掲示板

みんなちがってみんないい

ワーキングメモリトレーニング

コグメドジャパンのHPに、ADHD等のワーキングメモリーは、彼らが開発したトレーニングによって改善される旨を書いた文章があったので少し読みやすくして掲載します。-----------------------------------

ワーキングメモリは、情報を数秒間くらいまでの短い時間保ち、処理する能力で、多くの高次の認知機能の鍵となる、誰もがいつも使っている重要な能力です。読んで理解する、計算をする、相手や文脈に即して会話する、作業に集中する、衝動に対して状況を見て抑制する、いくつもの料理を同時に作ることや電話にでながらメールに目を通すなどの同時作業や、最後までの段取りを考えながらひとつひとつの作業をしたり、多くの諸条件の中で最適な答えを見つけるのにワーキングメモリは不可欠です。

知能の中心である一般知能のなかでも、記憶に頼らない問題解決能力または流動性知能や、学校の成績とワーキングメモリについてこれまで多くの研究がなされ、強い関係が明らかになっています。特に注意や集中力とワーキングメモリの関係について従来から多くの研究報告がありました。認知心理学においては、ワーキングメモリの容量をみると、通常群とADHD群でおよそ標準偏差1つ分の差があることが報告されています(Westerberg et al. (2004) Child Neuropsychology)。これは、脳科学的に活動部位が重なっていることや、ドーパミンシステムの関与が示されています。

しかし、従来は、ワーキングメモリは個人の固定した能力として、自然成長以外の方法で改善したり、個人差を解消することはできないと思われてきました。

ところが、スウェーデン、カロリンスカ大学のクリングバーグ教授をはじめとするコグメド(WISC等の版権を持つ英国ピアソン社の子会社)とその創業者メンバーは、ワーキングメモリは伸ばすことが出来るか、そして能力を増したワーキングメモリはそれによって、知能、問題解決力や集中力など関係する能力や行動・症状に影響を及ぼすか(汎化)という研究課題に取り組みました。

このチームは、1999年から2001年まで、脳科学と心理学の知見と、ゲームの芸術を結集してワーキングメモリトレーニングを開発し、ワーキングメモリの改善と脳のネットワークに起きる変化(可塑的変化)を科学的に証明し、結果はNature Neuroscienceに掲載されました。さらに、このトレーニングがワーキングメモリの改善とともに、知能など他の認知機能の改善や、不注意や多動など行動・症状面の改善効果があることを科学的・臨床的に証明し、結果はJournal of the American Academy of Child and Adolescent Psychiatryに発表されました。こうして、クリングバーグ教授らは、ワーキングメモリは伸ばすことができ、知能(一般知能、流動性知能)、問題解決能力や集中力・不注意・多動などへの効果があるという答えをだしました。

体力低下

2019年度の全国体力テストでは、小学5年と中学2年の「体力合計点」が低下に転じたことが明らかになった。スポーツ庁はスマートフォンなどに時間を取られ、運動不足の傾向が強まる可能性を指摘し、「さらに体力が落ちるのではないか」と危機感を募らせている。

スポーツ庁はスマホやゲーム機、パソコンなどの画面を見ている時間を調査。平日に1時間以上使っている子どもの割合は、小5は男子83.3%、女子73.1%、中2は男子90.3%、女子87.6%に上った。いずれも16年度より多く、中2女子は6.3ポイント増加していた。同庁では、子どもが運動していた時間が、スマホなどに費やされている可能性を指摘。「小さいうちから使用時間が長くなり、幼児期からの累積の運動時間が減ってきたのではないか」と話し、長期的な影響が及んでいるとの見方を示した。

運動やスポーツの好き嫌いと、スマホ使用時間の相関関係も浮き彫りとなった。小5男子では「嫌い」と答えた児童のスマホ使用時間は「5時間以上」が33.7%で最も多かったが、運動好きな児童で5時間以上は13.7%にとどまった。中2男子もそれぞれ31.4%、9.1%で、女子も同様の傾向が見られた。同庁は運動の楽しさを味わってもらうよう体育の授業を改善する必要性を強調する。授業以外でも「仮想現実(VR)技術で疑似体験しながら体を動かす」といった例を挙げ、運動時間の増加につながるスマホなどの活用を模索すべきだとした。【時事】

運動の楽しさとは、小学生の場合は友達と遊びで身体を動かすことです。大人みたいに、マシーンで筋力アップとか、ランニングして健康度アップして楽しいという子はいません。放課後や休日のわずかな時間、みんなで走り回るから楽しいのです。だから本事業所では、お天気さえよければ、外に出かけます。部屋の中にいてはPCやらタブレットやらの誘惑が強すぎるからです。

