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学校へのお願いの仕方の極意

発達障害の小学生ママ必見!学校へのお願いの仕方の極意とは

更新日:2020-07-06【パステル総研】

1.発達障害の子どものスムーズな学校生活には先生との連携が必須です!
6月に学校が再開して、1ヶ月以上が経ちましたね。発達障害・グレーゾーンのお子さんの学校生活はスムーズですか?
今年は異例の3ヶ月と言う長期休暇を経ての新学期です。発達障害の子どもにとってはストレスも一層強く、登校しぶりがあるなど困りごとが増えているお子さんもいるかもしれません。
ではここでお母さんに質問です。
我が子の対応について学校へのお願いは、きちんとしてありますか?
発達障害・グレーゾーンの子どもは脳の発達が未熟であるために
・集中して先生の話を聞くことができない
・指示が通りにくい
・見通しを持って行動することが苦手
など様々な特性を抱えています。そのため、学校生活ではみんなと同じようにできないことが多く自信を失う機会も増えがちです。
さらに、学校の理解がないと適切なサポートも受けられず、「努力不足だ」と誤解されて叱られてしまう可能性もあります。
つまり発達障害の子どものスムーズな学校生活には、先生との連携が必須なんです。
と言っても「うまく先生に伝える自信がない」「ちゃんと対応してもらえるのか不安…」と言うお母さんもいるかもしれませんね。
実は、学校へのお願いの仕方には「必ず押さえるべき注意点」があるんです。

2.先生のホンネと学校へのお願いの仕方の極意とは?
さて、学校へのお願いと言うと「サポートブック」などの書面形式を取ることが一般的です。
そして「あれもこれも先生に伝えないと!」と細かくたくさん記入するお母さんもいらっしゃるようです。
しかし、それは大きな誤解です。
実は、先生が求めている学校へのお願いの書面というのは、「とにかくシンプルなこと」です!
学校の先生はたくさん業務を抱えており、とにかく忙しいです。
内容が多すぎると、
・読む時間がない
・読めたとしても、35人学級を回しながら全ての要望に応えるのは無理
・「せっかく伝えたのに全然配慮してもらえていない!」とお母さんを落胆させてしまうのではと心配になる
など、先生の負担を増やしてしまうだけで効果が得られないことが多いんです。
また新学期のこの時期に渡す書面は、あくまで「先生とこれから連携を取るきっかけ作り」という位置付けです。
ですから、
・まずは先生に知ってほしい必要最低限の情報があればOK
・書面を読んだ先生に「もっと話を聞きたい!」と思ってもらえること
が重要なんです。

3.効果的なサポートレターの書き方を大公開!
◆苦手と得意はセットで!
我が子の学校生活に不安を感じて、先生に苦手なところをたくさん伝えたくなる気持ちは分かります。
しかし「〇〇ができません」「××が苦手です」とできないことばかり言われても
・「この子は大変そうだな…」と不安を感じさせてしまう
・できないところばかりに目が行くようになってしまう
などと、先生の精神的な負担を大きくしてしまうだけです。
そこでやってほしいことが、苦手なことと得意なことをセットで伝えることです。例えば
「行動の切り替えが苦手ですが、好きなことにはとことん集中して取り組みます」
「字を書くことは苦手ですが、絵を書くのは得意です」
と言う感じで、我が子の長所もきちんと伝えてほしいのです。
こうすることで、先生の気持ちも軽くなりますし、学校でもスムーズに対応してもらえやすくなります。
◆おうちでの様子や対応を伝える
2つ目は、おうちでの様子や対応をしっかりと伝えることです。
学校との連携で欠かせないのは「親の協力する姿勢」です。学校での困りごとの対応を全て先生にお任せするのではなく、
・お母さんがしっかり家で対応していること
・学校へお願いしたい対応の範囲を明確にすること
の2つを伝えることが大事です。例えば
「待つことが苦手です。家では『ちゃんと待ててるね』とこまめに褒めることできちんと待てています。学校でも待つ場面があったら一言声をかけていただけますか?」
と言うお願いの仕方をすることで
「このお母さんはおうちでも特性に合わせた対応をしているんだな」
「こうやって対応すればいいんだな」
と先生の協力を得やすくなります。
◆日頃から先生への感謝を忘れない
そして、学校へのお願いで一番大事なことは日頃から先生への感謝を忘れないことです。
先ほどもお伝えしたように、先生は1人で35人学級を回さないといけない上に業務も多く、とても忙しいです。
普段から、連絡帳や電話で
「先生のおかげで登校しぶりもなく通えています。」
「先生に褒められた!と嬉しそうに話してくれました。」
などこまめに感謝を伝えるようにしましょう。
学校へのお願いの仕方の極意とは「とにかくシンプルなこと」。
ポイントは
・苦手と得意はセットで伝える
・おうちでの様子や対応を伝える
・日頃から先生への感謝を忘れない
という3つです。
たくさん書いても先生も「対応しきれない!」となってしまうので、1つの項目につき記入することは多くて3つまでが理想です。

