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ドラゴン桜

『ドラゴン桜』は現実味ゼロ──関係者が語る「底辺校」の残酷な現実

2021/05/14 【日刊サイゾー】
文=藤井利男(ふじい・としお)

『ドラゴン桜』(TBS)
低偏差値の高校に通う落ちこぼれの生徒たちが、カリスマ教師の優れた指導のもと、半年で東大に合格する──現在放送中の『ドラゴン桜』(TBS)は、そんなストーリーで好評を博したドラマが16年ぶりに復活した作品だが、現実は常にドラマよりも残酷だ。

『ドラゴン桜』は同名のマンガが原作の物語。「つべこべ言わずに東大に行け」を決めゼリフとする主役の「桜木建二」(阿部寛)が教壇に立つ高校は、偏差値が32といういわゆる底辺校で、そこから東大合格者を出すのがミッションだが、偏差値が40に満たない県立高校出身の30代男性のOさんはいう。

「偏差値が低い高校というと“不良の巣窟”みたいな想像をされますが、決してそうとは限りません。私はヤンキーではなかったので、入学する前は身構えていましたが、いざ入学すると、不良はごくわずか。欠席、遅刻、早退をする生徒がとにかく多く、教室は静かなものです。授業中は大半の生徒が寝ており、教師もいちいち怒りません。本人も親も教育というものにまったく興味がないので、『東大に……』と叫んでもまったく響かないでしょうね。

卒業後、地元の塾経営者と知り合いになり、出身校を言うと、私の母校は教育関係者の間で“無気力校”と言われていることを知りました。喜怒哀楽が欠落していて、他人に興味が無い子ばかりだったので、腹が立つというより『何てピッタリな表現なんだ』と思いましたね」(Oさん)

いくつかの不幸が重なり、実力よりはるかに偏差値が低い高校に通ったOさんは、奮起して大学に進んだが、高校時代は「暗黒の3年間」だったそう。マンガを読むか寝ているかの同級生ばかりで、学園祭も体育祭もまったく盛り上がらず、友達はほとんどできなかったという。一方、20年以上の教師経験を持つTさん(40代男性)は、よりシビアな現実を語る。

「これまでいくつもの高校で教鞭をとり、その中には偏差値が学区ビリの高校もあって、大きなカルチャーショックを受けました。赴任が決まった時は、マンガに出てくるようなヤンキー高校を想像しましたが、予想に反して教室は静かで、生徒も授業を聞いています。けれども小テストをやると、まったく理解していない。授業のペースが早すぎるのかと思い、ペースを落としてもダメです。

生徒を見ていると、高校生とは思えないくらい言動が幼稚だったり、極端に特定のことにしか興味が無かったり、中には会話がほぼ成立しない子もいて、知能指数が知的障害ギリギリの子、発達障害の子が恐らく相当数いたはずです。低偏差値校の生徒が“アルファベットが書けない”“分数の計算ができない”などと笑いの種にされることがありますが、マジメにやってもできない子がいるということを知ってほしいです」(Tさん)

そんな重たい話がドラマになるわけはないが、「つべこべ言わずに…」と尻を叩けば誰でも出来るほど、世の中は甘くないのだ。

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『ドラゴン桜』(ドラゴンざくら)は、メディアミックス・ジャパン(MMJ)・TBSテレビ制作によりTBS系「金曜ドラマ」枠で2005年7月8日から9月16日まで毎週金曜日22時 - 22時54分に放送された日本のテレビドラマ。三田紀房の漫画作品『ドラゴン桜』を原作に、元暴走族の貧乏弁護士が平均偏差値36の高校生を東京大学に現役合格させるまでを描いた作品。阿部寛主演。

2021年4月25日から、前作の15年後を描いた続編『ドラゴン桜』が「日曜劇場」枠で放送開始。第1シリーズで主要人物を演じた阿部寛と長澤まさみが同じ役で引き続き出演する。また、TBSとMMJの共同製作だった第1シリーズと違い、第2シリーズはTBSの単独製作となる。漫画版の続編『ドラゴン桜2』が原作だが、今の時代に合わせたエッセンスを入れ、ドラマオリジナルの展開が予定されている。

