです。大人は高校生環境活動家などと彼女を祀り上げて利用するのではなく、大人の力で証拠と事実に基づいた正当な議論を大人らしく行うべきです。

 

大学入試新共通テスト

2020年度から実施される大学入試新共通テストの目玉とされたのは「英語民間試験の活用」と「国語と数学への記述問題導入」でした。民間導入で格差が生じると前者の延期を発表した後、次いで「記述問題導入」への批判を取り上げた報道が広がり結局導入は延期されました。

新共通テストは現行センター試験の後継の共通テストとして計画されています。共通テストは1月に実施され、それを受けた受験生は自己採点の結果に基づいて2次試験を受ける大学を決定します。受験生は例年50万人を超えます。試験の実施から国公立の2次試験までは約1ヶ月あるが、各大学への出願期間は試験実施の約10日後からの10日間に設定されています。大学入試センターは、共通テストの成績を受験生の出願先の大学に直接送付します。当然、記述問題の成績も同様の扱いとなるので、記述問題の採点も2週間程度で完了する必要があります。

記述問題は、受験生の手書きの答案を人が肉眼で読み、採点基準に従って採点することになります。そこで、まず物理的に採点が可能なのかが問題となります。採点者は1万人とも2万人とも言われていますが、50万超の答案を短期間に正確に採点することは極めて困難です。正解例や採点基準は事前に策定されるが、必ず出題者の想定しない解答も現れます。その場合には、新たに正解例を追加したり、採点基準を調整したりする必要があり、その決定を全採点者に周知しなければいけません。また、その時点で既に採点を終えた答案の再点検も必要になります。そのような作業を50万超の答案と1万単位の採点者に対して行うことはほとんど不可能だということが延期の理由です。

そもそも、試験の内容を統一したのは、1979年共通一次テストが最初です。これは受験戦争と言われた当時の課題を解決しようとして始まった国公立大学の試験の一元化がはじまりです。この時は議論になったのは、同じ試験だけで足きりや合否を決めると大学の独自性がなくなるということでした。そこで1次試験はマークシートで共通、2次試験は夫々の大学で記述試験や面接を行って決定するというメリハリの効いた試験制度になっていたのです。そして、私学を取り込むことで一気に国家レベルの「支配力」を持つテストにする狙いで、1990年には私学も参加するセンター試験に変わりました。そして最近では、8割の私学が面接などはありますが、ほぼセンター試験の結果だけで合否が決まるようになってしまったのです。しかし、それではまずいだろうという事で、英語のリスニングが増え、さらには英会話もできた方がいい、記述試験もやったほうがいいと、かつては各大学の特色に応じてやればよかったものを、センター試験に取り込もうとして今回の混乱を引き起こしたわけです。言わば文科省の大学支配欲を動力とした共通試験の自己増殖作用が招いた結果とも言えるのです。文科省は各大学とテスト業界の要望を何でもかんでも取り入れて、大学と業界の支配と天下りの実現につなげようとしているとしか思えません。

ころころテストを変えて迷惑なのは受験生です。なんでも横に並べて揃えたらいいというものではありません。しかも、そのことが日本の教育の最も大きな課題だと言われているのにです。受験生に多様性と創造性を求めるなら、大学にまず多様性を求めるのが王道です。試験の細かなやり方まで国家が介入するべきではないのです。欧米のやり方が良いとは言いませんが、高校段階で学力テストを実施してそれを大学は参考にして必要なら他の選考試験も独自に行えばいいのだと思います。それから、発達障害の学生に対する試験の配慮事項はどう変わるのでしょうか変わらないのでしょうか。今回の試験内容の改定は読み書き障害の学生には不利な事ばかりなので、公平な試験のためにもっと検討されるべきです。

 

怒る・叱る・諭す

子どもが問題行動を起こしたり、他の子をいじめたりしている様子をみると、「ダメでしょ!」「どうしてそんなことしたの!」とついつい感情的に叱ってしまいます。でも、また同じことを繰り返して、その度に叱るけれど、全然言うことを聞いてくれない…という悩みを抱えているスタッフは多いです。感情的に叱っても子どもには伝わりません。なぜなら、感情的に叱っても、子どもはなぜ叱られたのか、なぜその行動がいけないのかを理解できないからです。

「ダメでしょ!」という感情的な言葉だけでは、子どもに「なぜダメなのか」を伝えられていません。しかし、イライラして感情的になっている時は、自分の感情に気づかず、勢いで叱っています。子どもを叱る時は、まずは自分が冷静になるように心がけ、どうすれば子どもに伝わるのかを考えながら行動します。

「友達が話しているときにお喋りされると、自分の話を無視されたと思い、友達を悲しませるかもしれないのでやめようね」というように、叱る時にダメな理由を添えると、子どもは理解してくれます。子どもはさまざまなことに「なぜ?」と感じるので、叱るのにも理由が必要です。小学生には自分で考えさせることも必要ですが、相手の気持ちや場面が読みにくい子どもには、明確に叱っている理由を教えてあげます。

理由を説明しながら叱っても聞いてくれない時は、代替案を提示します。「○○をしてはいけない」と否定で終わるのではなく、「○○はダメだけど、△△ならいいよ」と代替案を提示することで、子どもの行動を制限せずに叱ることができます。子どもは制限をするとかえって反発してしまうものですし、別の道を示してあげるのも大人の役目です。男の子なら「こうしたほうがかっこいいよ」とか、女の子なら「このほうがかわいいよ」とか、子ども心をくすぐるような代替案を考えてみます。

