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加賀まりこ「自閉症の息子と向き合うパートナーを見続けて・・・〈生まれてきてくれてありがとう〉」

加賀まりこ「自閉症の息子と向き合うパートナーを見続けて。だから言いたい〈生まれてきてくれてありがとう〉」

11/16(火)【婦人公論】

現在発売中の『婦人公論』11月24日号の表紙は女優の加賀まりこさんです。11月より公開の映画『梅切らぬバカ』で自閉症の息子を持つ占い師・珠子を演じている加賀さん。自身のパートナーの息子も自閉症であることから、どうしても入れたかった台詞があるそうで――。発売中の『婦人公論』から記事を掲載します。
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◆パートナーの息子がもってきてくれた役
私はテキパキして口調が強いけど悪気はないとか、しっかり者の役が多かったけど、今回の映画『梅切らぬバカ』は自閉症の息子をもつ地味な占い師。夫がいなくなってから二人で生活していて。隣の家族や地域との関わりを通じて、息子の自立を模索していくのね。

偶然なんだけど、パートナーの息子が自閉症なの。監督(和島香太郎)に45歳になるそういう子どもがいるって話したらびっくりしてた。私たち夫婦のことをまったく知らないからね。

あの子がこの役をもってきてくれたのかな。塚地武雅さん演じる息子の忠さんのような感じだもん。いつもあらぬほうを見てるのよ。視線を合わせないの。でも目はすごく綺麗。澄んだ瞳で、純真で。その子がいたから映画で塚地さんと自然に親子になれたのね。

パートナーと最初に会ったのは、三浦友和さんと共演した1980年のテレビドラマ『しあわせ戦争』。

86年の『男女7人夏物語』では、私が明石家さんまさんの義理の姉役で、関西弁の台詞を猛特訓したの。その時のディレクターだった。

◆監督に「入れてね」って言って
98年の『ハムレット』の公演中に彼と一緒に仕事する話があって、舞台を観にきたの。私が55歳の時ね。「あ、コイツ、いい顔になったなー」って思った。それから「つき合って」って言うんだけど、なかなか「うん」と言ってくれない。

でも彼をノックし続けたの。息子さんのことも、若くして離婚したのも知ってたからね。お母様が年取って弱ってきて、孫の面倒みきれなくなったし、彼の仕事は忙しいし。預けたいと探してたら見つかったの、いい学園が。それが5年後ね、私が60歳。彼、54歳。で、やっと「いいよ」って。(笑)

その学園には両親を亡くした60歳の人も元気に過ごしてる。それを見ると安心よね。救い。どうしたって親は先に逝くからね。忠さんを施設に入れるって決めた時も将来が不安だからだし。

パートナーは障害がある息子と向き合って変わったから、人間としての成長の糧になってるのよ。「息子に感謝ね」っていつも言ってる。あの子のためにと思い、あの子の力になりたくて頑張ったことがいっぱいあるのよね。忍耐強いし、優しい。

私はそれを見てるから、『梅切らぬバカ』で、忠さんに、「生まれてきてくれてありがとう」っていう台詞を言いたかったの、どうしても。監督に台本の段階で、「入れてね」って言って。

この映画を観て、障害がある人たちに優しい眼差しを向けてくれると、やった甲斐があるなぁ。忠さんは作業場でお菓子の箱作ってる。ああいうふうに仕事しながら生きていってほしいよね。

(構成=小西恵美子、撮影=鍋島徳恭)
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京都での上映館はTジョイ京都1館だけですが、月曜でも8割の入りでこの手の映画では良く入っていると思います。主役が加賀まりこ、塚地武雅。脇を固めるのが渡辺いっけい、森口瑤子、徳井 優、高島礼子のベテラン陣ですから安心して観られるというのも観客を動員するのか知れません。

桜切るバカ梅切らぬバカからとったタイトルですが、桜は切ったら木が弱るから切らぬ方が良く、梅は枝を落とせば良い実がなるというのが「常識」だが、邪魔でも梅の枝は切らぬというのが映画のテーマです。グループホームに入れた息子が地域に迷惑をかけ、反対運動につながっていく中で、住民が「私たちはただ普通の暮らしがしたいだけです」と拡声器で訴える声に「普通って何だろう」という疑問が湧いてきます。