あらすじ
第1シリーズ
元暴走族の弁護士・桜木(阿部寛)は、経営難の三流私立校・龍山高校に債権者代理として乗り込む。教師・真々子(長谷川京子)らを前に、学校の解散と教師の解雇を通達。だが、弁護士としての名を上げるため、桜木は解散ではなく、東大合格者を輩出する進学校にする再建案をブチ上げる。桜木は東大受験のための特別進学クラスを創設し、生徒たちの東大合格のために奮闘する。
第2シリーズ
龍山高校での成功をきっかけに、同様の底辺高校再生の仕事が舞い込むようになった桜木は虎ノ門に事務所を構える順風満帆な弁護士人生を送っていたが、2年前に依頼された高校で特進クラスの8人中7人を東大に合格させたものの、一人だけ不合格だった男子生徒・米山がナイフで桜木を刺した上に自殺未遂を起こしたことによりマスコミから叩かれる一大スキャンダルとなり、自身も消息不明となっていた。前シリーズでの教え子であり、東大卒業後に弁護士となって桜木法律事務所で働いていた水野直美は独立して事務所を設立したものの経営が行き詰っており、かつての龍山に匹敵する落ちこぼれ校「龍海学園」から翌年に東大合格者を5名出す条件で再建を引き受けることで起死回生を図る。福井県で自堕落な生活をして落ちぶれていた桜木を見つけた水野は、彼を再び教育の場へと連れ出そうとする。
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水野直美弁護士こと長澤まさみは、『コンフィデンスマンJP』の「ダー子」にしか見えないなぁと思いつつ観ています。底辺高校は発達障害の受け皿でもあります。今回のドラマでは重度のASDとはっきり分かる昆虫大好き高校生(原健太=細田佳央太)まで登場します。「桜木建二」こと阿部寛の台詞は学ぶことの本質を語るので、一言一言胸に刺さります。

日刊サイゾーの編集部は学習障害についてもう少し正確に書いてほしいなと思いました。書けないだけ、計算ができないだけで知的な差異はないのだということや、偏差値とはワーキングメモリーを含む記憶力を測ったばらつきを指しているだけだということです。今後、原健太君がサバン症候群の能力を発揮して「記憶」と「偏差値」について一石投じてくれると思います。

中止・延期。子どもたち不在で事を進めていいのか?

今年も修学旅行、運動会が中止・延期。子どもたち不在で事を進めていいのか?
妹尾昌俊 | 教育研究家、学校・行政向けアドバイザー

5/17(月) 【Y!ニュース】

新型コロナウイルスの影響を受けて、1年前と同じく、今年も修学旅行や運動会などの学校行事の中止、延期などが各地で起きています。

「楽しみにしていた運動会は中止することにしました」。10日、福岡市の小学校では校長が校内放送で告げた。1年生のクラスでは「えー」と悲鳴が上がり、「寂しすぎる」と泣きだす児童もいたという。40代の女性教諭は「なぜ東京五輪はできて、運動会はできないのか」と憤る。

 福岡県教育委員会は10日、運動会やクラスマッチ、文化祭、学習発表会、修学旅行などの学校行事は宿泊等の有無にかかわらず、実施しないよう県立学校に通知。福岡や北九州、久留米、飯塚各市なども宣言期間中は運動会を実施しないと決めた。

(西日本新聞2021年5月14日)

変異ウイルスが猛威をふるうなかですから、理解できる部分も多々あります。しかし、一方的な中止等は、学校教育の根っこに関わる、別の問題もあります。

■多くの自治体が修学旅行や運動会の中止を呼びかけ
教育新聞(2021年5月7日)は、その日時点で緊急事態宣言が出ている都府県の状況を整理しています。(※5/7現在の状況。今後の状況等しだいで変更がある可能性はあります。)

東京都:学校行事で感染リスクの高い活動は中止。修学旅行は中止または延期。
京都府:学校行事で感染リスクの高い活動は中止。修学旅行は緊急事態宣言中は実施しない。※京都市も同様。
大阪府:府県間移動を伴う学校行事は中止、延期。修学旅行は緊急事態宣言中は中止・延期。※大阪市、堺市も同様。
兵庫県:学校行事で県外の活動は見合わせる方向。修学旅行は原則行わないが、一部は学校判断。
神戸市:児童生徒が接触する学校行事の活動などは中止。修学旅行は中止または延期。
愛知県:修学旅行を含め学校行事は中止または延期。
名古屋市:検討中。
福岡県:検討中。
福岡市:検討中。
北九州市:運動会や体育祭は延期

中止または延期という判断のところが多いようです。修学旅行は大人数で飲食や宿泊を伴う活動ですし、運動会、体育祭などでは接触する種目もありますから、新型コロナの感染防止の観点からは、延期等もやむを得ないという判断であろうと思います。

理解できる部分は多いのですが、一方で、とても気がかかりなこともあります。ここでは2点に整理したいと思います。

■疑問1:「中止」という選択肢しか本当にないのか?
延期はまだわかりますが、早々に「中止」を決定する自治体、学校もあります。本当に「中止」しか選択肢はなかったのでしょうか?