叱る時はその場で叱ったほうがいいのですが、かといって他の子どもたちが見ている前で叱るのはよくありません。子どもにも自尊心があるので、叱るのであれば、みんなからは見えない場所で叱ってあげてください。たとえば、高学年の子どもが低学年の子どもの前で叱られると、年上としての自尊心が傷ついてしまいます。そういう時は、みんなから見えないところまで連れて行って、「○○君は○年だから、低学年の子たちがケガしないように見てあげてね」というように言ってあげると、自尊心を守りつつ叱ることができます。

叱る時は、伝えたいことを簡潔に言うようにします。いっぺんに伝えても子どもは混乱しますし、覚えられないので、大事なことをひとつだけ伝えるようにします。大人だって、長々と叱られるのは嫌ですし、一度にたくさん言われると、何を叱られているのかわからなくなってきます。子どもだって同じです。だらだらと叱っても伝わらないので、きっぱり簡潔に、何がどんな理由でダメなのか、それだけを伝えるようにします。

子どもは理解できる言葉の数がまだ少ないので、理由を説明しても理解できないことがあります。そういう時は、感情の言葉を混ぜてみましょう。たとえば、「こうしてくれたら嬉しいな」とか、「これをしたら○○ちゃんは悲しいと思うな」とか、「嬉しい」「悲しい」といった感情を叱る言葉に混ぜると理解しやすくなります。そうすると、「これをしたら先生は嬉しいんだ」「これをすると○○ちゃんが悲しむ」といったように、相手の気持ちを考えるようになってくれるので、意味のある叱りになるでしょう。

子どもはそれぞれ発達のスピードが違うので、大人びた子もいれば、幼い考えの子もいます。子どもの発達に合わせて叱り方を変えるなど、その子の成長速度も考えた上で叱ってあげてください。理解できる言葉の範囲も年齢や個人差があるので、どういった言葉を使うかも大事です。「悲しい」ことを伝える時に悲しい表情をしてみたり、言葉以外でも絵で伝えたりすることもできます。叱るということより、「伝える」ことを意識します。感情的に怒鳴ったりせず、子どもに理解してもらえるような工夫が大事です。

叱るのは子どものためであって、大人の感情を一方的にぶつけるものではありません。子どもに伝わらないのは、叱り方が適切でないからです。何度も叱っているのに聞いてくれないのであれば、叱り方を見直してみます。スタッフも叱り方を工夫する努力が必要です。ところで「叱」と言う字は「口」を「切」るという文字で、短く鋭く怒鳴るという意味だそうです。ですから、説明をするのは叱るの原語とは少し離れた意味になりました。ここまで述べてきたことは、怒る・叱る・諭すで言えば、諭す事が大事だということです。

 

鬼門のガールズトーク

小学生2、3年生ぐらいまでは、女子も男子も混ざって一緒に鬼ごっこしたり、遊具であそんだり、ドッジボールしたり、あまり男女に別れて遊ぶこともなく、遊びの内容も女子と男子でそんなに違いはありません。ASDの子も人数合わせみたいな感じで誘われたりして、特に仲良くなくてもなんとなく参加しています。ASDの子にとってはけっこうそれが楽しかったという話が少なくないです。ASDの子はコミュニケーション、特に雑談は苦痛ですが、子供の外遊びは、会話はほとんどしなくてもいいからです。ただ、ルールに従って、ひたすら走ったり、追いかけたり、純粋に身体を動かすことを楽しめばよいからです。追われるドキドキ感や追う楽しさ、遊具を使って体が浮く感覚など、努力せずともみんなと同じ感覚を共有できるので、自然と楽しさを共感できるし、自然と互いに笑顔になることができ、なんとなく、心が通じ合ったような感覚を得られます。

女子は男子よりもコミュニケーションにおける成長が早いです。小学4年生ぐらいから、女子は男子のように体育館や外で体を動かす遊びをしなくなります。そんなことよりも、好きなアイドルの話や少女漫画の話、ドラマの話、好きな男子の話、おしゃれの話など、雑談の方が楽しくなってきます。休み時間や放課後は、男子はほとんど外か体育館で遊ぶのに、女子はほとんど教室で仲が良いグループ同士で固まり、雑談に興じているのが全国の標準的な姿です。友達がいないASD女子にとっては、この時期から困った状況になります。

今までは、誰とも仲良くなくても、なんとなく一緒に遊んで笑い合えたのに、雑談となると、仲良くないとグループに参加できないし、なんとなくグループに参加できたとしても、雑談ができず、みんなの話にも興味が持てず、わけのわからない話がどんどん展開されるのをただオロオロしながら聞くのが精一杯と言う状況が続きます。そもそも、共感力が低く、コミュニケーションレベルも低いと「会話を楽しむ」という行為の意味がわからないし、なぜ会話することが楽しいのかも全然わからないので、何が楽しい?男子はいいな…と女子のコミュニケーションレベルの成長に全くついていけず、ASD女子はなんともいえない孤独感を感じるようになります。

外遊びや体育館遊びでの交流がなくなると、友達がいなく雑談もできないASD女子にとっては、クラスの同級生との交流の手段が完全になくなり、さらに孤独な学校生活になります。こうなると、学校は何の楽しさもない、ただただ勉強するだけの場となり、本当につまらない場所となります。それどころか、つまらないだけでなく、コミュニケーションや雑談が必要な状況もあり、激しい苦痛も伴う場所にもなります。

この苦痛を取り除くためには、コミュニケーション力や他者感情を読む訓練をすればいいのでしょうか?私は違うと思います。こうした人がいることを男子も女子も子どもも教員も保護者も、みんなが当たり前のように知り、ガールズトークより外遊びの好きな高学年女子がいること、別に人が嫌いじゃなくて話すことが苦手な人がいることを、早い段階から知識として学び、仲間に入りたくても入れない仲間をそのまま受容する人間性を培う学校に一日も早く変わって欲しいと強く願います。