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みんなちがってみんないい

発達障害のある大人

発達障害のある大人は、「相手の気持ちを読めない」「注意のコントロールが苦手」などの特性のため、子どもの頃から集団に馴染めないということが起こりがちです。そのため、いじめを受けたり、なんとかして周囲に合わせようと無理をして、苦しい思いをしてきたという人も少なくありません。それなのに、なぜ大人になるまで発達障害があると分からなかったのでしょうか?

考えられるのは、周囲の環境や人間関係によってカバーされていた場合です。学校では、決められた日課に沿って生活し、与えられた課題をこなしていれば、人付き合いが苦手であってもあまり問題にはなりません。勉強ができれば、多少場違いな行動があっても、先生や親がフォローしてくれるでしょう。家族や先生、仲のいい友達といった限られた人間関係の中では、発達障害の特性も「個性的」ということで認めてもらえていたかもしれません。しかし社会人になると人間関係は複雑になり、いろいろな人とやりとりをしなければならなくなります。相手の表情や空気を読み取ったり、周囲に合わせて行動するなど、高度なコミュニケーション能力や社会性を要求されるようになります。また仕事や学習においても、人から与えられるものだけでなく、自ら計画を立て、主体的にアプローチしていくことが求められます。そうした周囲からの要求によって、それまで潜在的にあった特性が一気に浮かび上がってきて、社会生活に支障をきたすということが考えられます。

また、発達障害という概念が知られるようになってきたのはごく最近であり、以前はその特性からもたらされる失敗や困難さを、本人の努力不足や親の育て方のせい、とされることはよくありました。いまでもそうした傾向は残っています。そんな誤解の中で自らの特性や対処法を学ぶことなく育ち、社会に出てから頑張って働こうとしてもやはりうまくいかず、深く傷つく中でようやく「発達障害」という言葉と出会い、診断を受けた、というケースも少なくないのが現実です。さらに、せっかく医療機関を訪ねても、成人を診る精神科医の中で発達障害のことがよく理解されておらず、統合失調症など、他の疾患と誤診されることもありました。そのため、誤った治療を受けて苦しんだという人もいます。

自分の「生きづらさ」の原因がわからず、周囲からも理解されず、マイナスの経験が積み重なっていくことは、「自分は周囲に受け入れられていない」という感覚を抱いたり、“普通”になろうと無理な努力を重ねたりすることにつながり、その結果として社会的な不適応を起こしやすいといえます。ある研究によれば、ひきこもりの人たちの3割に発達障害があったことがわかりました。しかもそのほとんどは本人も家族も気づかず、診断されていない人たちです。現在も発達障害に気づかないまま、社会適応がうまくいかず、苦しんでいる人たちは数多くいると考えられます。しかし、大人になってからわかった場合でも、悪化を防ぎ、治療を進めることはできます。発達障害の特性を踏まえた環境の調整、生活の工夫、ソーシャルスキル・トレーニングなどと組み合わせていけば、状況を改善していくことは可能です。

 

人手不足

福祉と介護業界においては、人手不足が年々深刻化してきています。ハローワークなどの公的な就職機関や民間の就職サイトなどを見ても、介護や福祉に関わる求人件数は他の業界を圧倒するほどの数になっています。しかし、一方でそれら求人に応募した人材の多くがすぐに退職をしてしまうという例も多く、せっかく採用をしても長く定着してくれるスタッフがいないことがまた次の人手不足を生むという悪循環を生み出しています。

人手不足と言われ続けている福祉・介護業界ですが、2013年の調査では、介護の現場で業務に従事している人数は約100万人とされているところ、実際に必要であると計算されている従事者数はなんと約140~160万人と言われています。少なく見積もっても約40万人が不足しているという計算ですから、いかにその負担が大きいかということがうかがえます。

人手不足の理由はいくつかありますが、それは主に職場内の待遇が他業種に比べてあまりにも悪いということが挙げられます。力仕事を伴う長時間労働にもかかわらず給与水準が非常に低く、また決定的にスタッフ人数が足りないために一人あたりの仕事負担が多いということがそんな職場の不満を生み出してしまっています。問題点は多方面から言われているものの、これまでのところ決定的な解決方法はまだ見つけられていません。

そして、児童福祉でも同じような現象が想定されます。保母が足りないだけでなく、指導員も正規は足りません。福祉は低賃金で人手不足でよけいに休暇が少ない。障害や子どものことをよく知らない事業主が経営して、預かればいい集めればいいという本音が見え隠れする。個人経営も多くブラックだという印象があるのも否めません。風評が悪循環を起こしている感も否めません。私たちにできることは、こういう風評を駆逐すべく発信をし続けることくらいですが地道に頑張りたいと思います。