障害者を良く知らない人は、障害者は怖い、障害者は自分の近くにはいない方がいいと思い、身近に知った人は、別に近くにいてもいいと思い始める両者のコントラストを映画は描きます。福祉法人の人がいつも申し訳なさそうに住民に詫びているのが辛いのと、塚地さんのASD役が上手すぎて個人的には鼻につくという向きはありますが、どこの街でも起こりうるグループホームをめぐる軋轢ですから是非ご覧になって、「普通」を考えるきっかけになればと思います。

妊娠、相談しやすい環境必要 知的障害者への支援提言

妊娠、相談しやすい環境必要 知的障害者への支援提言

2021年11月16日 【朝日新聞】

約2年前に佐賀県武雄市で起きたトイレのタンク内に出産直後の女児の遺体が放置され、知的障害のある母親(当時23)が逮捕された事件を受け、県が設置した検証会議の報告書がまとまった。妊娠を自覚しながらも周囲に相談できないまま命が失われた事件を検証し、障害者への支援や性教育の必要性を提言した。

報告によると、母親は2019年12月に武雄市の自宅トイレのタンクに女児を産み落とし、死亡させた。約1カ月後、トイレのくみとり業者が遺体を見つけ、事件が発覚した。20年、死体遺棄の罪に問われた母親に対し、佐賀地裁で懲役1年2カ月執行猶予3年の判決が言い渡された。

県はこれを虐待事案に認定し、大学教授や弁護士、医師など6人で構成される検証会議を設置した。当事者やその家族、保健所や特別支援学校などに聞き取りを重ね、20年11月~21年9月に6回にわたり会議を開いて報告書をまとめた。

報告書によると、母親は通った特別支援学校の同級生の男性と卒業後に交際。事件の4カ月前に検査薬で妊娠を確認して男性にも伝えたが、互いに誰にも伝えなかった。母親と父親となった男性には軽度の知的障害があったという。

報告では、①知的障害者に対する性教育と支援のあり方②知的障害者とその家族に対する支援の問題点、を挙げている。

①では、特別支援学校では妊娠したら病院を受診し、身近な人に相談するように教えられていた。だが今回、母親は妊娠が体に与える影響や赤ちゃんを育てることを理解できておらず、たとえ性教育を受けても日常生活で行動に移すのは難しい場合があると指摘している。

②では、複数の関係機関が母親の妊娠に気づけなかったことを指摘し、障害者の障害の度合いが中程度なら福祉サービスが充実している一方で、軽度の場合は本人からの相談が無いと手厚い支援をする機会が少ないとしている。

例えば、障害が軽度だったこの母親の場合、特別支援学校卒業後、国と県が業務を委託する障害者就業・生活支援センターが中心となって支援することになっていた。だが、あくまでも就業に関する支援が主で、本人からの相談が無いためプライベートな問題にまで踏み込んで支援して妊娠を把握することができなかったとした。

また、母親と同居する姉と弟の一人も母親より重い知的障害を抱えており、「比較的障害が軽度な母親に(対し母親の)両親が関わる機会が少なく、母親は両親と気軽に相談などができる関係性が築けていなかった」としている。

こうした事情を指摘したうえで報告書は、特別支援学校の卒業時に相談先をまとめた冊子を配ったり、妊婦らを支援したりする「子ども家庭総合支援拠点」を全市町に設置するように働きかけていくことなどを提言。相談しやすい環境づくりの必要性を訴えている。

報告書を受けとった県の担当者は「事案は母親が父親以外の誰にも相談できず、周りも誰も気づかないなかで起きた。相談しやすい環境や、周囲が気づいて支援に結びつく態勢の整備に努めたい」と述べた。(松岡大将)

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学校での性教育は時間通りにスライドを見せて一方的に説明してしまえば終わりというものが少なくありません。家庭や地域の生活感が薄れ、出産・子育て、介護や看取りは日常の事なのに子どもの目からはどんどん遠ざかります。今回の事件は知的障害があるからというより、カプセル化した家族や人との関係性の希薄さが原因で、そういう意味では最近の児童虐待の原因と同じように思えてなりません。