「社会情緒的スキル」コロナ休校前後で比較

「社会情緒的スキル」、コロナ休校前後で子どもたちを比較 京大准教授ら

【京都新聞】2020年7月5日 19:20

子どもの能力のうち将来の学力や友人関係、問題行動との関連性が示され、教育や保育の現場でも注目されている「社会情緒的スキル」。思いやりや自制心といったIQ(知能指数)では測れない能力を指し、集団生活での関わりや家庭環境に影響を受けることが研究で分かっている。新型コロナウイルス感染拡大防止で休校・休園や外出自粛を経験した子どもたちに、同スキルの変化はあったのか。調査した京都大文学研究科の森口佑介准教授(発達心理学)に聞いた。

思いやり行動増える■「影響限定的 注視は必要」

-調査について教えてほしい。
「社会情緒的スキルを調べるためのアンケートを用いて、子どもの姿を、かんしゃくを起こすなどの行動面▽不安が強いなどの情緒面▽じっとしていられないといった多動、不注意面▽友達との関係性を示す仲間関係▽他人に気遣いができるなどの向社会性-の五つの側面から分析した。調査は4~9歳までの子どもを持つ保護者420人に対し、緊急事態宣言が出ていた4月にウェブで行った。私たち研究チームは昨年、同じ内容のアンケートを同じ属性の保護者に実施しており、子どもの変化をパンデミック(世界的大流行)前後である程度比較することができた」

-子どもたちにどのような変化があったのか。
「5つの側面を総合した全体としての結果には、ほとんど差はなかった。コロナ禍を過ごした子どもについては国内外で多くの調査が行われ、精神的な健康に問題が生じたと結論付けているが、それらとは異なる結果が出た。ほとんどの調査チームがパンデミック後のみのアンケートを行っている。子どもの情緒が不安定などという結果が出たとしても、その子が元々問題を抱えていたのかもしれないし、外出自粛などの異常な状況がネガティブな回答を誘発した可能性もある。今回のような状況下では悪い方向に変化すると思いがちだが、私たちの研究結果を見ると、現時点では必ずしもそうではないと考えている」

-側面ごとの変化は。
「向社会性のみで言えば、ほとんどの年齢でパンデミック時の方がスコアが高くなった。親から見ると、子どもは思いやりのある行動をとりがちになったということになる。この点は興味深い。治療困難な感染症が広がると、一般的に自分が所属していない集団(外集団)に対する差別や攻撃、偏見が増え、所属する集団(内集団)をより好むようになることが知られている。外集団は感染症を持っているかもしれないと考えて攻撃し、その結果内集団の結束が強まるという。その心理が子どもたちに働いた可能性がある」

-今後子どもたちに影響が出る可能性はあるのだろうか。
「調査結果から現時点で日本での影響は限定的だと考えている。ただ海外で報告されているように虐待が増加したり、経済状況の悪化で家庭環境が大きく変わったりしていた場合、ダメージは深刻なものになる。今後も注意して子どもたちの様子を調査していかなければならない」

デジタルメディア扱う能力 短期に飛躍的向上

森口准教授らのチームは、社会情緒的スキルの調査と併せて、子どもたちがタブレットなどのデジタルメディアを使いこなす能力の発達についても調べた。能力は短期間で飛躍的に向上していた。

