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子供たちが気を付けること

子供たちが気を付けること・・・専門家に聞く、学校での注意点 4月8日から新学期〈宮城〉

4/7(水) 19:58【仙台放送】

宮城県内ほとんどの小中学校で、4月8日から新学期が始まります。新型コロナウイルスの感染が急拡大している今、子どもたちが気を付けることを感染症の専門家に聞きました。

東北大学で、感染症を研究する吉田眞紀子助教です。県内では小中高校あわせて9件のクラスターが発生するなど、学校でも新型コロナウイルス感染の危険性は高まっています。子供たちは何を気を付ければいいのでしょうか?

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「1番は“先生も生徒もマスクをしている”。2番は“距離がとれている”。3番は“換気がとてもいい”。これが守られていれば感染リスクはかなり下がる」

県内のほとんどの小中学校は8日から新学期を迎えます。子供たちや保護者に気になることを聞きました。
小学4年生
「楽しいけど、不安なところもある。体育の時にマスクを外して、集合するときに近づくから、どうなのかなと思います」
マスクを外す場面もあるのが、体育や音楽の授業。吉田助教も状況に応じてマスクをつける必要はあるとしています。

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「できることならば、マスクはした方がいいです。広いグラウンドは非常に換気がいいため、1メートル、2メートルずつをあけて走るならマスクをしなくてもいいんじゃないか」

もう一つ、マスクを外す必要があるのが、給食の時間です。
小学4年生の保護者
「給食の時間にお話してるのをやめなきゃいけないのか」
マスク会食が呼びかけられる中、吉田助教も「給食での黙食」は大切と指摘します。

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「食べるということは、非常にリスクを伴うタイミングではあります。『これおいしいね、食べる?』と会話をすると、その途端、口から飛沫が相手に届く。ちょっと寂しいけども、『まずはごはんは食べよう』。『食べる時は食べる、しゃべる時はしゃべると分けよう』と子供たちに話す」

子供たちの重症化リスクは低いとみられていますが、家族のためにも感染は避けなければなりません。子供たちからはこんな質問も…。

中学2年生
「友達とじゃれあって感染するケースがあるので怖いですね。除菌をするときに、一日に何回やったらいいのかとか気になります」

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「何回すればいいのか。突き詰めると触ったたびに消毒しなきゃいけなくなる。それは実際には無理です。この感染症の中心となる感染経路は『会話・飛沫』なんだとだから、消毒にそこまで大変な思いをしてまでしなくて大丈夫」

コロナ疲れも指摘される中、吉田助教は過剰に心配することなく、基本的な対策を続けていくことが大切と話しています。

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「今、分かってきたことをうまく取り入れて、過剰なことはしない。でも必要なことはしっかりときちんとやっていくことを守って、その上で、さまざまな遊びや授業を実践していってほしい」

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グランド・戸外はマスクはいらなかったはずが、いつの間にかの自己規制で外でもマスクをすることに変わっていきました。運動するときは、熱中症や換気障害の危険のリスクの方がはるかに高いのですからマスクは外して当然です。給食中はおしゃべりしないけど、遊び時間が長くなると前向きに考えます。そして、普段の自由な会話まで禁止する必要はないし、もしそれを規制するなら、そもそも授業が成り立たなくなります。

メディアは、子どもで重症化した人は誰もいないことをまず伝えることが大事です。子どもから家族に感染させない配慮を求めるコメンテーターがいますが、その配慮のない発言で敏感な子どもが不登校になっている責任こそ問いたいです。そもそも、この国のPCR陽性者率は欧米から二桁も少ないのです。日本は昨年2月からカウントして千人で5人ですが、アメリカでは千人で100人です。

東アジア圏は欧米と状況が全く違う事をメディアは積極的に伝えようとはしません。欧米の陽性者数で言えば誤差の範囲とも言える人数だけれども、人種的生物学的な違いかどうかは解明されてないので、伝統的に続けてきた手洗いうがいの予防を続けていくのが妥当な選択なのだと思います。

子どもたちにも、大人は正確な事実を伝えることが大事です。メディアは全ての事実を伝えているとは限らないという話も高学年以上には必要な知識かもしれません。そして、中学生くらいになれば、自分に大きな損害がないなら自分の意見が違っても大勢にあえて合わせておく処世術が大人にはあるということも伝えたいものです。