障害者や青年が相談しやすい環境といっても、私が相談員だから話してみなさいという人が何人いても話す気にはなりません。支援は小さな時期から何度も享受して上手くいった体験があるから関係性があるから受けようという気になるもので、いきなり深刻な内容を相談するには障害がなくてもハードルが高すぎます。まずは、身近な細かな困り事で何度も支援を受け相談して良かったという経験が大事です。

高等部の軽度知的障害と言われる生徒の場合、中学までは一応自立して生活やコミュニケーションができていた人も少なくありません。通所支援も受けたことのない人もいます。進路先の支援学校は高等学校よりははるかに仕事や暮らしのことについて教えてはくれますが、実生活のことまでは対応ができません。また、卒業してアフターケアーが業務として行われるわけでもなく、仲間も相談相手にはなりにくい場合が多いです。

子どもの頃から、支援を受けながら大人になっても相談できるようには現在のサービスシステムは設計されていません。生活を支える時には子どもの時に支援してもらって上手くいった経験がものを言うのではないかと思います。人生の伴走者としての支援サービスのシステム設計が必要なのだと思います。

特別支援学校のICT環境整備を共生社会モデルに 文科省会議

「特別支援学校の環境整備を共生社会モデルに」 文科省会議

2021年11月11日【教育新聞】

教育格差特別支援教育
特別支援教育の新たな学びに対応した学校施設の在り方を検討する、文科省の有識者会議の第2回会合が11月11日、オンラインで開かれ、ICT活用を見据えた学校施設の整備をテーマに、中野泰志臨時委員(慶應義塾大学経済学部教授)が報告した。中野臨時委員は、特別支援教育でのICT活用は困難さを軽減するためにいち早く進められてきた経緯に触れながら、視覚障害や聴覚障害など多様な障害を包括できるインフラ整備が教室内外で必要だと指摘。「特別支援学校の環境整備は共生社会のモデルとなるように進めるべきだ。一般社会をけん引する特別支援学校を目指してほしい」と提言した。

オンラインで行われた特別支援教育の施設の在り方を検討する会議
新たに設置された「特別支援教育の在り方を踏まえた学校施設部会」(部会長・上野淳東京都立大学名誉教授)では、▽特別支援学級と通常の学級の子供が共に学ぶ活動への対応▽ICT利活用による特別支援教育の質の向上▽医療的ケアが必要な児童生徒への対応――などについて議論を進めている。

国立特別支援教育総合研究所で主任研究官などを務めた中野臨時委員は、視覚障害や聴覚障害などのある児童生徒にとって、AI活用のナビゲーションシステムなどを搭載したICT機器は欠かせない重要なツールになっているとして、教室だけでなく学校のどこでもスマホでネット接続できる環境が必要だと指摘。こうした障害種別に応じて必要な機材が活用できる「情報保障」として、高速ネットワークや電源に加え、遮光カーテンや静かな環境への配慮も求められると強調した。

さらに非常時に聴覚障害者に文字で知らせるデジタルサイネージや、主体的な学びのためには寄宿舎などでも学習できるネット接続環境なども必要になると説明。「多様な障害を包括できる環境整備を進めて特別支援学校を共生社会のモデルとし、一般社会をけん引する形を目指してほしい」と提言した。

 これに対する質疑では、委員から「小中学校の1人1台端末は進んでいるが、障害のある子供に同じタブレット端末が配られがちで、配慮についてどう考えるべきか」「ICT環境整備について、普通学校での展開と特別支援学校の展開についてどう考えるか」といった質問が出された。

中野臨時委員は「障害の特性に応じた端末が配られているかというと、必ずしもそうなっていない。通常学級に在籍する子供も授業場面で使えるような個別の合理的配慮は不可欠だと思う。また、ICT環境整備については、理念として特別支援学校が模範になるべきで、まず重点的に整備して地域の学校に広げる形が望ましいと思う」と答えた。