調査は0~9歳までの子どもを持つ保護者700人が対象。画面の表示ボタンを押す「タップ」やファイルを移動して貼り付ける「ドラッグドロップ」などの操作スキルと、写真を見たり撮ったりする機能スキルを調査した。

結果では両スキルとも各年齢で上達が見られ、特に4歳以上では1歳程度高い年齢に相当するスキルを獲得していた。

森口准教授は「外出自粛やオンライン授業などでデジタルメディアに触れる機会が増え、タブレットなどを扱うスキルの発達を促した可能性がある」としている。

もりぐち・ゆうすけ 京都大文学研究科博士課程修了。乳幼児期から児童期における認知機能の発達的変化を研究する。著書に「自分をコントロールする力 非認知スキルの心理学」(講談社)など。

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保護者420人へのアンケート調査を武漢熱前後で行うとはかなり規模の大きな調査と言えます。簡単に言えばほとんど変わらなかったと言う結論です。武漢熱前後で一番はっきりしたのは大人の問題です。同調圧力に弱い大人は、根拠のはっきりしないことでも「みんなが言っているから」と簡単に流れてしまう傾向があります。心ある小児科医たちが何度も子どもにはほとんど影響のない風邪だと言っているのに、休校してでもクレームをかわそうとする事なかれ主義を子どもたちが学ぶことのないようにしたいものです。

熊本豪雨災害

決壊、浸水…豪雨の爪痕深く 橋崩落は14カ所 熊本県南部

2020/7/6 6:00【西日本新聞 熊本版】 和田 剛 郷 達也 壇 知里

熊本県南部を襲った豪雨の被災地では5日、建物や道路の破損など爪痕の大きさが徐々に明らかになってきた。ぐずついた天気が続く中、決壊した堤防の緊急工事や水没した自宅や家具の片付けなど、各地で復旧に向けた動きも出始めた。

県によると公共土木施設の被害は、道路ののり面崩落や路肩決壊など計38カ所▽橋の崩落14カ所▽土砂災害30カ所▽人吉市の公共下水道施設1カ所-など。このほか、八代市坂本庁舎1階が水没した。

道路の寸断などにより5日朝時点で8市町村に孤立集落が確認された。球磨村は78地区1432世帯が孤立するなど被害が大きく、このうち8地区では停電と断水、電話の不通が重なっているという。

肥薩おれんじ鉄道八代-出水間は二十数カ所で被害が確認。くま川鉄道は保有車両5両すべてが浸水し、球磨川第4橋梁が流失した。

医療・福祉施設の浸水被害は、医療施設28カ所▽高齢者施設18カ所▽保育所6カ所▽障害者施設2カ所-など。

芦北町の芦北高校と芦北支援学校、球磨村の渡小学校などの校舎に床上浸水した。小学校7校▽中学校4校▽高校12校▽特別支援学校2校が6~8日(一部は6日のみ)に休校する。

人吉市中神町では、球磨川の堤防が長さ約40メートル、幅約4メートル、高さ約8メートルにわたって決壊。現場では5日、ブロックなどで堤防の形に戻す緊急工事が行われた。国土交通省八代河川国道事務所人吉出張所の中村良一所長(47)は「少しの雨でも水位が上がる。雨が降っているので怖い」と茶色く濁った川面を見つめた。 (和田剛、郷達也)

「ダムによらない治水」極限まで検討したい  蒲島知事

蒲島郁夫知事は5日、県南部の豪雨被害を巡り「球磨川の氾濫を実際に見て大変ショックを受けた。改めて『ダムによらない治水』を極限まで検討したいと確信した」と述べた。人吉市や八代市を視察後、県庁で報道陣の取材に答えた。

蒲島知事は2008年の就任直後、国が五木村に建設を予定していた川辺川ダム計画の白紙撤回を求めて反対を表明。翌年に民主党政権が計画中止を表明した。国と県、流域市町村がダムに代わる治水策を協議しているが、議論はまとまっておらず、建設計画自体の廃止手続きは取られていない。

蒲島知事は「白紙撤回の決断は県民の意向だった」として「この12年間で(ダムに代わる治水策が)できなかったのが非常に悔やまれる」と話した。 (壇知里)