でも、長いものに巻かれる付和雷同型が増えると差別やいじめが起こりやすくなることも同時に教える必要があります。それ以上深い話になると政治や哲学・心理学の話になるので、自分で調べてみたら面白いかもしれないねと伝えようと思います。

公立小「35人学級」、端末利用も本格化

学校現場も新しく公立小「35人学級」、端末利用も本格化

4/6(火) 19:32【産経新聞】

新型コロナウイルスの収束が見通せない中、各地の小中学校で6日以降、順次、新学期がスタートする。公立小では、教室の「3密」回避のため、1クラスの定員を引き下げた「35人学級」が始まる。導入初年は2年生が対象だが、すでに多くの自治体で実現済み。国の計画では3年生以上は卒業まで対象外となる一方、前倒しで高学年まで少人数化を拡充する動きもあり、地域や学年による学習環境の差の広がりも懸念される。

1クラスの人数は義務標準法で上限が定められており、教室の3密を解消するための方策として3月末に改正法が成立。公立小で、すでに35人だった1年生を除く2~6年生の上限を40人から35人にした。今年度から、学年ごとに5年かけて引き下げていく。

ただ、今年度の対象となる2年生は、指導の充実を目的に設けられた教員加配の予算措置により「すでに全国のほとんどの学校が35人学級となっている」(文部科学省)。そのため、学校現場の環境改善は限定的になるとみられる。

一方、国が示した移行計画に基づき少人数化を進めると、新3年生以上は卒業まで対象外となるため、一部の保護者からは「不公平だ」との声も上がる。東京都渋谷区立小では、児童数が計39人で2年生当時は各19、20人の2クラスだった編成が、新3年生に進級すると1クラス39人となり、学級人数がほぼ倍増するケースもあるという。

国の方針に先駆けて35人学級を前倒しで進める自治体も目立つ。埼玉県新座(にいざ)市は市立小4校で新3年生の学級が35人を上回ることになるため、独自に対象を拡大し、35人以下に抑えた。

平成20年度以降、少人数学級を増やしてきた北九州市では新学期から全ての学年で35人学級化が完了。市立小全体で昨年度に比べて約30クラスが増えることになった。東京都杉並区は都採用の教員に加え、区も独自に採用を行い、全学年を35人学級にしている。

都内では、昨年度時点で全学年が35人以下に収まっているのは公立小の約8割。2割は40人学級の学年が残るが、その中でも独自の工夫により学習環境の改善を進める例もある。

3年生から40人学級での編成となる荒川区立第三日暮里小では、月内にも全学年が利用できる校内専用のテレビ会議システムを導入。タブレットや電子黒板を使い、図書室やロビーなどを第2、第3の「教室」として活用して、分散させた児童を双方向で結ぶ授業などを検討している。

末永寿宣(としのぶ)校長は「学級という枠組みにとらわれず、校内全体を学びの場として考えた。教育効果も期待でき、教員の工夫次第でピンチをチャンスに変えられる」と話した。

■1人1台、先生が不安?
小中学校では3月末までにほとんどの自治体で学校現場にパソコンやタブレットといった1人1台の学習用端末の納品が完了し、新学期から本格的に授業などでの活用が始まる。ただ、不慣れな教員のスキル習熟や低学年に対する指導方法など課題が山積しており、政府の構想通りに進められるかは不透明な状況だ。

小中学生に対する1人1台の端末配備は新型コロナウイルス禍を受け、政府が前倒しで進める「GIGAスクール構想」の一環で、遅れが目立った学校現場のICT(情報通信技術)化の柱となる目玉政策だ。

文部科学省は学校現場での本格始動に合わせ、各地の教育委員会や学校現場から8人の教員を登用し、専属で支援を行うチームを強化。学校側の相談に対応するほか、ICT活用の参考授業例などを発信する。

ただ、学校現場では指導を始める前段階で課題が山積しているのが実情だ。6日に区立小中学校の入学式を行った東京都足立区では、5月から児童生徒に配布する計画だが、「チョーク1本でやってきたベテランを中心に不慣れな教員もかなり多い」(区教委)。

同区立校では、在校生の約2割に当たる約1万人の児童生徒の家庭には通信環境がなく、自宅への持ち帰りを前提にした文科省が示す構想の実現に苦心する。区教委の担当者は「教育方法を誤れば、子供に逆に苦手意識を与えかねないので丁寧に進めたい」と語る。

