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部活動の地域移行…為末大さんが推す2つの理由
部活動の地域移行…為末大さんが推す2つの理由 指導員確保や保護者負担にも持論
2021年12月2日 【福井新聞】
部活動の未来をどう切り開けばよいのか。スポーツの社会的価値を探求している元陸上男子400メートル障害選手の為末大さん(43)にオンラインで聞いた。
-週末の部活動をスポーツクラブなどが担う地域移行が始まっている。
「2点の理由で賛成だ。一つは労働環境の側面。これまでの部活動は教員の長時間労働で成り立っていた。私がインターハイ(全国高校総合体育大会)で優勝した時、教わった先生には『ダイ』という私と同じ名前の子どもがいた。先生が3年間で費やした時間は、息子さんより私の方が長かっただろう。家庭を犠牲にする職業にさせてはいけない」
「2点目はスポーツ・文化活動の場を維持するためだ。少子化は大きな流れであり、学校単位で部活動を維持するのは無理がある。かといって部活動を廃止して全てを民間クラブにすると各家庭の経済格差がそのまま出てしまう。米国がそうだ。よって、週末移行分も含め週10時間ほどは行政が資金的にカバーする。それ以上は市場に投げて、希望者がお金を払って参加する2段階の仕組みを提案したい」
-国のガイドラインに基づき活動時間短縮が進められている。競技力が落ちないか。
「運動部は長時間練習が当たり前だった。しかし私の経験から言って週10時間ほどが発育の面でも競技力を高める上でも適切だ。早いうちから一つの競技に特化させるのも、セカンドキャリアなど将来を見据えると本当は良くない。2競技をするとか、スポーツと文化活動を両立するとか。学業も大事にしてほしい」
「練習が過熱する理由の一つに全国大会がある。欧州では全国大会を禁じ地区大会までとしている国がある。福井なら『北信越大会まで』のイメージだ。これらの国ではむしろ競技力が上がっている」
-地域移行に伴い、金銭的負担が増えることに違和感を覚える保護者もいる。
「教員の犠牲を減らすため認識を変えてもらうしかない。一方で、国として財源の創出も考えていくべきだ。最近の議論で可能性があるのはプロスポーツを対象にしたベッティング。試合の勝ち負けを賭けるギャンブルだ。欧州に続き、米国も解禁へ動いている。国が認める代わりに、収益の一部は次世代の育成に使う規定を設ける」
-人材や資金力に差があり、スムーズにクラブ移行できない地域、競技も出てくる。
「地域の力が試されている。これからはクラブの存在を理由に引っ越しする家庭が増えると予想する。ポイントは企業や行政職員の副業だ。地域のために働く日を提供できないか。ドイツの数万人都市で見た事例では、陸上クラブの先生が新聞記者だった。3日間は記者、2日間はコーチ。その間も企業から給料が出る。実質的なスポンサーだ。コーチだけど普段はJA職員です、消防士です、といったように、企業や行政も子どもの育成のために時間を融通し合う。部活動にやりがいを持つ教員もたくさんいるわけで、教員の副業も認めていく。福井県でそういうモデルができるといい」
「部活動改革は10年後、20年後の日本全体の選手強化にも響いてくる大きな話だ。従来の形に固執しては絶対に成立しない。前向きに、新しい方向をみんなで見いだしたいですね」
為末大(ためすえ・だい) 1978年広島市生まれ。法政大卒。現役中の異名は「走る哲学者」。陸上男子400メートル障害の日本記録保持者。2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得し、五輪は00年シドニー大会から3大会連続で出場した。著書に「諦める力」「逃げる自由」など。