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自然災害で福祉施設が受けるダメージは大きなものです。特に利用者が即座に移動できない入所型施設や児童施設の災害リスクは大きいです。災害危険地域に福祉施設などを作ってはいけないという法律が施行したのはごく最近です。そして、法律施行前に作られた施設はそのままです。

ハザードマップの危険地域には少なくない福祉施設があります。福祉施設は民間経営ですから、土地価格の安価な場所に作らないと経営が成り立ちません。安価な場所は、危険地域が多いのです。

蒲島知事の(川辺川ダム建設の)「白紙撤回の決断は県民の意向だった」という発言が開き直りだという批判は多いですが、ダムができれば減災ができるかどうかは別問題だと思います。想定外の自然災害が起きればダムも堤防も防波堤も役には立たないということを、私たちは平成時代に経験してきたからです。そして、最も弱い子どもと障害者と老人にこの課題は顕在化します。

老人や障害者や子どもが利用する施設は、優先して安全地域へ施設ごと誘導する政策が必要ではないかと思います。すぐさま命を守る行動を起こすような地域ではなく、弱い人が利用する施設は避難しなくてもよい地域に移設していくのが、人口減を迎える日本の優先課題だと思います。

 

デジタル対応、世界に20年遅れ

揺らぐ「学びの保障」 デジタル対応、世界に20年遅れ
教育改革 危機が促す

【日経電子版】 (2020/7/7 5:27更新)

新型コロナウイルスの感染拡大が教育を揺るがしている。全国休校がもたらした学習格差、画一的な教育制度、再考を迫られる大学のグローバル展開――。教育の新たな形を示せるかがコロナ時代の国家の競争力をも左右する。

 「自宅にいる人も見えていますか」。東京都立白鴎高校(台東区)の教員が教室内の生徒20人とパソコン画面に映る生徒20人に呼びかけた。同校は6月の分散登校期間、対面とオンライン(遠隔)の併用授業を行った。

休校中の4月に教員数人が始めた遠隔指導は全教員約70人が動画の配信をできるまでになった。生徒は宿題も遠隔で出した。田中幸徳副校長は「オンラインと対面を融合し、教育の質を高めたい」と意気込む。

デジタル技術を変革に生かすデジタルトランスフォーメーション(DX)の波が学校にも押し寄せてきた。休校中に地域間などで学習機会の格差が生じ、どんな時も学びを止めない「学びの保障」が揺らいだとの悔いが現場を突き動かす。

各国は先を行く。「最も遅れていることを改めて自覚した」。3月23日の国連教育科学文化機関(ユネスコ)での教育担当の閣僚級会合。フランスやイタリアなどの発言を聞いた萩生田光一文部科学相は絶句した。参加11カ国で日本以外の全てが休校中にオンラインで指導をしていたからだ。

上智大の相沢真一准教授(教育社会学)によると「日本の学校のデジタル対応は世界から20年近く遅れている」。2000年代前半は日本の学校のコンピューター整備状況は各国と大差がなかった。しかし09年には授業中のデジタル機器の利用状況が経済協力開発機構(OECD)加盟国で最低水準となり、18年も同様だった。「日本の学校は情報機器を遊び道具とみて遠ざけたが、世界は鉛筆やノートと同じ文房具にした」

3月下旬から原則休校になったオーストラリア。広大な国土で教育格差が生じないよう10年以上前から政府などが遠隔学習に力を入れ、子ども1人に1台の情報端末を配備してきた。休校中もホームルームから授業までオンラインが広く活用された。

日本にも好例はある。3月の休校後すぐ遠隔授業を始め、4月には全小中学校に広げた熊本市だ。16年の熊本地震での休校の経験を糧に、18年度からNTTドコモなどと組み、タブレット端末の配備に力を入れてきたことが奏功した。

デジタル技術に対応した人材を育てるためにも学校教育のDXは避けて通れない。18年の国際学力調査で読解力と科学的リテラシーが世界トップ級になった欧州のエストニアは、情報技術(IT)立国を掲げて約20年前から全学校の教室にパソコンとネット環境を整備。教材も電子化する。学習履歴を基に単位を与えて飛び級を認め、優れた才能を発掘する制度も整えた。