首都圏の公立小で低学年を受け持つ女性教員は「アルファベットを知らない子供にパスワードを入力させるのも一苦労。どう教えていくのか、走りながら考えるしかない」と話した。

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2年生はすでに措置済みと言うのは、京都府も同じです。国の加配を活用して平成20年度から、京都府の独自措置で教員配置の拡充を行い、小学校において30人程度(30~35人)の学級編制が可能となる教員を配置しています(京都方式)。ただ、国の制度は35人学級ですから、最小18人で平均27人ですからさらに減らせますし、これまでの加配部分を削らなければ通級指導や特別支援、ICT教育支援にも人手を回すことも可能となります。

「GIGAスクール構想」での混乱ぶりは記事にもうかがえます。この頃の端末は一度パスワードを打ち込めば端末自身が記憶していますし、iPad等は生体認証ですから、何故低学年にアルファベットのパスワードを毎回打たせているのか、導入担当者は何をしているのかと思ったりもします。そもそも、全ての生徒用端末は担当者がネットワーク上でパスワードを含めて管理できるようにするのが当たり前ですが、この記事を読んでいると不安にすらなります。

しかし、先生も子どもも習うより慣れろでしょう。導入すれば子どもは自分でどんどん学んでいきます。気になるのは、プログラミング教室の流行です。週1回90分で1か月2万円とは小学生にしては高額だと思いました。これは、いつまでたってもプログラミングを本格的に教えない学校の責任ではあるのですが、スクラッチなどはちょっと触れば子どもでも自然に学べるプログラム言語なのに「プログラミング」という言葉に大人が怖気づいてこんな高額な塾が流行る原因を作っているのではないかと思います。すてっぷやじゃんぷでも子どもの興味の持ち方次第では療育として十分に教えられる内容です。

発達性協調運動障害児の手先の不器用さ改善

確率共鳴現象で発達性協調運動障害児の手先の不器用さ改善、畿央大学などが検証

2021年4月5日【大学ジャーナルオンライン】

畿央大学の信迫悟志准教授らは、武庫川女子大学、明治大学、慶應義塾大学と共同で、コンパクトな確率共鳴装置を手首に装着することで、発達性協調運動障害を有する児の手先の器用さが改善することを明らかにした。

発達性協調運動障害(DCD)は、麻痺はないが協調運動技能の獲得や遂行に著しい低下がみられる神経発達障害の一類型。学校生活・日常生活やスポーツ活動の様々な運動スキルに不器用さが現れ、自己肯定感・自尊心の低下や不安障害・抑うつの増加といった心理面への影響も懸念される。DCDの頻度は学童期小児の5~6%と非常に多く、その過半数が青年期・成人期にも協調運動困難が残存するとされる。

一方で、身体への微弱な機械的ランダムノイズ刺激による感覚・運動機能の改善は、古くから知られている。この改善は確率共鳴(SR)現象と呼ばれ、健常者に加え脳卒中後片麻痺患者・パーキンソン病患者・脳性麻痺児でも観察されている。しかし、DCDを有する児に対する介入報告は極めて少なく有効性は不明だった。

研究グループは、6~11歳のDCDを有する児30名(平均年齢9.3歳)にSR現象を用いた二重盲検介入研究を実施。児の両手首に装着された振動触覚デバイス(SRデバイス)による振動触覚ランダムノイズ刺激によってSRを提供し、手先の器用さテスト(微細運動機能テスト)を行った。その結果、SR装置によってSR現象を付与している際に、DCDを有する児の手先の器用さが有意に向上した。

ただし、SRによる改善効果はその直後のSRを提供しない際に持ち越されなかった。今後は、SRの提供時間の長さやSR装置装着中の運動の種類と「持ち越し効果」との関連についての研究が必要としている。

論文情報:【Frontiers in Neurology】Influence of stochastic resonance on manual dexterity in children with developmental coordination disorder: A double-blind interventional study

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発達性協調運動障害(DCD)の子どもは、「ミルクを飲むときにむせやすい」「寝返りがうまくできない」「ハイハイがぎこちない」など、乳児のうちからその兆候は現れてきます。保育所や幼稚園に通うような幼児期には、「階段の昇り降りが苦手」「はさみがうまく使えない」「着替えが遅い、難しい」など、さまざまな形で症状が現れます。