模倣と発達

支援者は良かれと思ってスポーツやゲームの様々な模倣を子どもにさせようとしますが、子どもにとっては時として意味不明なリクエストを支援者から求められていることになる場合があります。子どもに模倣で獲得させようとする時、子どもの発達段階を良く見極めておく必要があります。

模倣には、大きく分けて2種類の模倣があります。音や声を聞いてその通りに発声する「音声模倣」、人の動きを見てその通りに身体を動かす「身体模倣」と整理することができます。身体模倣は、発達の初期には、他者が楽器やおもちゃを操作するのをみて真似る(例:太鼓をバチでたたくなど)ことから始まります。まねっこ遊びが難しい子どもの場合は、いきなり身体の動きを真似させようとするよりも、道具の操作模倣から始めるようにします。

発達において、模倣が未形成な段階だった子どもが、次第に模倣の能力を高めていくことはとても重要な意義をもちます。
(1) 人の動きをもっとよく見ようとする認知が育つ
(2) 動きや音の細かな違いを見分けよう、聞き分けようとする弁別の力が育つ
(3) 動きの速度や強さ、身体部位の位置関係などをコントロールする運動調整力が育つ
(4) 他者を意識し、他者に合わせようとする社会性が育つ
(5) 日々のできごとをあとになって模倣表現したり、生活場面のみたてあそびをしたりするようなイメージする力の基礎的条件が培われる

テレビ番組の参加などで出て来る子どもは、モデルとなる動きを見て、その場ですぐに新しい形を真似をしていますが、あれはオーディションがあります。できる子やまぁまぁの子、できないけど場の共有ができる子を選んでいます。全く関心のない子は選んでいません。予備選考ではテレビの前で一緒に模倣したり体を揺らすなどして興味深く見ているかで選考しています。従って、そこまで対応の力が育っていない子にとっては、あの模倣は難しすぎる課題になります。療育現場などで模倣を学習させる場合には、模倣の内容の難易度をおさえて指導を行うことが大切です。
(1) 身体接触型から非接触型へ
「頭、肩、膝、ポン」の歌遊び、拍手、ちょうだいのサインなどは、身体部位に直接触れる動作を模倣します。これは、運動の終わりを伝えやすく、姿勢も保持しやすいため、非接触型の動作(両手を「前へならえ」の姿勢に保つなど)よりも早くから真似しやすい動作であると考えられています。
(2)座位模倣から立位模倣へ
いすに着席した姿勢で模倣をさせたほうが、立位で模倣させるよりも簡単です。これは、姿勢保持の面で安定しやすいということと、モデルとなる人の動きを目で追うときに視線が安定しやすいということが関係しています。
(3) 左右対称模倣から非対称模倣へ
両手を同時に挙げる、両足を同時にひらくなどといった左右の手足を同側的に動かす模倣は、左右が別々の動きをする模倣よりもやさしくできます。左右で別々の動作を行う非対称型の模倣は、運動の方向性を調節するという身体機能の発達だけでなく、2つことを同時に考え続けるだけの記憶や注意といった認知機能の発達が必要になります。
(4) 正中線を越えない肢位から越える肢位の模倣へ
右手で左耳をさわるなどのように、正中線(身体の中央を頭から縦にとおる線)を越えるような動きが入ると模倣は一気に難しくなります。まずは、正中線を越えない動きの模倣から始め、つぎに片手だけが正中線を越えるような動き、そのあと、両手が正中線を越える動きや交叉がある動きなどのように難易度を上げます。
(5) 静止姿勢の模倣から連続動作の模倣へ
静止する姿勢の模倣のほうが、連続動作の模倣よりも早く獲得され始めます。ただし、ジッとしていることが苦手で多動傾向が見られる子どもの場合は、静止姿勢のほうが困難であるということもあります。連続動作が全般的に苦手な子どもであっても、大好きなヒーローの変身シーンのような意味をもつ動きの模倣は得意という子どもがいます。音楽や映像などを用いるとイメージが浮かびやすくなりますので、支援の手立てのヒントにします。
(6) 左右の広がりから前後の奥行を用いた模倣へ
前後、左右、上下などの空間・位置関係を模倣に用いる場合は、いすを用い、自分といすとの位置関係を模倣させることから始めると理解がすすみます。特に前後の奥行を教える場合は、左右よりも見分ける力が必要になるため、いすを基準にすることで自分の立ち位置、姿勢、動きが伝わりやすくなります。
(7)記憶した動作を再生する模倣へ
モデルの動作を一度記憶し、モデルがない状態でも再現ができるようになると、より高度な模倣が可能な段階に入ったということになります。

