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みんなちがってみんないい

「みんな仲良く元気よく」が子どもを追いつめる

なぜ「みんな仲良く元気よく」が子どもを追いつめるのか

06/10 【婦人公論】

個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。そこでディレクターを務める中邑賢龍教授は「かつての日本では、それぞれの特性に合った生き方を選べた。今はそれが許されていないことが教育に悪影響を及ぼしている」と警告しますが――

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
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第二回●「子育ては褒めるのが大事、叱るのは良くない」が招く危うい未来
なぜ子育てしにくい社会が放置されているのか
プラットフォーマーと呼ばれる巨大企業があらゆる業界を飲み込み、成長を遂げる中、ここにきての新型コロナウイルスの広がりもあり、さまざまな企業や業種が時代に取り残されれつつあります。

その結果、足元の経済格差はさらに広がってしまいました。国の財政難も深刻になり、自助努力が難しい人だろうと公助になかなか頼れないという“壁”のようなものを感じる時代になっています。

本来ならば公助の社会を構築するべく、地域住民がより協力する必要があるのかもしれませんが、そうしたコミュニティも、すでにこれまでの変化の中でほぼ崩壊してしまいました。

弱々しい社会に、親子の問題の解決を頼るのが難しいのは明白で、また同時に社会そのものの構造として、多くの人が子育てしにくいと感じる状況が続いています。
しかし、放置していればいつまでも解決はなされない、そうした社会が築く“壁”について、今回少し考えてみたいと思います。

人と違うことをすればいじめられるから
「個性を豊かに」と言いながら、学校などでは、自分の気持ちを隠して同化しないと仲間に入れません。「仲良くする」とはつまり、みんなと一緒に遊ぶことで、仲間から外れて一人でいると「可哀想な子」だと捉えられてしまう。

今「人と違うことをすればいじめられる」と考える子や親が多いようです。
だからこそ目立ってはいけない、自分の好きなことばかりするのは良くない、時には我慢して集団に合わせるのが必要と考えます。しかしそんな環境で育った子どもは、きっと大人になっても人と違うことをするのを強く恐れるはずです。

社会に出ても空気を読み、上司の意見に同調しながら働くことで認められるのが、今の日本かもしれません。しかし、現実として活発な議論ができないような組織から、変化やイノベーションは起きません。

やりたいことを我慢し、人の都合に合わせて行動する人は「優しい」と評価されますが、それはそれで、どこかおかしい。
いじめられないように、自分を殺して生きるなんてとても馬鹿げています。絶対に、いじめる方が悪いのですから。

大人に求められるのは”違い”を認めること
今の学校では一つの目標に向かい、協働して成果をあげることが重視されています。「みんな仲良く、元気良く」という言葉が絶対。現実としてそうなることを期待されているわけで、それに該当しない子どもはいじめられる傾向が強くなると言えます。

いじめられる子どもは素直に、その特性に従って行動しているだけなのに、ペースが違う、方向が違うといったことを理由に、いじめの対象になるわけです。
「好きなことをやりたかったとしても、人と違うといじめられてしまうし、やめた方がいい」と言われたら、言われた人は自己否定するしかありません。

私は繰り返し「子どもは皆違って、それでいい」と述べていますが、でも現実の世界でそれを通したら、子どもがいじめられてしまうと心配になっている人もいることでしょう。
だからこそ大人である私たち自らが違いを認め、ユニークさを評価し、それで社会の雰囲気を変えていく必要があるのです。

閉鎖的で、変わることのできない組織は必ず衰退していきます。一方で、私たちの手にはインターネットという、場所や立場を超えて発言し、人と結びつくツールがあります。枠を超えてダイナミックに結合する新しい社会を創造し、そちらを選んで生きていきましょう。

かつては特性に合った仕事で生活できた
こういったお話をする際、いつもアフリカのマリ共和国の首都、バマコに行った時のことを思い出します。

街を歩く人に「どんな仕事をしているの?」と聞くと、多くの人は「色々」と答えてくれました。彼らは特定の職に就いているのでなく、その日、そこにあった仕事をするのだそうです。