DCDの頻度は6~10%と高く、小学校の30人学級ならクラスに2、3人はいる計算になります。注意欠如・多動性障害(AD/HD)の約30~50%、限局性学習障害(LD)の子どもの約50%に見られ、自閉症スペクトラム障害(ASD)と併存することも多くあります。そして、この障害は大人になっても、50~70%と高い頻度で残存するとされています。

これまでも発達障害のある子どもに不器用さが見られることは認識されていましたが、そのような症例が単独にも存在し、発達障害の子どもたちを理解し、支援していく上で重要であることが、近年専門家により指摘されています。発達性協調運動障害(DCD)の子どもたちの「不器用さ」は、生活の場面でも、学習の場面でも、本人の心に大きな負担となります。不器用さは、専門家ですら脳の機能障害と理解している人は少ないために周囲からの支援は受けにくく、逆に、保護者や教師から間違った対応がなされて、事態が悪化するケースがあります。

例えば、「縄跳びが飛べない」「縦笛が吹けない」「字をマス目に収められない」、そのような子どもに対して、教師も保護者も「練習が足りない」「怠けている」「だらしない」「何度も繰り返せば、必ずできるようになる」として、反復練習を強いる指導をしがちです。本来は発達障害の一種であることを理解した上で、ていねいな説明と適切なサポートや合理的配慮を行うべきなのに、挫折感や屈辱感を与えるような訓練が繰り返され、結果として本人の自尊感情が大きく損なわれます。

どんなに運動が下手でも、体を動かすことが嫌いな子どもはいません。比較されることがなく、“ここでは下手でもいいのだ”とわかれば、子どもたちは安心して運動にチャレンジします。小さな目標であっても、それを達成した喜びは子どもを前向きな気持ちにさせます。その環境の一つが、DCDの子どもたちが比較的多い放デイと言えます。運動が苦手で学校では外野に追いやられ、ボールが回ってこないのでスポーツの楽しさを得ないまま高学年になる子どもが少なくありません。そうした子どもたちにとっての放デイでのスポーツは、外野の声を気にせず安心してスポーツが楽しめる条件があります。

そして、今回の研究成果は、手先の不器用さにアプローチするデバイスの開発でした。これはもともと内視鏡手術などで敏感な感覚を必要とする道具として開発が進められていた技術です。DCD支援のセオリーは粗大運動から微細運動にというもので、いきなり細かな手先の運動から入るのは禁忌なのですが、このデバイスがあれば器用さが増すというものです。残念ながらこのデバイスがないと効果は持続されないのでさらなる研究が待たれます。

発達マイノリティーという考え方

発達障害は「障害」か 発達マイノリティーという考え方/下

西田佐保子・毎日新聞 医療プレミア編集部
2021年4月4日【毎日新聞】

「発達障害」は、先天的な脳の機能の偏りにより生じる障害の総称で、自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如多動性障害(ADHD)、特異的学習障害(LD/SLD)などが含まれます。重度のASDの作家・東田直樹さん(28)によるエッセー「自閉症の僕が跳びはねる理由」が原作のイギリスのドキュメンタリー映画「僕が跳びはねる理由」(2020年)の字幕を監修した、明治大学子どものこころクリニック院長で、東田さんとも交流のある山登敬之さん(63)は、発達障害ではなく、発達マイノリティーと呼ぶことを提唱しています。(前編「映画「僕が跳びはねる理由」で知る発達障害の誤解/上」)

発達障害は病気ではない
――山登さんは、精神的ストレスから生じるうつ病や統合失調症などの2次障害がなければ、特に発達障害に積極的な診断は必要ないとの考えをお持ちですが、その理由をお聞かせください。

◆発達障害は病気ではありません。「障害」とされているものは生物学的な特徴であり、個人差です。個人が困ることなく生活できていれば、診断の必要はないと思います。ただ、2次障害の他にも、日々の日常生活を送る上で支障があり、ご本人が悩み、周りも心配するケースなどがあります。その場合、医者がサポートできることがあれば、もちろんします。福祉のサービスを受けるために診断書が必要になるとか、そういうときも、ですね。