身体の動きの不器用さがみられる子どもたちの中には、まねっこあそびを嫌がる子どもがいます。嫌がり方もさまざまです。うまくできないことを隠すかのように、わざとふざけることもありますし、他児のじゃまをするような行動をとることもあります。みんなの前で失敗することを恥ずかしいと思う気持ちが強い場合、子どもがモデル動作を示す役になり、大人が失敗してみせるなど、上手に笑いのタネに変えていきながら、楽しんで取り組める雰囲気が必要です。でも一番大事なことは子どもがわかる段階の模倣を選ぶことです。

発達性協調運動障害

全身運動や手先の操作においてぎこちなさのある子どもは、不器用とみなされてきました。ところが、不器用を障害の一つとして位置づけて「発達性協調運動障害」と呼ぶようになり、医師や作業療法士がアプローチを行うようになりました。英語ではDevelopmentalCoordinationDisorderといい、DCDと略記されます。単独で診断名がつくケースもありますが、自閉スペクトラム症(ASD)・注意欠陥多動性障害(AD/HD)・限局性学習障害(SLD)などを併発する例が多いです。

発達性協調運動障害は国内外で関心を集めており、日本でも2016年に日本DCD研究会が開催され、その後は日本DCD学会として正式に発足しました。ここには医療・福祉・教育など多様な分野の人が集まっています。世界的にも小児・発達障害領域では高い関心が寄せられています。

発達性協調運動障害の子どもは、全身を使った粗大運動と、手先を使った微細運動の両方に困難感があります。●なわとびを跳べない●自転車に乗れない●ボールをキャッチできない●ジャンプのときに足がばらばらになる●スキップができない。このように、手足を協調的に動かす場合をはじめとして、視覚的なターゲットやリズムなどに協調して体を動かすときにうまく遂行できないケースが多いです。乳幼児期の運動発達は個人差も大きいですが、ハイハイなどの運動の獲得に遅れが生じているとDCDのリスクが高いと考える人もいます。

また、手先を使った微細運動では、学齢期に図工、音楽などの授業でつまずきが認められ、顕在化する例も少なくありません。●リコーダーや鍵盤ハーモニカを吹けない●コンパス・定規・消しゴム・はさみの操作が苦手●ノートのマス目に文字をかけない●筆圧のコントロールが難しい●エプロンや靴のひもを結べない●服のボタンをとめることができない●箸の操作がうまくできない。このように、「不器用」によって生活や学習に影響が及ぶ場面が多いです。体育・図工・音楽などの教科学習が苦手な子どもを「ただの不器用」として軽視しないで本人の困り感を把握する必要があります。不器用によるニーズを抱えた子どもには、幼児期など早期からできるトレーニングを行うことが望ましいです。

療育場面で子どもの状態を評価するときは、運動機能だけに着目するのではなく、多角的に分析していくことが大事です。発達障害領域の療育場面では、保護者からの聞きとりが非常に重要です。生活上のニーズや達成したい目標などを丁寧に聴取します。指示が理解できる子どもでは、評価スケールを使って運動機能を分析します。観察評価から得られる手がかりも多いですが、こうした記録を残しておくと、あとで比較する際にも役立ちます。

運動だけでなく、認知面・行動面を併せて評価することが大切です。運動の不器用だけでなく、マス目や図形などの視覚情報をうまく処理できず、書字や描画でつまずいている可能性もあります。また、不器用の原因が注意集中に課題があるために、手先を使った活動が大ざっぱになっているという場合もあるので、多角的に状態を分析していくことが重要です。

運動が不器用であっても、繰り返しさまざまなトレーニングを行っていくと成果は上がります。作業療法などでトレーニングを長く行ってきた子どもと、なにもしてこなかった子どもでは、非常に大きな開きがあると言われます。運動のスキルは経験的な影響も受けるので、ちょっとした遊びの工夫が大事です。

発達性協調運動障害の子どもでは、筋肉の緊張が低いために体をうまく操作できないとか、運動経験が乏しいためにパフォーマンスが低いなど、さまざまな背景要因があります。筋肉が柔らかく、体がくたっとしている子どもには、丸太型のブランコにしがみついて、全身に力を入れる運動などを準備として行っておくと、そのあとに行う運動学習に役に立つかもしれません。

協調運動と一言でいっても、そのバリエーションはさまざまです。粗大運動であれば、マス目に合わせてジャンプする運動をしたり、ブランコに乗りながら輪投げをする活動をしたり、さまざまなトレーニングをすることができます。リズムに協調した運動が苦手であれば、手拍子に合わせて運動するような練習も効果的です。微細運動の場合は、机上で線引き課題を行ったり、ジェンガなどで力加減のコントロールを行ったりといった活動をしてみると良いです。

