2021年2月の記事一覧
ススメ!電波少年!
W君は「西山に行って第2鉄塔のある最高点まで行こう」などとスタッフがと言うと「俺は体を鍛えるためにここにきてるんと違うんや。パソコンもしたいし本も読みたい。鉄塔却下!」と叫んで外に出ることを好みません。ところが、最近W君は電波チェックにはまったようで、短波ラジオで北朝鮮の放送や北京放送の日本語放送を聞いたり、電離層の反射で遠い海外から飛んでくる短波放送を聞くのを楽しみにしています。
アマチュア無線をやっていたスタッフから、「遠方の局が聞きたいなら妨害電波や高い建造物の影響を受けない高い山頂がいい」と教えてもらったので、嫌いな西山の第2鉄塔に行ってみたのです。アンテナを伸ばしてみると、航空機のエアバンドからも交信がかすかに取れるし、遠方のラジオ局も平地よりクリアに聞こえました。
「もう僕あそこに住む」と言うくらい満足して帰ってきました。今彼はアマチュア無線の丸暗記本を借りて勉強しています。小学生で合格している人は結構います。今はやりのFPV(First Person View:空撮無線映像を見る)ドローンを操縦するには4級アマ免が必要で、そのために多くの小学生が受験しています。電気工学は中学生くらいでないと理解できない内容ですが、4択で24問の丸暗記で対応できるので小学生でも合格できる可能性があるわけです。さて、W君はどうなるでしょうか。進め電波少年!
お山登りまーす!
Vちゃんは、1か月ほど西山に登るのを嫌がっていました。まだ、コミュニケーションスキルが低くて、とにかく大騒ぎをすれば要求は実現するとVちゃんは思っているので、送迎車の前で大泣きをし、登り道でもしばらく大騒ぎでした。しかたがないので、「こんなに嫌がっているんだからもうやめようか」とスタッフが言うので今日行ってダメだったら次回考えましょうと言うことになりました。
ところが、今日は車に乗る前からニコニコで山道もなんにもなかったかのように「お山登りまーす!」と歩きます。今までの拒否はなんだったの?とスタッフもあきれ顔。何かがVちゃんの中で吹っ切れたのかもしれません。結局理由は分からずじまいで、次回の山登りもご機嫌なら問題ないんじゃないのということになりました。理由を話せない子どもたちのことを私たちはあーでもないこーでもないと話しますが、わからないことも多いです。毎日子供たちに振り回されている感じも否めません。少しでも分かり合えたらと言う思いで、コミュニケーションスキルに取り組んでいます。
移動カード
移動カードはトランジションカードと言ってスケジュールに戻るときに言葉のわからない生徒に渡すカードのことです。トランジションカードとこのブログ内で検索してもらえばわかるように今年度に入ってほぼ2か月に1回触れています。最近は(トランジションカード 2020/11/06)で書きました。すてっぷではトランジションカードをやめたのです。U君たち言葉をうまく理解できない人たちに身体プロンプトでスケジュールに戻ったり行先にいくようにしています。確かに誤解はなくなり、自分で考えようとしている姿が2か月過ぎからみられるようになっています。
スケジュールを自分で見てもらうようにするには最初は支援があったにしてもその後その支援をどう減らすかを考えておく必要があります。声掛けで「スケジュールを見なさい」と言おうが、トランジションカードを渡してスケジュールを見に行かせようが、やっていることは同じです。人的介入で行動のきっかけ(プロンプト)を作っているのです。
大事なことは、この介入をどうやってフェードアウトしていくかなのです。カードよりヴォリュームがだんだん落とせて発音数を減らせる声の方がまだましかもしれません。カードをだんだん小さくしても視覚的プロンプトは最後まで残ります。それに引き換え身体プロンプトは後ろから触るだけですし、自分で行動ができるようになればそれでプロンプトしなくていいのです。どう考えても、身体プロンプトの方がフェードアウトはしやすく誤解も少ないです。
ではなぜ、トランジションカードが我が国で20年以上続いたかなのですが、結局、スタッフ側の支援「満足感」なのだろうと思います。カード渡すことによって子どもがスケジュールに戻る姿はスタッフにはいい気分なのです。スケジュールを子どもが自分で理解するにはどうしたらいいのかということも、エビデンスをもとに説明したものはPECSのマニュアル以外に見当たりません。
結局、2005年初版のPECSをよく読んだら書いてあったということなのですが、本がぶ厚すぎて286ぺーにまでたどり着いていない人が私も含めて多いという事です。それと、改めて応用行動分析理論については、対人サービスに関わる人すべてが学ぶようにカリキュラムに入れるべきだと思います。
自分のことは自分で
高学年が「先生次何するの~」「どうすんの~」{~君が~してはる~」「何したらいい?」と放デイで話すを、「知的な遅れもないのに、自分で考えて行動しないっておかしいと思いませんか?」と男性スタッフが言いました。ごもっともです。ついつい、支援と過保護を勘違いしてしまうのが放デイです。
以前も、高学年のT君が公園に水筒を忘れてきた時、スタッフに取ってきてほしいと言うので自分のものは自分で管理しましょうとスタッフが言うと逆切れされた話(昨日はすみませんでした 2020/12/23)を掲載しました。でもT君が大人がやればいいと思うのはT君のせいではなく、周囲の大人の問題です。子どもに任せて忘れ物で保護者にクレームをもらうくらいなら、大人が子どもの持ち物をすべて管理して家に送り届けようと考えてしまうのです。子どもに任せれば忘れたり落としたりするものですが、それも自立のプロセスの中では必要なことです。大事なことは、そのあとあきらめるのか、工夫するかの違いです。
しかし、それを避けるために大人がやってしまっては、子どもは伸びる可能性を失います。最近やっと子どもたちが、自分で考えられるようになってきたとそのスタッフは言います。「ノープランで大人に聞くだけではなく、自分はこうしたいがどうかなと大人に聞いてみよう」と「何したらいいのじゃなくて、これをしたい、これをやろう」という風に変わってきたそうです。子どもが自立できそうなことは失敗しそうでも工夫して自立してもらうことが放デイの療育です。すぐに声かけない、すぐに手を出さない、すぐに失敗をフォローしようとしない、1分だけ待つ余裕が大事です。
サッカー指導の合理的配慮
最近小学生中心にサッカーでのパスを教えていると以前書きました(グッジョブ!01/21)。R君やS君もすごく上手になってきました。パスのやり取りをするのは、相手も動きも考えながらボール操作が必要となります。あまり他者のことを考える機会のない彼らにとっては難しくもあり新しくもある取組です。
前にも書きましたが、学校ではパスができない彼らにはボールは回ってこず、ボールに触れないからスキルが上がらない、スキルが上がらないからパスが回ってこないという悪循環に陥ります。体育は支援学級の子も協力学級に戻るのですが、ボール運動などは他者理解の苦手な人にはみっちりパス練習をしないとコートに立っても「お地蔵さん」という存在になってしまいます。
やらせてみると、そこそこボールを操作するスキルがあることも分かります。「上手やん」とR君を褒めると、「学校では触る機会がないから」とうつむきます。スポーツは全ての人の権利ですが、ただコートに立たせるだけでなく、パススキルを時間をかけてわかりやすく教えてほしいと思います。これは体育教科における合理的配慮だと思うのです。