――いわゆる“大人の発達障害ブーム”で、その概念は広く知られるようになりました。

◆ASDであれADHDであれ、発達障害の人は、周囲の人と比べ自分にはできないことが多い、自分は周囲と違うなどと感じて、寂しい思いも悔しい思いも重ねてきています。「大人になって発達障害と診断をされて、自分の生きづらさに合点がいって、それから道が開けた」といった話ばかり注目されます。しかし、診断がついたからといって根本的な問題が解消されるわけではありません。発達障害に根本的な治療法はないのが現実ですし、必要なのは治療より支援です。マイノリティーはマイノリティーのまま生きていく。大変な思いをすることには変わりがないわけですよね。だからこそ、支援の重要性に目を向けるべきだと思います。

――ADHDの場合、薬物治療という選択肢もあります。また、不注意、多動性、衝動性などADHD特有の思考の“癖”と捉え、何らかの対策を取ることも可能ではないでしょうか。

◆確かにADHDの場合はできないことが具体的なので、工夫のしがいがあると思います。ASDの人たちのように、コミュニケーションの仕方がわからず人間関係を築けないという方に、助言をひとつするのも難しいじゃないですか。その点で言えば、ASDとADHDでは異なります。

――先ほども「マイノリティー」という言葉が出てきましたが、山登さんは「発達障害」の代わりに「発達マイノリティー」と呼ぶことを提唱されています。

◆「セクシュアルマイノリティー」から着想しました。後から知りましたが、僕よりも前に「発達的マイノリティー」と表現している精神科医の人もいますし、最近、発達障害の著作でベストセラーを出した本田秀夫さんは、発達障害は生きづらさを抱える少数派の「種族」であると言っています。
発達障害の人は、生まれつき皆と違うから「障害」と言われてしまいます。でも、発達の仕方は人それぞれ異なります。発達が平均的集団と異なる一群に名前をつけただけですから、社会的には「マイノリティー」と考えてもよいのではないでしょうか。

ASDの人たちの進路はどう決まる?
――日本の精神医療の現場では、米国精神医学会の作成する国際的診断基準「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」をもとに診断する医師が多いといわれています。DSMの第4版(DSM-4)には「広汎(こうはん)性発達障害」というカテゴリーがあり、多くのケースで知的障害を伴う「自閉症」、知的障害は伴わない「アスペルガー症候群」、一部自閉症の特徴がある「特定不能の広汎性発達障害(PDD-NOS)」といった分類がありました。しかし、13年に改定されたDSM-5からは撤廃され、ASDという単一の診断名に統一されました。そのことにより診療の場で混乱が生じませんでしたか。

◆DSM-5でASDを診断するには、「複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的な欠陥」と「行動、興味、または活動の限定された反復的な様式の存在」という二つの項目を満たす必要があります。「スペクトラム」は連続体を意味しますが、これは同じASDでも特徴の「濃淡」は異なるということです。特徴が濃い、つまり障害の重さ、生活の不自由度などは人それぞれで、精神医学的に障害として同じグループになっても、必要な支援は異なるのです。
ASDは人口の約2%を占めると言われていますが、軽度の方が最も多く、重度の方が最も少なくなっています。東田さんのような、会話も困難な、いわゆる古典的な「カナー型自閉症」の数は限られます。東田さん自身も、「僕みたいな自閉症とアスペルガーみたいな人たちを一緒にして語るのはどうか」と話していました。

――ASDの治療法は確立しておらず、療育が重要になります。ASDの人の多くはいつ診断され、どのように進路を決めていくのでしょうか。

◆日本は1歳半と3歳時の検診で、子どもの成育過程をチェックしていきます。3歳検診の時に言葉が出ないなど、同年代の子どもに期待されることができない場合、公的もしくは民間の療育のサービスを受けられます。そして、保育園や幼稚園で年長のとき、就学相談を受けます(ただし任意)。重度のASDの場合は、特別支援学校や特別支援学級に通い、軽度だと、通常学級に入って、週1回程度の特別支援教育を受けることになります。

――東田さんなど重度のASDで会話が困難ながらも知的レベルが高い人が、一般の人と同じ教育を受けることは難しいのでしょうか。

◆東田さんは小学校6年生から中学校卒業までは特別支援学校に通ったけれど、ちゃんと勉強したいということで、通信制高校に入学して卒業しています。ただ、重度のASDで会話ができず、知能検査で要求する問題に答えられないと、知的能力が低いと判断されてしまいますから通常の学校に通うのは難しい。「そのような検査が彼らに適切か」「その知能を正しく数値化できるのか」という問題もあり、教育現場の状況は変わっていません。

――卒業後は、どのような道を進むのでしょうか。

◆障害者雇用枠で企業に就職する人もいます。ただ、社内で働く人たちの理解や認識はさまざまです。最初は黙って受け入れているものの、知らず知らずのうちに排除する動きが出てきて、それにいたたまれなくて出勤できなくなってしまう人もいます。また、通常の就職が現状では困難な人は、就労継続支援A型や同B型といった施設に通所しながら働きます。ただ、そこでも適応できずに家に引きこもる人もいます。

――介護する保護者などが亡くなった場合、生活をどのように続けていくのですか?