同部会では、来月にかけて先進的な施設を視察した上で議論を重ね、今年度中に報告書を取りまとめて、同省の学校施設整備指針の改訂に反映させる。

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中央官庁で話されている事と、地方の現場では意識の格差を大きく感じてしまいます。高等部の生徒には10年以上前から、就学奨励費として親の代理で学校が申し込めば誰でもタブレット端末が購入できるようになっていましたが、それでも学校のWiFi環境が悪くてわざわざ無線ルーターを教室までに持って行って接続するような事が続きました。それでも、小中学生には配布されず、少ない学校予算の中からタブレットや周辺機器を購入していました。

今でも、学校中がWiFi環境にある所は数えるほどだと思います。それなのに、個々の障害にカスタマイズされたICT機器だのAI活用のナビゲーションシステムだの防災に役立てるデジタルサイネージ(電子看板)だのを学校環境に用意してはどうかという提案が現場とはあまりに違ってぶっ飛んでいて驚きました。そもそも、個性や障害に応じてカスタマイズするにもその知識を持つ人が配置されていません。

現場とかけ離れたあまりにも能天気な話とは思いましたが、障害のある人の学校にこそICTが縦横無尽に活かされることは賛成です。全ての子どもが端末を携帯し個性に応じてスケジュールやコミュニケーションデバイスとして使えるならどんなに素敵だろうと思います。ただし、教員の「便利遣い」ではさすがにカスタマイズやオーダーメイドの道は開けません。テクノロージーの普及と開発にはその道のプロフェッショナルが各校に複数は必要です。

15歳少女「エスカレーター右側しか乗れない」苦悩

15歳少女「エスカレーター右側しか乗れない」苦悩
「どいて」「なんで右に立ってんだよ」と言う人も

2021/11/10 【AERA dot.】

埼玉県で、10月1日に全国初となるエスカレーターに立ち止まって乗ることを求める条例が施行され、ひと月が経った。条例には賛否両論があったが、世の中には身体に障害を抱え、エスカレーターの片側にしか立って乗れない人もいる。その当事者である15歳の少女の現実と、両親の願いとは。

横浜市に住む高校一年生の林姫良(はやし・きら)さん(15)。生まれてすぐに脳に異常が見つかり、生後6カ月で頭部を手術した。左半身に麻痺があり上手に動かせず、歩く際はバランスを取りながら足を運ぶ。握力も、左手はとても弱い。

本来、2人乗りのエスカレーターは2列に立って、手すりを持って乗るという前提で設計されている。異常で緊急停止した際の転倒を防ぐためだ。だが、日本や世界各国では急いで歩きたい人のために片側空けの習慣が根付いており、過去には鉄道会社やメディアが乗り方のマナーとして推奨していた時期もあった。2000年以降はメーカーや業界団体などが立って乗るよう呼び掛けるようになったが、片側空けをマナーのようにとらえている人は今も多い。

身体を守るのも簡単ではない
姫良さんの住む横浜市を含め、関東は左側に立ち、右側を歩く人のために開けるのが一般的になっている。だが、姫良さんは左手でしっかり手すりをつかめない。

「もし姫良が左側に立っていて、エスカレーターが異常などで緊急停止したら、間違いなく転倒してしまいます」
父の正和さん(52)と母の太佳子さん(54)は、そう口を揃える。歩いて追い抜く人にぶつかられたら、転倒してしまう可能性もあるという。さらに転んだ時に手をついて身体を守る、ということも姫良さんには簡単ではない。

姫良さんは、「右側にしか乗れない」のだ。
脳の病気のためうまく思いを表現できないことがある姫良さんだが、エスカレーターに右側空けの慣習があることは理解している。

実際、小さいころから右側に立っていて、後ろから舌打ちされたことはしょっちゅうあったという。時には「どいて」と怒られたり、「なんで右に立ってんだよ」と言い捨てて去っていったりする人もいた。

誰が姫良さんを注意するか、後ろにいたグループがひそひそ話していたこともあった。本来の乗り方からすれば、右側に立つことは正しく、姫良さんが怒られる筋合いは何もないのだが、現実はそうではない。

エスカレーターに乗る際はいつも、親が左側、姫良さんが右側に並んで立つようにしている。後方から来た人に、事情を説明することもあるためだ。だが、姫良さんが小学校低学年くらいの頃、突然、左側の太佳子さんの一段下に移ったことがあった。