修学旅行について言えば、感染リスクが低い地域に変更、延期したり、日帰りの体験活動に変更したりする例が昨年度もありました。運動会なども、学年別に分けて開催したり、接触の多い種目は除いたり、保護者等の人数を限定したり(あるいは無観客にしたり)する例もありました。

こうしたことは、教育委員会も教職員もよくわかっているとは思いますがが、感染リスクが心配なので「中止」しかない、という考えのところもあるようです。

■疲弊して萎縮する学校現場
「もう少し柔軟に、幅広い選択肢から考えたらよいのに」と、私は感じますが、「行事を強行して、感染者が出たときには、すごく学校が非難される」という心配、もっと言えば、恐怖が学校や教育委員会には強いのだろう、と思います。

ある教員も「もちろん、やれるものなら、やりたいという気持ちは先生たちにもありますよ。でも、何かあったときすごくバッシングされるのはいつも学校です」と言っていました。

実際、行事にかぎらず、普段の学校で感染者が出たときも、学校の対応がマズかったのではないか、という批判、非難が多く寄せられる地域はあります。地域のかたや議員さんからクレームが入るのです。家庭内感染が主なルートであったとしても。冷静に話をしてくれる人ばかりではありません。

ただでさえ、多忙を極めているのが、多くの学校現場です。やっかいなクレーム電話に対応するのは、精神的にもすり切れてしまいます。

※もちろん、学校の対策が十分だったかどうかという検証や検討は重要なので、こうした苦言をすべて「クレーム」と見なすことも適切とは言えませんが。

「中止」とすぐに決めてしまう教育委員会や学校のなかには、こうしたこれまでの痛い経験があるため、萎縮してしまっているところもあるのです。

なお、文科省は感染対策は講じた上で、修学旅行等をなるべく実施してほしい、という考えです。再三通知を出していますが、この4月1日にも、「令和3年度における修学旅行等の実施に向けた配慮について」という文書を出しています。

■疑問2:子どもたち不在で決めていくのが「教育」か?
ちょうど約1年前の状況を振り返っても、修学旅行や運動会、体育祭、文化祭などの中止が相次ぎました。私が問題視しているのは、中止の是非というよりも、その決め方です。

すべての地域がそうだったとは申し上げませんが、一部の教育委員会や校長は、子どもたち不在でいろいろ事を進めようとしてきました。教育委員会と校長会でゴニョゴニョと協議し、早々に決めたところも多かったですし、昨年度は夏休みを大幅に短縮する動きも一方的でした。調査データがないので、推測になりますが、おそらく多くの地域では、こうした決定の前に児童生徒の声を聴いたという形跡はほとんどありません。保護者もほとんど関与できなかったところが多いのではないでしょうか。

約1年前に見られたことが、また今年も繰り返されつつあります。

本当にこんなことでよいのでしょうか?

ある学校(複数)では、修学旅行の代替となる校外学習を小6、中3の子どもたちが話し合いながら企画しました。そういう学校と、「コロナで残念だったね」で済ませる学校で、どちらが子どもたちが育つでしょうか?

■日本の教育は「従順さ」ばかりを育てている
子どもの権利条約では、子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮することを求めています(第12条)。

日本が子どもの権利条約を批准したのは1994年。25年以上経っているのに、学校や教育行政では、いまだに、子どもたちの意思や意見が十分に尊重されているようには見えません。子どもの権利・法律問題に詳しい、佐藤みのり弁護士はこう話しています(強調は引用者、大人んサー「夏休み短縮、部活動中止…子どもの意見を聞かず、大人だけで議論していいのか」) 。