日本もコロナ禍を受けて1人1台の端末を今年度中に配備する目標は立てた。しかし登校を再開した途端にオンライン指導をやめ、対面授業に戻る学校も相次ぐ。非常時も学びを止めず、新たな時代を生き抜く人材を育てようとする強い意志はそこにない。問われているのは危機感と覚悟だ。

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放デイも、PCやタブレット端末を子どもの余暇支援にしか使えていません。子どもたちの学びのためにシステムを導入するとなると、大手のICT教育の会社と連携するしかありませんが、使い方はそれぞれの運営に任されているのですから、明確な戦略をもって取り組むべきだと思います。新しいものを導入するとき、あれこれ批判することは簡単ですが、成果を出すには地道な努力が求められます。努力もせず、先生が使えないだの予算がないだのとICT導入の困難ばかりを言い訳にしてきたトップは、スマホが使えない大人が少なくありません。それが結局、先進国の中で日本が取り残された原因のようにも思えます。

ただ、ICT機器を利用する大人のデジタル機器への親和性は大事ですが、今や一人が一台スマホを持ち、毎日スマホを使っています。ICT教育を進めるにあたって、これ以上に大人に必要な経験はあまりないと言えます。経営者や責任者のICTへの投資の決断一つでICT教育は進むはずです。

授業についていけない僕を救った落語

識字障害で授業についていけない僕を救った落語
柳家花緑 2020.06.28【幻冬舎PLUS】

自身の経験を軽妙につづった花緑さんの新刊『僕が手にいれた発達障害という止まり木』より、一部を公開します。

*   *   *

「読めない」「書けない」から、授業についていけない
僕の本名は小林九(こばやしきゅう)といいます。小学校時代のあだなは、「バカな小林くん」。いやぁ、子どもって残酷(ざんこく)ですね。まくら言葉のように、僕の名前の上に「バカな」がつくんですから。

なぜ「バカな小林くん」なのかというと、教科書が読めないから。一文字一文字追うので、ものすごく時間がかかるし、意味もつかめない。

一番つらかったのは、授業中に「小林くん、何ページの何行目から読みなさい」と、立って読まされるときです。つっかえつっかえなんとか読むのですが、緊張するとますます読めない。すると、クラスのみんなが笑うんです。

教科書が読めないと、すべての教科についていけなくなります。言葉の認識が苦手なので、思考力も育ちません。1年生でついていけないということは、2年生になると完全に落ちこぼれです。

担任の先生からは、しょっちゅう怒られていました。というのも、授業がさっぱりわからないので、ついしゃべったり、よそごとをしてしまうんですね。だから先生からしてみたら、授業を妨害(ぼうがい)する問題児です。

自分なりに、必死でついていこうとはしていたんですよ。でも、どうしてもついていけない。すると、自分でも「自分はバカなんだなぁ」と思ってしまいます。

言い換えると、自分で自分のことを、あきらめてしまうんですね。だから、「バカな小林くん」と言われても、なにも言い返せません。

宿題も、ほとんどやったことがありません。どうせわからないし、やる気も起きません。でも、「やらなきゃいけないことを、やっていない」という負い目みたいなものは、子どもながらに感じていたと思います。だから、なんかもやもやしてしまう。

そうそう、こんなこともありました。祖父の五代目柳家小さんには、大勢の弟子がいました。そのなかの一人が、柳家小三太(こさんた)師匠という先輩。当時は前座で、「小たか」と名乗っていました。で、僕が宿題をしないのを見かねてか、ある日、宿題の算数のドリルを一緒にやってくれたんです。

翌日、今日は珍しく宿題を提出できると意気揚々(いきようよう)。宿題が先生から戻ってくると……なんと答えが全部×、間違っていました(笑)。

でも、「バカな小林くん」と呼ばれても、学校には毎日行っていました。なんでかなぁ。たぶん、友だちと遊びたかったからでしょう。というより、しゃべりたかったから。それくらい、しゃべるのが大好きな子どもでした。