「小さいなりに、怖いと感じたんだと思います。大人だって右側に立つのは勇気がいることで、今でも後方から足音が聞こえると、怒られはしないかと私自身も怖く感じますし、長いエスカレーターだと不安がより大きくなります。姫良は今も人が多い時や、後ろから歩いてくる人の気配を感じると、遠慮して左側に移ろうとしてしまうんです」

と太佳子さん。人が多いときはしばらく乗るのを避け、タイミングを見計らって空いてから乗るようにしているという。

ヘルプマークを着けてはいるものの、効果はてきめんとは言えない。
「姫良は、ぱっと見では障害があるとはわからないので、右側に立っている事情が何かあるんじゃないかとはなかなか想像してもらえないんだと思います」(太佳子さん)

立ち止まって乗る文化の定着願う
埼玉県の条例が各地に広がって、エスカレーターに立ち止まって乗る文化が定着してほしいと願う両親だが、一筋縄ではいかない現実も理解している。取材中、正和さんと太佳子さんは「すぐには無理だと思う」「難しいですよね」という言葉を何度も口にし、考え込んだ。

苦悩は尽きないが、それでも両親の思いは切実だ。
姫良さんは赤ちゃんの時に、ハイハイした経験がない。左半身が麻痺していたため、できなかったのだ。物心もつかない幼少期から懸命のリハビリを続け、やっと立って歩けるようになった。

正和さんは当時を思う。
「リハビリの先生がスパルタで、小さな姫良はいつも泣きながら頑張ってきたんです。あのときの頑張りがなかったら大きくなっても歩けなかったでしょうし、エスカレーターにも乗れていなかったと思います。

今でも、ペットボトルのふたを、持ち方を工夫して開けるようになるなど、ハンディを抱えながらも頑張って生きていて、親として娘から教わったことはたくさんあります。だからこそ、障害がある人のことを知ってほしいですし、ハンディがある人が安心してエスカレーターに乗れる時代が来てほしいと、声を大にして言いたいんです」

太佳子さんも続ける。
「いつか姫良が親の手を離れる時、世の中がどうなっているか。姫良だけではありませんが、難しい障害がある人がいるということを、ひとりでも多くの人に知ってほしいです。知ってくれれば、時間はかかったとしても、少しずつ社会も変わっていくのではないかと思います。

エスカレーターを歩かない文化が根付くことが一番の希望ですが、まずは右側に立っている人がいたら『邪魔だ』と思うのではなく、何か事情があるのかなと思ってくれる社会になってほしいと願っています」

社会が変わらなければならない
当の姫良さんは、がまんしがちで弱音を吐かない性格もあってか、エスカレーターを歩く人たちへの考えや自分の願いは、今のところ言ったことがない。これからも、言わないかもしれない。

ずっと静かだった姫良さんだが、取材が終わった後、正和さんが「親がいなくなっても姫良はひとりで頑張っていけるかな」と聞くと、ニッコリ笑って「うん!」と答えた。

泣きながらリハビリを頑張った赤ちゃんが大きくなり、ずっと頑張り続けながらいつか親元から巣立つ。その時、どんな社会を作れているだろうか。(AERAdot.編集部・國府田英之)
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急ぐ人は元気なんだから、階段を走って上がりましょう。エスカレータ前にでっかく書いておけばどうかとすら思います。そもそも、右側空けの関東圏、左空けの関西圏、2014年のアンケート調査によると、「左に立つ」が57%、「右に立つ」は13・1%で、左に立つ関東方式が圧倒的に多く、右に立つ関西方式は少数派だそうです。

関西の左空けは、1970年開催の大阪万博のとき、他国の慣習にならって右立ち、左空けを呼び掛けたらしいです。最初の左空けは第二次世界大戦中で、ロンドンの地下鉄構内が防空施設とされたことからです。ドイツ軍の空襲で急ぐ人のために左側を空けたことに始まっています。それが世界各地に広まり、左空けの国が多かったために、日本もそれに合わせたそうです。

一方、東京では大阪よりも遅く、1980年代後半から片側空けが始まりました。左立ち、右空けが一般化したのは、古来の左側通行の歴史にしたがったからだと考えられています。日本の左側通行は、武家社会から始まったとされます。刀を持った武士が右側通行をすると、鞘さやが当たってトラブルが起こりがちだったため、これを防ごうと左側通行になったそうです。どうでもいいトリビアでしたが、時代や文化によって片方の空け方もまた文化なのです。バリアフリーの時代なのだから、エスカレータは止まって乗り、急ぐ人は階段を使えという文化になって当然です。