 こうした声(引用者注:子どもたちの声、意見)に耳を傾けず、大人だけで物事を決めてしまうと、子どもは『どうせ自分たちが意見を言っても大人は聞いてくれない』と感じ、次第に『何を言っても無駄だ』と諦めるようになってしまいます。教育が大きく変わる可能性のある今こそ、大人が子どもの意見にしっかり耳を傾けるチャンスです。

 子どもの意見をよく聞き、それを踏まえて議論し、その過程や結論を子どもに分かりやすく説明することが大切です。そうすることで、子どもは大人が真剣に向き合ってくれたと感じ、今後もあらゆる場面で、自ら考え、意見を言えるようになるでしょう。

「主体性のある子どもを育てる」「自律的に学び続ける大人になっていってほしい」。こう日本中の先生たちは言うわけですが(学校目標にはそういう文言がよく入っています)、まったくきれい事ではないでしょうか?

「教育委員会や先生の言うことに黙って従うのが〝いい子〟」ではありませんよね?

■理不尽な校則を押しつけることも、根は同じ
茶髪禁止、ツーブロック禁止、スカートはひざ下5センチ、下着は白のみ。「ブラック校則」と言われることもある、合理的な理由がよくわからない校則を押しつけることも、行事の中止等と同じ根っこの問題がある、と私は見ています。

かつて荒れて生徒指導がたいへんだった時代に、頭髪や服装などを厳しくしないと、地域等からクレームがたくさん来る学校もありました。ともかく校則を守らせておけばそうしたクレームにはならないだろうという安直な考え方が教職員に引き継がれ、また、日々忙しいなかで、校則や学校の決まりを見直そうというエネルギーさえ生まれてこない。そして、子どもたちの意見表明や主体性を軽視してきたことが、こんにちまで続いているのです。

学校や教育委員会だけを責めて解決する問題でもありません。教育関係者に加え、保護者や地域のかたなど、多くのかたが、「大人の言うことを子どもたちは黙って従っていればいい」という教育をしてしまっている現実に気づき、「もっと子どもたち主体で練り直そう」、「コロナでたいへんだけれども、だからこそ、子どもたちと一緒に考えていこう」と転換できるかかどうかが、問われています。

※本稿は、拙著『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』(PHP)を加筆して作成しました。

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筆者も妹尾氏の意見に同意します。一度決めたら変えられない。その理由に政権や学校の「権威がなくなる」ことを恐れているのだそうです。明治維新然り太平洋戦争然り、幕府の攘夷方針を変えることができず薩長に政権を明け渡した徳川、ミッドウェー海戦で空母を致命的に失うのに停戦協定等に移行できなかった大本営と同じです。そこに横たわっているのは、権威とか言うけど、それは言い訳でかっこつけてるだけだと思うのです。農耕型ムラ社会が足並みを揃える事で生産性を維持するために作った文化、身に染みた同調圧力が怖いだけではないかと思います。子どもと共に語り合う事は、自分たちのことは自分たちで決める自立心を育てていくのだと思います。

大阪市の小中学校 24日から通常授業

大阪市の小中学校 24日から通常授業を再開へ

05月17日【NHK】

今回の緊急事態宣言を受けて、大阪市立の小中学校が自宅でのオンライン学習と、学校でのプリント学習を組み合わせる形で対応していることについて、市の教育委員会は、今週後半から授業を段階的に再開したうえで、来週24日から通常の形での授業を再開することを決めました。

緊急事態宣言を受けて、大阪市立の小中学校では、子どもたちの感染リスクを抑えるため、先月26日以降、原則、自宅でのオンライン学習と、学校でのプリント学習を組み合わせる形で対応しています。

これについて、大阪市教育委員会は、この間、子どもの感染者数が徐々に減少傾向となっているほか、重症化した事例の報告もないとして、今週後半から授業を段階的に再開したうえで、来週24日から通常の形での授業を再開することを決めました。
具体的には、今週20日から、各学校の実情を踏まえながら授業を最大で4時間実施し、残りの時間は、オンライン学習などを行うとしています。

そのうえで、来週24日から通常授業を再開するとしています。
また、先月26日以降、午前のみの保育としている市立の幼稚園についても、来週24日から通常の保育を再開し、このうち、今年度、新たに入園した子どもについては、段階的に保育時間を延ばすとしています。

松井市長は、記者団に対し、「病床のひっ迫や、変異株の感染リスクを考慮し、子どもたちの接触機会を減らすための対策をとってきたが、幸い重症例もなかったので、通常授業に戻していく」と述べました。