あっ、あと、「好きな女の子に会いたい」という気持ちも大きかったですね。小林くん、なかなかノーテンキです。

落語のおかげ
小学校5年生の通知表の所見欄には「気が散って学習に身が入りません」と書いてあります。でもその後、「心をおちつけて、絵を描くときのように、根気よく復習しましょう」と続きます。

というのも、勉強はできないけれど、図工はすごく得意だったんです。絵を描いたり工作をするのは、遊びの感覚。熱中し出すと、それこそ我を忘れてとことん熱中するので、絵を描いているときはすご~く静かです。

中学に入ると、音楽と美術はたいてい5段階の5。数学や社会、英語が1なので、そのコントラストといったら! 好きな科目のときは、ウキウキしましたね。それに助けられていた面もあります。

僕の場合、相当な落ちこぼれだったので、いじめにあっても不思議ではありません。実際、今思えば彼も発達障害だったんだろうなと思えるクラスメイトは、いじめられていました。

僕がいじめられなかったのは、落語のおかげです。9歳から落語を始め、祖父の高座に初めて出たとき、その様子がテレビで放映されたんです。すると、信じられないようなことが起きました。なんと、バレンタインデーにチョコレートをもらったんです。それも、5人から! ちなみに兄はカッコいいので、いつも山のようにチョコレートをもらっていましたが。

まぁ、当時はテレビに出たというだけで、ちょっと一目おかれた。だから、いじめられなかったのでしょう。本当に、落語には助けられました。

母は、いずれ僕を落語家にしようと心に決めていたようで、小学校2年のころから日本舞踊や三味線などの習い事をさせられました。それは、自分としては楽しかったんです。踊りや音楽はけっこう得意だし、好きだから熱中するんですね。

これは余談ですが……。

母は直感で、兄にはクラシックバレエを習わせようと思ったようです。確か当時兄は、10歳くらい。もう、恥ずかしいと思う年齢ですから、タイツなんて穿(は)いて踊るのはイヤだとゴネました。すると母は、兄にこう言いました。

「九にもやらせるから」

「それなら習いに行ってもいい」

そんなわけで、兄と一緒にバレエを習いに行くことになりました。

ところが通い始める直前に、兄が階段から落ちて腕を骨折してしまいます。しかたなく、僕だけ小林紀子バレエ団に通うように。兄の小林十市(じゅういち)は後にプロのバレエダンサーになりますが、そんなわけで実は僕、バレエに関しては兄の先輩です(笑)。

いよいよ修行開始
正式に落語の修行を始めたのは9歳のとき。最初に教えてもらったのは、『から抜け』という、与太郎(よたろう)が出てくる噺です。

与太郎とは、落語によく出てくるキャラクターで、ちょっとマヌケで、失敗が多い。人から言われたことを、一度では理解できません。でも、あいきょうがあって、人からあまりきらわれない――とまぁ、子ども時代の僕みたいなキャラクターです。

『から抜け』は、小噺(こばなし)がいくつかあるような感じで、全体で7分くらい。与太郎だけではなく、近所のおばさんや、兄弟、父親も出てくるので、キャラクターを演じわけるように、と教わった記憶があります。教えてくれたのは、叔父である、今の六代目柳家小さん。当時は柳家三語楼(さんごろう)といいました。

落語は、「口伝(くでん)」というやり方で師匠から教わります。口伝とは文字通り、「口で伝える」。つまり、師匠がしゃべるのを聞いて、覚えるわけです。

その昔、録音機器がなかった時代は、まさに師匠の一言一句を記憶するしかなかったのでしょう。僕が修行を始めたころは、カセットテープに録(と)らせてもらって、それを何度も繰り返して聞いて、マネしてしゃべっていたんだと思います。

2席目は『桃太郎』という親子の話。その後、祖父に『芋俵(いもだわら)』という泥棒の話を習いました。そのときに初めて、間(ま)というものを教わりました。祖父の口マネをしながら、「そうだ、もっとそこはゆっくりだ」といった感じで教えてもらい、繰り返し稽古をした覚えがあります。

中学に入ると、カセットを聞いてノートに書きとるようになりました。残念ながら、当時のメモは残っていません。たぶん、先輩の誰かからノートに書いたらいいと言われたのでしょう。中学校を卒業するころには、11席くらい、やれるネタがありました。

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