本事業所でも山は嫌だ公園は飽きたという子どもは少なくありません。本当は落ちている枝だって楽しい工作物になるし、穴掘りだって遊びになります。水の流れは冬でも惹きつけられるし、堰止めしたりものを流したりして関わりたくなります。そこに仲間がいれば外はなんだって楽しいのですが、そのことを伝えるのは簡単そうで難しいです。

記憶障害

発達障害の記憶の問題をあれこれ書いてきましたが、老化していく人にも個人差はあるけど記憶の問題が横たわっています。名前が思い出せず、事物の現象を概念化した言葉がなかなか思い浮かばず、「あれこれそれ」と指示代名詞が多くなってきます。厄介なのは、物忘れによる思い違いです。これは周囲の人も巻き込むので影響が大きいです。記憶が衰えないという人は数少なく、多くの人は記憶の問題が年齢とともに進行します。

これを予防するのは難しいですが、記憶障害の被害を最小限に抑える方法はあります。IT機器が記憶の代行をしてくれるように自分の生活や作業パターンを変えることです。自分の記憶を信用せずデジタルデバイスに記録されたものを頼りに生きていくのです。こう書くと味気ないですが、若年層で記憶の課題を抱える高次機能障害の方等で、うまく生きている方はこの方法を多用して生きています。ただ、老化によって思考の柔軟性も落ちてきているので、これまでのやり方が変えられない方がいますが、それは周囲の方の構造化支援によってIT機器を使わざるを得ない環境に仕向ける協力が大事です。

一般的に、「記憶障害=物忘れ」だと思われがちですが、記憶障害には物忘れ以外にもたくさんの種類があります。記憶とは、外からの刺激(経験)を情報として脳にインプットし、脳内に残しておいて、必要に応じて思い出すことです。記憶には、短時間だけ覚えておく記憶、長期間保持される記憶、出来事に関する記憶、知識に関する記憶、運動や技術に関する記憶など、様々な種類があります。

記憶は、主に記憶のプロセス、記憶する期間、記憶の内容によって分類されます。
記憶のプロセスによる分類:記銘、保持、想起
記憶する期間による分類:感覚記憶、短期記憶、長期記憶
既往の内容による分類:陳述記憶(エピソード記憶、意味記憶)、非陳述記憶

記憶は、記銘、保持、想起という3つのプロセスに分類され、それぞれの段階で記憶障害が起こります。記銘とは、外からの刺激(経験)を感覚器官で知覚し、情報として脳に送ってインプットする段階です。記銘が障害されると、情報が脳へインプットされないため、脳内に記憶が残らず、思い出すこともできません。つまり、「経験そのものを覚えていない」という状態です。認知症を発症すると、新しいことを記銘することが困難になり、経験そのものを忘れてしまう(そもそも情報を脳にインプットしない)ようになります。保持とは、送られてきた情報を脳内に保存しておく段階です。記憶は、想起されないままだと時間の経過によって薄れていき、思い出しにくくなります。また、他の記憶とごちゃ混ぜになって保持している記憶が変容し、元の刺激とは異なる情報が想起されることもあります。想起とは、脳内に保存された情報にアクセスし、その情報を思い出す段階です。想起が障害されると、脳内に保存された情報にうまくアクセスできず、思い出すことができなくなります。一般的な物忘れは、覚えていたことを思い出せなくなるという現象で、想起の段階がうまくいかないことで起こります。加齢による物忘れで多いのが想起の障害です。

記憶は、記憶する期間によって感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3つに分類されています。
また、長期記憶については、記憶の内容によってさらに陳述記憶(エピソード記憶、意味記憶)と非陳述記憶(手続き記憶)に分類されます。いずれの段階でも記憶障害が起こります。

感覚記憶とは、目、鼻、耳などの感覚器官に刺激が入力された時に一瞬だけ保持される記憶です。感覚記憶のうち、注意が向けられた情報だけが短期記憶に保持され、他の記憶は意識すらされないまま消失します。感覚記憶が障害されると、そもそも周囲の刺激に気づかず、注意を向けることがなくなります。

短期記憶とは、感覚器官に刺激が入力された後、数秒から数十秒間だけ保持される記憶です。最近は、作業に必要な間だけ覚えておく記憶という意味で、ワーキングメモリー(作業記憶)と呼ばれる記憶も含めていうようです。短期記憶は、短時間だけ記憶されるという時間的な制限に加え、短期記憶として一度に保持できる容量にも制限があることが分かっています。例えば、計算途中の数字を記憶しておいたり、電話番号を確認してダイヤルするまで番号を覚えておいたりして、必要なくなったら忘れるのが短期記憶です。短期記憶が障害されると、計算や料理など複数のことを頭の中に留めながら作業することも困難になります。