重度のASDの方々は施設に入所、もしくはグループホームに入居するケースが多いですね。介護のサービスを受けながら、アパートから福祉施設に通所する人もいます。

日本はそれこそ高齢者の介護もそうですが、家族任せの面がまだまだあるので、介護する両親の体が動くうちは子どもの面倒をみようとする。ASDの人の自立を考えたら、もっと多くの選択肢があればよいと思います。

――海外でASDの人たちはどのように見られているのでしょうか。

14年に「シンプル・シモン」というアスペルガー症候群の青年を主人公にした映画が公開されました。あの中でシモン青年は「触らないで、アスペルガーです」と書いたバッジを胸につけているんですよ。感覚が過敏なので不意に触られるとビックリしてしまうというわけです。でも、「それだけこの種の障害が社会に認知されているんだな」と思って感心しました。日本では「アスペ」といったら、「コミュ障」と同様、一種の悪口ですから事情が全然違いますよね。

――ASDの方々が個性を伸ばし、満足度の高い生活を送るためには、私たちの手助けが必要だと、東田さんも語っています。具体的にどのようなサポートをすればいいのでしょうか。

◆例えば、足の悪い方が重い荷物を持って階段を1段ずつ上っていれば、僕らは何をすればいいかわかります。でも、電車の中で大きな声を出して、ぴょんぴょん跳びはねている人を見かけて「どうしたの?」とたずねる人は少ないでしょう。
ひょっとすると、その人は楽しんでいるだけかもしれない。でも、その人も、東田さんと同じ生きづらさや苦悩を抱えているかもしれません。そのような、伝わりにくい、伝えにくい、ギャップをどう乗り越えるか――。

先ほど、ASDの人たちの進学や就職などについてお話ししました。まずは、彼らの存在に関心を向けること、彼らがどのように生活しているかを知ることが第一歩かと思います。

やまと・ひろゆき 精神科医、医学博士。明治大学子どものこころクリニック院長。筑波大学大学院博士課程医学研究科修了。専門は児童青年期の精神保健。主な著書に「新版・子どもの精神科」(ちくま文庫)、「子どものミカタ」(日本評論社)、「東田くん、どう思う?」(東田直樹さんとの共著、角川文庫)ほか。

映画「僕が跳びはねる理由」
公式サイト https://movies.kadokawa.co.jp/bokutobi/

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映画「僕が跳びはねる理由」が京都でも上映されます。
アップリンク京都
https://kyoto.uplink.co.jp/map
tel. 075-600-7890 kyoto@uplink.co.jp
〒604-8172 京都府京都市中京区烏丸通姉小路下ル場之町586-2 新風館 地下1階
4/16(金)~ 公開 時間未定
4/17(土) 『僕が跳びはねる理由』特別ビデオ舞台挨拶開催 時間未定

学習障害抱える児童、タブレット支えに無事卒業

学習障害抱える児童、タブレット支えに無事卒業 ノート代わりに黒板撮影、テストでも利用OK

2021年3月31日 10:30【京都新聞】

文字の読み書きが苦手な「学習障害」がある京都府長岡京市の児童が、理解を支える道具としてタブレット端末を活用し、今春小学校を卒業した。テストでの利用も認められており、国の施策で全児童生徒へのタブレット配備が本格化する中、障害がある子への対応の広がりに期待がかかる。ただ、専門家は「渡すだけでは問題が解決せず、個性に応じた補正が大切」と支援の必要性を呼び掛けている。

長法寺小に通っていた山木旬(しゅん)君(12)は、学習障害の一種「発達性ディスレクシア」と診断されている。知的能力に遅れは見られないが、漢字を枠の中に文字を収めたり、読んだりすることが苦手で、読み書きに多くの時間を要し、理解する前の段階でつまずく。「なんで自分だけできひんねやろう」と悩みは尽きなかった。