「体育でなわとびができなくて困っている」「中学校で上靴が指定されるので、靴ひもを結べるようになりたい」など、具体的なニーズがあがってくることも多いです。なわとびの場合は、まずフラフープを回しながら輪の中をくぐる練習から始めたり、タオルを両手に持って縄を回す運動だけやってみるなど、工程を細分化します。靴ひもの場合は、色の違う2本のひもを使って手順を学習していくなど、その子どもが理解しやすい手がかりを見つけて練習していきます。

発達性協調運動障害の子どもは、単に不器用であるだけでなく、幼稚園や学校の活動で困っていることがある例が大半です。もちろん運動ができれば良いというわけではありませんが、子どもたちが自信を持って活動や学習に取り組めるよう、療育でフォローしていくことはとても大切です。また、工作や調理等では作る楽しさがすぐに味わえる、逆言うとどうせできないなどと自尊感情を下げない教材の工夫が求められます。

前思春期

「思春期」と聞くと、ティーンエージャーの時期と思いがちですが、実は、小学校の中学年あたりから、助走は始まっています。「今までは学校や友達のことをよく話してくれたのに、最近はなんだか無口。こちらから聞くと、なんだかめんどくさそうで無愛想になった」「きちんと整理整頓するタイプだったのに、最近では部屋や机の上が物置状態!」「最近、まわりの目をすごく気にするようになった」……。それまでは純粋で元気な子どもだったのに、小学生4年生あたりから子どものこんな変化を不安に感じる大人は多く見られます。そろそろ思春期の前触れ「前思春期」なのです。

一口に思春期といっても、年齢によってその表れ方に微妙な差があります。個人差はありますが、第二次性徴がはじまるのが9、10歳ごろ。ホルモンの分泌が盛んになり、成長へ体力が取られて、体内バランスが崩れやすくなる時期です。また、心理の面から考えると、自我が芽生えるのも10歳前後です。自我が芽生えると、幼い万能感が薄れて、現実が見えてきます。正式な思春期の一歩手前を「前思春期」と呼びます。

不機嫌だったり、イライラしていたりと思春期特有の態度は、体内の変化に要因があります。性ホルモンや成長ホルモンといったさまざまな脳内物質の分泌が活発になると、体調も不安定になりがちなのです。とくに、11、12歳くらいは体や脳が急激に発達する時期。思春期のはじまりです。感情中枢も刺激を受けて、イライラしたりだるくなったりと、本人もどうしたらいいかわからないくらい不安定な時期です。

さらに、自我の発達により、自分とほかの人との間で大きく感情が揺れ動く体験をするのもこの時期です。友達と自分を比較して、自分の実力を実感することで自信をなくしたり、自尊心がぐっと低下することもあるでしょう。少し先を想像する力もついてくるので、さまざまなことへの不安を感じるようにもなります。だから、小グループをつくって、徒党を組んで行動したがります。小さな集団は形を変えつつもその構成員である子どもは属性を拠り所とします。逆に友達のいない子どもは一気に所在がなくなります。高学年時にはどの集団にも属さず独りぼっちだったというASDの子どもは少なくありません。これはASDの子どもは徒党を組むことに関心が少ないからでもあります。

とにかく、思春期前後の子どもはかなりハードな環境にあるのだということを、大人はまず認識しておきましょう。子どもだって、好きでイライラしているわけではないのです。いろいろしんどくて、大変な時期なんだなと大人が知っておくだけで、対応もずいぶん変えられるはずです。大人が理解していれば、子どもの不愛想な態度にいちいち腹を立てることがありません。よけいな言い争いも回避することができます。この時期の子どもに、大人にぜひやってほしいのは、言葉に頼らず、子どもをよく見て観察することです。表情や部屋の様子など、さりげなく見守ってあげましょう。自尊心がぐっと低下しやすいときなので、なにかひとつでも子どもが得意なこと、頑張っていることに注目してください。子どもが、自分はこれが得意だ好きだと確認することで、励みになります。

体が変化することは自分の意思によるものではないので、子どもは不安で仕方ないのです。この不安をとりのぞくには、「知識」をつけてあげることです。体の変化はなぜおこるのか、なぜ気分が晴れないのか。それが成長の一過程であり、生理的な現象であることがわかれば、子どもの不安はかなり解消されるます。無邪気だった低学年の頃に比べて、なんだか憂うつ。この年代の小学生は、いつもブルーなのです。思春期は、大人ばなれ、子ばなれの時期。それまでの子育てをシフトする機会でもあります。子どもは大人と少しずつ距離をとり、自分の世界を構築していくので、大人と話したくなかったり、話したくないことが出てくるでしょう。大人の干渉がうっとうしいのも、ある意味健全な成長の証拠です。