長期記憶とは、数分間から一生まで長期間にわたって保持される記憶です。短期記憶と違い、容量制限がないことが特徴です。なお、神経学上は、記憶を保持する期間が数分から数日程度の近時記憶と、それ以上の遠隔記憶に分類されることもあります。長期記憶は、記憶の内容によって、エピソード記憶、意味記憶、手続記憶に分類されます。

エピソード記憶とは、経験した出来事に関する記憶です。エピソード記憶は、経験した出来事そのものに加え、時間、空間的文脈、身体や心の状態も記憶しているという特徴があります。例えば、「昨日、○○のことで、△△の、メモをした」、「普段は○○だけど、今回は△△に変えた」などの記憶が、エピソード記憶です。エピソード記憶が障害されると、経験したこと(エピソード)を忘れて行動してしまいます。ひどくなると自分の家族との思い出などをエピソードに付随する情報と一緒に忘れてしまい、話がかみ合わなくなります。

意味記憶とは、物や言葉の意味、対象同士の関係性、社会のルールなどに関する記憶です。意味記憶は、同じ経験を繰り返し積み重ねることでできあがり、エピソード記憶のように記憶した時間や場所などの情報は残りません。例えば、キュウリという単語の意味に関する記憶(大きさ、色、形、味、野菜に分類されるという知識など)が、意味記憶です。意味記憶が障害されると、人や物の名前や意味などを忘れてしまうため、「これ」、「それ」、「あれ」などの指示代名詞が多くなり、会話による意思疎通も難しくなります。

手続記憶とは、学習や練習を繰り返して身につける技術などの記憶です。手続記憶は、一旦記憶ができると無意識のうちに機能するようになる上、長期間にわたって保持されるという特徴があります。例えば、サッカーをする、泳ぐ、ギターを弾く、絵を描く、自動車を運転するなどの記憶が、手続き記憶です。認知症による記憶障害では、手続記憶が失わることはあまりなく、失われたとしても軽度に留まる傾向があります。

認知症による記憶障害は、まず、近い時期の出来事に関する記憶から障害されていきます。新しいことを記銘できなくなって、つい先ほどの経験したことを「まるで経験していないかのように」忘れるようになり、症状が進行するにつれて、過去にさかのぼってエピソード記憶や意味記憶が障害されていきます。手続記憶については比較的維持されますが、加齢による運動機能の低下により、「覚えていても実行できない」ことが増えていきます。

認知症による記憶障害への対応は、薬物療法による治療と、家族や周囲の人の関わりが重要です。認知症の記憶障害は進行性であり、症状を完全に治療する方法は見つかっていませんが、薬物療法によって症状の進行を遅らせることはできます。医師が処方した薬を用法用量を守って正しく使用できるように周囲の人が協力します。

認知症の人は、記憶障害の自覚はありません。周囲と話がかみ合わなくなるにつれて「何となく変だ。」という感覚を抱くようになりますが、自分の認識している世界が周囲の人と違うことには気づかないため、周囲の人が客観的な事実を伝えても受け入れようとしません。それどころか、「周囲の人が嘘をついている」、「自分をだまそうとしている」、「自分のことを否定された。」などと感じ、被害感や不満を募らせていきます。そのため、一旦は客観的事実を置いておいて、本人の意見や気持ちを受け止めてあげることが大切です。また、毎日のスケジュールを紙に書いて目立つ場所に貼っておく、新しいことを覚えてもらうときは何度も繰り返し伝える、身振り手振り、図示など、本人が記憶障害によって日常生活に支障を感じずに済むよう配慮することも欠かせません。

ワンダー 君は太陽(映画)

「ワンダー 君は太陽」という映画が2017年に上映されました。先天性の疾患で顔立ちが人と異なるオギーは、生まれた時から何度も顔の手術を繰り返してきました。10歳になって学校へ通い始めたオギーは、勇気を出して同年代の子どもたちの中へ入っていきますが、オギーの顔をじろじろ見たり、避けたりするクラスメートばかりです。ある日、勉強が得意なオギーは、理科の授業でクラスメートのジャックに自ら話しかけ、二人は仲良くなる。オギーは持ち前の強さと家族の温かい支援によって、学校を楽しみ、居場所を作りつつありました。しかし、ハロウィンの日、オギーとジャックの仲を裂く出来事が起きます。