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武漢風邪のピークアウトは連休前にあり、その後は下げ止まりの感があり、3月頃の100名以下にはなりそうにありません。それも踏まえて、宣言延長による学校の自粛登校の効果もあまりなかったということで、緊急事態宣言終了日の1週間前倒しで「再開」したのかも知れません。大阪市長の「幸い重症例もなかったので、通常授業に戻していく」の主語は子どもですが、もともと子どもの重症例は世界的に報告されていないどころか、無症状がほとんどです。通学自粛には結果的に意味がなく、他市と平等であるべき子どもの学習機会を根拠なく奪ったことへの取り繕いのコメントだとすれば残念です。

福島第1原発事故甲状腺検査、任意性確保に課題

福島第1原発事故甲状腺検査、理解進まず県聞き取り調査、任意性確保に課題/福島

2021/5/19【毎日新聞】

福島第1原発事故当時に18歳以下だった子どもに県が実施している甲状腺検査について、県は17日の県民健康調査検討委員会で、検査を受けた子どもと保護者への聞き取り結果を公表した。検査を受けることによる不利益や、自らの意思で検査を受けるかどうかを決める任意性についての理解が進んでいないことが明らかになった。

小中学生と高校生への甲状腺検査は、担当者が学校へ出向き、授業中などに希望者に対して実施されている。一方、学校での検査は断りづらく任意性が確保されにくいという意見や、無害の甲状腺がんの発見で心身に負担が及ぶ「過剰診断」の不利益を被るとの指摘も言われ続けている。

調査は今年3月、検査を受けた県内の高校生3人と、中学・高校生の保護者6人へのインタビュー形式で実施された。検査を授業中に学校で行うことに強制性を感じるかという質問には「半強制みたいな感じ」「時間をとってやるので、受けないのが変かな」などとの回答があった。また、検査を受けるかどうかを決めるうえで、検査による利益・不利益を知っているかとの質問には「受ける・受けないを決める考えはなかった」「デメリットは考えたこともない」「検査の情報は圧倒的に少なく、説明会をもっときめ細やかにやるべきだ」などの意見が出た。

県は今後、検査の利益・不利益を説明する文書を本格的に配る。星北斗座長(県医師会副会長)は「任意性の確保の工夫と同時に、検診の機会の容易さも考えなければならない」と指摘した。【寺町六花】
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武漢風邪のPCRスクリーニング検査で陽性になっても偽陽性もあるので罹患したかどうかは発症をみないと分からないことと同様の問題です。しかし、個人へのダメージが大きい点では比べ物にならないくらい、甲状腺超音波スクリーニングは問題が多いです。小児に関しては甲状腺癌の早期発見が再発率の低下に貢献するどころか真逆である可能性が高いという医師もいます。福島の放射能汚染の風評被害は、野菜や魚だけではありません。子どもたちの遺伝子異常の風評被害まであるからです。

超音波スクリーニングで発見される小さな腫瘍は悪性の甲状腺がんとは限らないです。しかし、今までは予防的には使われなかったこの検査が、任意ではあるけれども福島の子どもの早期発見のためにと言う大義名分で使われているのです。今までは、首にしこりなどの症状があって甲状腺超音波検査をしていたのが、症状のない人にまで拡大すれば、発見数は増えて当たり前です。そして、検査数を増やして腫瘍発見数が増えたからと言って悪性の甲状腺がんが増えたと言うエビデンスはありません。

韓国では甲状腺超音波スクリーニングでの過剰診断の問題が明るみにでてから甲状腺癌の手術件数は減少していますが、実は診断された数と手術数の割合は変化していません。つまり、甲状腺癌と診断された大多数の患者は過剰診断を知っていながらそれでも手術を受けることを選択しているのです。子供に対して癌を”放置する”という決断ができる保護者はなかなかいません。経過観察を選択したものの、数年後に不安に耐えられなくなって手術に踏み切るのです。子供にとっても甲状腺癌を経過観察するということは一生涯に渡って大きな重荷を背負わせることになります。

子供に癌患者とのレッテルを貼ることがQOLを大きく低下させる、ということを認識する必要があります。過剰診断の被害は小さな腫瘍が見つかった時点で始まっています。ところがこの小さな腫瘍が無害かどうかは時間がたたないと分からないのです。若年者の甲状腺癌の過剰診断は成人のそれより被害が深刻です。