自分ができる仕事を少しだけやって、それで生活する。彼らは決して裕福な生活を送っているわけではないですが、のんびりした穏やかな暮らしがそこにはありました。

日本でも、それぞれの特性に合う仕事を選び、それで生活できる社会がかつてありました。特に半世紀前までの働き方は多様でした。たとえば1960年代くらいまでの産業構造を調べると、第1次、2次、3次産業がバランスよい状態に保たれていることが分かります。

そのため少々の凸凹やペースの違いがあっても、個人の特性に応じた働く場所がありました。小さな工場に行けば気難しい職人さんがいて、愛想は悪くとも、コミュニケーションは上手でなくとも、素晴らしい仕事を見せてくれました。

また、街の八百屋や魚屋に行けば、休むことなく動き回る店主が、詳しく商品の説明をしてくれました。こちらが早く帰りたくても話が続くので帰れない、なんてことがあっても、そこで得た野菜や魚の知識は今も生きています。

読み書きが苦手で、学校の成績が悪かった友人がいますが、彼は中学を卒業し、地元で家業の農業を手伝っています。テストの点が悪くとも、体力があって根気強い彼は、農業には適していたのか、高校に進学することのないまま、今でも楽しそうに働いています。
日本でも、それぞれの特性に応じて、自分のペースで働けるような社会があったわけです。

追いつめられた人にさらに無理を強いていないか
しかし、パソコンやインターネットが登場し、道路や航空路などの整備で物流が発展すると、スピードや経済効率が優先されるようになり、ペースが遅いというだけで社会から取り残される人が出てきました。

また農業や製造業の大規模化・機械化の中で、多くの人が仕事を変えることを余儀なくされ、現在では商業、運輸通信業、金融業、公務、その他サービス業からなる第3次産業がすっかり主流になっています。

第3次産業はほかの産業形態に比べ、コミュニケーションや読み書きの力が問われます。時にはパソコンの前に座り、同じ部屋の中で、長時間仕事を続ける必要もあるでしょう。

つまり、特性的にそれが苦手な人だと「働く」という点で、すでにたくさんの壁が生まれてしまっているわけです。

実際そういった社会構造の変化によって不適応を起こした人が増えた結果、彼らを支援する意味でも「発達障害」という障害が、制度側の都合で生みだされたようにも感じています。そして、彼らを社会構造に当てはめるための訓練が今も続いているのです。

追い詰められた人に、さらに無理を強いる。そうしたアプローチばかりになっている今の社会は、とても残念です。むしろ苦手を認めつつ、特性を活かして働ける仕事を意識的に生み出す。そうした動きがより活発になってほしいと筆者は考えています。

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中邑先生の多様性社会が大事だと言う意見には完全に同意できます。しかし、ちょっと観念的でステレオタイプな感じもします。昔が良かったと言われるけど、生産力が低い時代では子どもは親の所有物のように乳児や女児の子捨てが当たり前だったし、戦後でも今は虐待と言われるような事が躾として認められていたのですから、一面だけで子どもの環境の是非は評価できません。

昔、支援学校の国際交流の時間に外国のアーティスト(絵画)を招いて、授業の前に校内を案内した時の事を思い出しました。彼は生徒たちの織物作業の授業を見て、いろいろ質問していました。彼の質問に対して、生徒はこの程度の事ができても社会には通用しないからというような返答をしました。

絵描きの彼は、手を大きく振って「それは間違いだ」と生徒に演説を始めました。「君たちの織りのスキルはアフリカの途上国なら指導員になれるレベルだ、世界は日本のように機械化されている国だけではない。人口比で言えば日本が珍しいくらいだ」と生徒に語り掛けました。生徒たちはこの外人のおっちゃん何言ってんのという表情でしたが、話が終わると笑顔でアフリカの学校の様子を聞いていた光景を思い出しました。

中邑先生の話やアーティストの話で、この国の現状がすぐさま変わるわけではありません。でも、大人が子どもに向かって発信するメッセージは、常識や現実だと思っていることは結構限定的なもので、一昔前や違う国では、違う文化があり、それもまた現実なのだと伝える事が大事です。

だからと言って、この国を昭和に戻したり発展途上の国にすることはできないけれども、変わらないものは何もないというメッセージを送り続ける事が大事なのだと思います。今後生産労働時間が減り、余った時間を生かせるのは凸凹の子どもたちだと私は思っています。中邑先生の文章は、それは違うなと思わせるところもありますが、色々考えさせてくれる本です。