オギーの姉・ヴィアは、オギーにかかりっきりの両親が自分を見てくれないことに、ずっと寂しさを感じていました。さらに親友ミランダとも上手くいかず、孤独な日々を感じています。「オギーは太陽。私たちは皆、その周りを回る惑星」と、ヴィアは自らを形容します。オギーの友達・ジャックや、ヴィアの親友・ミランダの思いや悩みついても、語られます。この映画は障害を持つ人だけでなく、周囲の人々にもスポットを当てた映画の構成になっています。

本作は評価が高い一方で、一部「障害者を利用した感動の押し付け」といった批判もあるようですが、群像劇という形で、多角的な見方を提示する映画です。邦題の「君は太陽」は、オギーだけを指すのではなく、周囲の人たち一人一人も、それぞれの人生においては太陽である…という意味のような気がします。

この作品は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を描いているという批評があります。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされているというのです。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面を取り上げることを「感動ポルノ」というそうです。

日本においては、2016年8月28日にNHK Eテレが『バリバラ 障害者情報バラエティー』「検証!『障害者×感動』の方程式で感動ポルノを取り上げ、裏番組に当たる24時間テレビを批判しました。英国BBCは1996年、障害者の「困難に耐えて頑張る」姿ばかりが描写されがちなことに対する抗議運動を受けて「障害者を“勇敢なヒーロー”や“哀れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」というガイドラインを制定しています。日本社会においても一般にもこの「困難に耐えて頑張る」ことで納得するような、隠された安易な差別意識があり、これは「覗き見」への興味であり「人の不幸」見たさのことであるというのですが、それはあまりにもひねくれた見方ではないかと思います。良いものは感動できるし、そうでないものは感動できない。表現の受止めはそれだけでいいと思うのです。

大晦日

「大晦日(おおみそか)」は12月31日を指す言葉ですが、もとは「晦日(みそか)」からきています。晦日は旧暦の月の動きと大きく関係しています。「晦」は月の満ち欠けの様子を表わす言葉の一つで、月が隠れることを意味しています。また、晦日は別名「つごもり」とも呼ばれ、同じく「月が隠れる」という意味の「月隠り(つきごもり)」が転じた読みです。旧暦は月の満ち欠けで暦が決まっていました。新月を1日とし、月が隠れる「晦」の頃がおおよそ30日であったことから、30日を晦日と呼ぶようになりました。今でも30歳を「みそじ」ということがあるように、「みそ」がもともと30の読みです。ところが新暦に変わると、ひと月が30日(または29日)で終わらず、31日まである月も出てきて、晦日は、「月の最終日」という意味に変化しました。

実際の日付が30日でなくとも毎月の末日を「晦日」と呼び、晦日の中でも1年を締めくくる12月には大をつけて「大晦日」と呼んでいるのです。大晦日は歳神様(としがみさま)を迎え入れる準備をし、来訪を待つ日でした。大晦日の歴史はかなり古く、平安時代まで遡ります。歳神様とは、稲の豊作をもたらすとされている神様のことで、農作物が豊かに実り、食べるものに不自由することなく暮らせるようにと、昔から大切に扱われてきた神様です。また、歳神様は各家庭にやってくることから、家を守ってくれる祖先の霊とも考えられていたようです。

昔は1日が夜から始まって朝に続くとされており、大晦日の日暮れからすでに新年の始まりでした。そのため、大晦日の夜は歳神様を待ち、一晩中寝ずに起きておくという習わしです。うっかり早く寝てしまうと、白髪になる、シワが寄るなどという女性にとっては恐ろしい言い伝えもあったそうです。新年を気持ちよく迎えるため、大切なお客様である歳神様を迎えるにあたって、家の掃除は不可欠です。大掃除は、地域によって異なりますが、12月13日から始め大晦日までに終わらせるのが本来です。ただし12月29日は9という数字が苦に繋がることから縁起が悪いとされていて、掃除をしません。また、その年最後の掃き掃除のことを「掃き納め」と呼びますが、元日に掃除をしてしまうとせっかく招いた歳神様を掃き出してしまうことになるため、新年に掃除は行いません。

昔は新年を迎えると、数え年で一つ歳をとります。そのため新年に変わる大晦日の夜から、お頭付きの魚や雑煮などの縁起のいい食事を囲んで、一年の無事を感謝し、共に祝いながら家族団欒の時間を過ごしていました。昔の大晦日は家族全員が集まることが当たり前でしたが、今はカウントダウンなどのイベントが行われるようになり、友人や恋人と過ごすという人も増えています。でも、一年の節目となる日だからこそ、大晦日は家族でゆっくりと過ごし、家族揃って一年を振り返り、新年の抱負などを語り合うのも、家族の絆を深める良い機会だと思います。