それは問題が健康問題にとどまらず、人権問題も伴うからです。特に、福島県の子供に対しては、「遺伝子が放射線で汚染されている」「結婚すべきではない」等、心無い風評が残念ながら広がってしまっています。このような状況で子供たちに”がん”という診断名をつけることは彼らの人生に重大な影響を与えます。福島で甲状腺癌と診断された本人や家族が最も懸念しているのは健康問題ではなく「結婚」問題なのです。

不登校の「その後」見つめる

あの時ほしかったものを不登校の「その後」見つめるびーんずネット・金子純一さん(49)

2021年5月17日 【東京新聞】

七年前、仕事から帰宅すると、テーブルの上に小学三年だった長男からの書き置きがあった。「学校に行きたくないです」
突然の不登校にひどく慌て、悩んだ。「学校に行くことに意味を感じていたし、弱さや甘えを許してしまうと将来が心配だ、と思っていましたから」。一緒に風呂に入るたびに「新学期から学校に行こうな」と言い聞かせた。

長男は漢字を書くのが苦手だった。漢字ドリルの不正解だった部分に、先生が付せんをつけていく。その付せんが連なって、「ライオンのたてがみみたい」と同級生にばかにされたのだという。「漢字のない国に行きたい」と長男は打ち明け、大泣きした。

結局、新学期からも登校せず、子育てを巡って夫婦げんかに。翌朝、妻あかねさんから本を渡された。「子どもを信じること」(田中茂樹著、さいはて社)。先回りし、価値観を押しつける親の危うさが書かれていた。ぜんぶ自分のことだ、と思ったという。
「子どもが転ばないように、勝手に石をどけようとしていた。先回りはやめて、自分たちが変わろうって決めました」

二〇一八年、妻が産業カウンセラーの資格を取得したのをきっかけに、夫婦二人で「びーんずネット」の活動を始めた。不登校に関するセミナー開催のほか、不登校だった人々の「その後」に着目した事例集「雲の向こうはいつも青空」を年二回発行。今年三月で五冊目になった。

リアルで等身大の不登校を立体的に伝えるため、不登校の経験者や保護者、支える人々ら、一冊で七人のインタビューを紹介する。つづられているのは、正解のない、七人七色の雲と青空だ。読者は全国に広がり、「安心した」「勇気をもらった」との声が届く。
「不登校のその先はどうなるのか。悩んでいたあの時、まさに自分がほしかったものなんです」

長男は今、登校のない通信制高校の二年生。今年二月、肩まであった髪を切り、ファストフード店の厨房(ちゅうぼう)でアルバイトを始めた。やけどした手を見せるのも、どこか誇らしげだ。
「これで万々歳とは思わないけれども、親としてじんわりうれしい」。ほおが緩んだ。(石川修巳)

<びーんずネット>代表は妻の金子あかねさん。「まず、親が幸せになる」をキャッチフレーズに、気づきや学びの場となるセミナーをオンラインで開催。ほかにインタビュー事例集「雲の向こうはいつも青空」(税込み1100円)の発行など、不登校をテーマに活動している。詳しくはホームページへ。

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記事に出てくる「漢字のない国へ行きたい少年」は読み書き障害と思われます。小学校は毎日のように漢字の小テストがあります。先生は親切心ですが、読み書き障害の子どもにとっては、たまったものではありません。多くの学校は読み書き障害のない前提で学習を進めているし、読み書き障害のスクリーニングもしないので、苦しむのは子どもという事になります。

発達性読み書き障害の研究者で有名な宇野彰先生によると、学童期で日本語の読み書きで7~8%、英語になると10%存在すると言います。そのグレーゾーンまで含めると、無視できない数となっています。にもかかわらず、字が下手糞、書写が遅い、音読の家庭学習が不十分等といわれなき中傷を昔から受け続けてきたのです。しかし、現代は読み書き障害が発達障害の一つとして国際的に認知されているのです。これが不登校の主要な原因なら、学校は合理的配慮の不作為を問われ責任を追及されても仕方がありません。

不登校の原因は学習の問題だけではないですが、まじめな子どもであればあるほど、自分ができないのは他人がもっと頑張っているからに違いないと思い、自分を責めだんだん登校が苦しくなっていきます。学習障害を契機とする不登校だけは学校の力で防止してほしいものです。