母の弥生さん(44)は、文部科学省が定める「合理的配慮」としての対応を学校と協議。文字やスペースを大きくし、ルビを打ったプリントや、ペンで触れると音声が流れる教科書に加え、6年生になるとタブレットを持参して使うことが認められた。

授業中は、読み書きを別の方法に置き換えている。ノートを取る作業の代わりに黒板を撮影。アプリを使い、画像への書き込みや自動読み上げができるようにする。画面上では自由に拡大可能なため、記入しやすくなるだけでなく、1文字ずつが認識できる利点もある。「置いてかれている」と感じていた授業が、少しずつ分かるようになった。2学期からは、一部の教科ではタブレットでのテスト受験も認められ、評価対象となった。

澄んだ空が広がった今月19日。卒業式を終えた山木君は、同級生たちと笑顔で記念写真に収まった。「しんどいこともあったけれど、楽しい6年間だった」と穏やかな表情を浮かべ、将来への思いを口にした。「夢は学校の先生になること。僕みたいな障害がある人に優しく教えてくれる先生がいたので、僕もそうなりたい」

■能力・特性に応じて調整を
文部科学省が推進する「GIGAスクール構想」は、タブレットやパソコンを小中学生に1台ずつ配備する計画で、新年度から本格運用が始まる。障害がある児童生徒の情報通信技術(ICT)機器持ち込みは、自治体によって対応に差があり、活用へのハードルが軽減される可能性もある。

NPO法人「支援機器普及促進協会」(長岡京市)の高松崇さんは「視力が低い場合は眼鏡を掛けるように、学習障害がある子は、ほかの子と困り方が違うからタブレットを使うということ」と、必要性を説明する。

端末配備で、個人負担だけでなく、周囲の子や保護者が抱きがちな不公平感が、取り払われる利点があるという。その上で、「眼鏡も個人に合わせた調整が必要であるように、機器を渡せば理解できるのではなく、その子に合った補正が大切」と指摘する。機器の役割は本人の自立の支援だ。能力に応じたアプリの設定や、紙に文字を書くのと同程度の入力技術が、子ども自身で機器を使いこなす上で重要となる。

山木旬君は、ICT機器を通じた療育支援を行う放課後等デイサービス「ヴィキッズ」(向日市寺戸町)に通う。入力練習だけでなく、検索方法や、授業と日常生活に役立つアプリの使い方を学ぶ。帰宅後も、学校で撮った黒板画像で復習を繰り返し、活用技術の向上に努め、学習意欲にもつながっている。講師の岡田拓郎(たくお)さん(39)は「日進月歩の技術を使った新たなアプローチ。学習障害であることを気にせず生きていけるきっかけになれば」と見守る。


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学習障害の子どものために、デジタル教科書やICT支援にPCやタブレットの教室持ち込みを学校に提案すると「他の子どもとの公平性の問題がある」と担任から何度も断られた経験があります。眼鏡や補聴器と同じことではないかと食い下がっても、それは社会に認められているからだと取り付く島もありませんでした。社会を変えるには学校がパイオニアになることなのに、そんな気概も学校からは失われてしまったかと悲しくなりました。

福祉行政や相談事業所にも学習障害は学校や塾が対応することだと誤解している関係者がいます。学習障害は聞けばわかるが読めないとか、喋れるが書けないというもので、教科学習以前の問題ですから、当然医療や福祉も関わるわけです。眼鏡や補聴器をはじめ障害の支援機器は福祉が扱っています。視覚障害の子どもに白杖の指導をしたり点字の支援をするのは福祉か学校かと言い合うことはありません。それと同じように考えればいいのに、かたくなに福祉支援の対象ではないと言い張る担当者が未だにいるのです。

それが、このGIGAスクールでやっと学校では支援が実現しそうです。でも支援機器の使い方はその子の特性によって違います。今後も、ICT機器の使い方が他の子どもと違うと言って特別を認めない先生が現れないか若干心配もあります。しかし、こうした記事が掲載されることで、ICT支援は学習障害への当たり前の対応だという事が広まればいいと思います。新しい放デイ事業所じゃんぷでは、「発達性ディスレクシア」に特化した療育を専門的に実施しています。特性に応じた学校での対応と同じように、家庭でも特性に応じた自学自習が必要です。アセスメントを繰り返しながら、正確で持続的な支援が必要です。詳しくは075-874-5170(学びの広場じゃんぷ)までお電話ください。