元看護師は「更生の道が相当」 無期懲役判決で横浜地裁

元看護師は「更生の道が相当」 無期懲役判決で横浜地裁

2021/11/09 【産経新聞】

横浜市の旧大口病院(現・横浜はじめ病院、休診中)で平成28年、入院患者3人の点滴に消毒液を混入し中毒死させたとして殺人罪などに問われ、9日の判決公判で無期懲役(求刑死刑)を言い渡された元看護師、久保木愛弓(あゆみ)被告(34)。横浜地裁の家令和典裁判長は量刑理由について「公判で自己に不利益な事情を含め素直に供述し、反社会的な傾向も認められない」とし、「死刑を科することがやむを得ないとまでは言えず、生涯をかけて更生の道を歩ませるのが相当だ」と述べた。

家令裁判長は久保木被告の責任能力について「犯行時は(発達障害の一種の)自閉スペクトラム症の特性があり、うつ状態にあった」と認定した一方、弁護側が主張した統合失調症の影響は否定。「『勤務時間中に自身が対応を迫られる事態を起こしたくない』という犯行動機は了解可能で、違法な行為であることを認識していた」として、完全責任能力があったと認めた。

被害者3人のうち1人が終末期患者ではなかったことに触れ「苦痛の中で生命が奪われ、被害結果は極めて重大」と非難。「看護師としての知見と立場を利用した犯行で計画性も認められ、動機も身勝手極まりない」と断じた。

一方、犯行動機の形成過程については、情状酌量の余地を認めた。被告は「終末期医療を中心とする大口病院であれば自分でも務まる」と考えて勤務を開始したが、患者の家族から怒鳴られて強い恐怖を感じ「視野狭窄(きょうさく)的心境に陥った」と認定。「このような動機形成過程には、被告の努力ではいかんともしがたい事情が色濃く影響している」と指摘した。

また、公判の経過とともに被告が贖罪(しょくざい)の意思を深めていったことも重視。「被告人質問では償いの仕方が分からないと述べていたが、最終陳述では死んで償いたいと述べるに至った」と認め「他者に対する攻撃的傾向もなく、更生可能性も認められる」と結論づけた。

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判決は、『勤務時間中に自身が対応を迫られる事態を起こしたくない』と、家族と対応するのを避けるために薬殺したと殺人の動機をASDの特性から説明しました。そして、被告を「公判で自己に不利益な事情を含め素直に供述し、反社会的な傾向も認めない」し更生可能性があるとして無期懲役を言い渡しました。ASDの人たちが陥りやすいロジックを公判は分かりやすく説明したと思います。

福祉・医療・教育の対人サービスで、対人関係に困難のある人が働くことになると、強烈なストレスを感じることになります。相手の立場に立って言動を考える事がとても難しいからです。その結果、対象者からも同僚からも上司からも叱責や嘲笑の対象になりやすいです。そして、誰に相談することもできず真面目さゆえに限界まで働き続け、やがて精神を病んでいきます。

もっと早く、幼少期からASDが見つけられ、支援を受けて成功した経験を持つことができれば、きっと違う進路を見つけ、真面目さと几帳面さが活かされる職種につけたはずです。医療や教育職は試験のハードルは高いのですが、記憶勝負の所があり対人関係の躓きを見つけるようなシステムを現段階では持っていません。椅子に座った採用者との面接で対人関係障害を見抜くことは不可能に近いです。

しかし、向き不向きという職業適性が客観的には判断ができたとしても決定するのは本人です。だからこそ、小さな時期から自己フィードバックのトレーニングを受け、支援を享受する様々な体験が必要です。自分の適性と働く将来の姿を考えていくキャリア教育は全ての子どもに必要ですが、中でもASDの子どもたちには最も必要な教育だと言えます。ASDの特性に関わる公判の過程を知れば知るほど、発達障害のある人の支援について幼少期からの途切れない支援の重要性を感じます。