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為末さんの意見は明快で合理的です。生徒指導の一環として部活動は有効と言う意見が現場では根強いですが、それは一部の教師だけに言える事であり、どの教員にも共通するものではありません。部活動がないと生徒指導ができないという発想自身が貧困で、学習を通じて、ホームルームを通じて生徒指導は行うことが原則です。そうすると、教職員のあれこれの多忙さを原因にして生徒指導どころではないと言う意見が出てきますが、まずは、勤務時間のかなりの割合を割く部活動を校務から外さない限り時間的余裕など生まれるわけがありません。
また、練習は週10時間くらいが最も効果的だし、小さな時期は多様なことに取組むべきだと言うのもいちいち納得です。全国大会を政策的に廃止してはどうかと言うのも、優れた提案だと思います。長期休業中に家族旅行より優先される部活動、試合に明け暮れる運動部の姿は世界の中でも異常です。多感な思春期の時期にわざわざ家族から遠ざけるこの文化は家族の絆を弱めているとさえ言われます。全国大会がなければ、何とか協会だの役員会への忖度だのと言う、大人の事情のために子どもが振り回されることも少なくなるでしょう。
副業としてコーチができるように行政や企業に働き方改革を求めるというのもぶっ飛びの提案です。つまり、スポーツ指導が好きな大人もいるから、本業の勤務時間を減らして人材を生かし、その経済的負担を自治体や企業が持つと言う大胆な発想です。たぶんこれが、近未来の新しい働き方なのだと思います。一つの仕事に執着するもよし、複数の仕事をこなすのもよし、そういう社会になれば子どもたちも一つの所属に縛られるのではなく、自分で選んだ好きな場所で学んだりスポーツしたり遊んだりしてよいという価値観が育つのだと思います。
「ノーマーク」の子を見つけ支援に 箕面市、成果を報告
「ノーマーク」の子を見つけ支援に 箕面市、成果を報告
2021年11月30日【教育新聞】
こども庁データ子どもの貧困教育格差箕面市
教育・福祉など子ども関連のデータを教育委員会に一元化した大阪府箕面市の担当者が11月26日、こども庁の創設を目指す自民党議員有志の勉強会に登壇し、これまでの成果を報告した。集約した情報を定点観測することで、見守りや支援が必要であるにもかかわらず、学校で対象として認識されていなかった「ノーマーク」の子どもを発見し、支援につなげることができたと話した。
箕面市は2016年度、教委の子育て担当部門に新たに「子ども成長見守り室」を設置。市独自の調査も活用し、学力・体力、生活状況のほか、生活保護の受給状況、給食費の滞納状況などの多方面にわたるデータを収集・集約し、さらに時系列で変化を追跡できる「子ども成長見守りシステム」を構築した。
このシステムでは子どもの状況を「生活困窮判定」「学力判定」「非認知能力等判定」の3要素で判定した上で、さらにその3要素を掛け合わせ「子どもの状態の総合判定」を行い、重点的な支援が必要な順に「重点支援」「予防的措置」「見守り」に振り分けている。判定は定例で年2回行うほか、必要に応じて個別に行うこともあるという。
今回の勉強会に登壇した箕面市教委の松澤ひとみ氏によれば、18年後半に「重点支援」の対象と判定された児童生徒のリストを学校に提供して支援状況を確認したところ、そのうち25%が「見守りの対象ですらなかった」。学校では特に気になるところのない「おとなしい子」と認識されていた子どもが、システム上では、学力や一部の非認知能力の数値が乱高下する不安定な状態であることが示されたという。
また、不登校傾向など学校現場での「小さな気付き」に対し、子ども成長見守りシステムの客観的なデータを照合することで、必要な見守り・支援につなげることができたという。とりわけデータを継続的に収集していくことにより、学力が急激に悪化したなどの兆候を見逃さないようになったことを、成果として挙げた。
勉強会の参加者からは「子どもは本当に、調査に正しく答えているのか」という質問があった。松澤氏は「データから読み取れる特徴が、学校現場の認識と一致していて驚かれることがある。思ったよりも正直に答えてくれている印象だ」としつつも、「全て最も悪い選択肢に丸を付ける子どもも確かにいるが、それも一つのメッセージだと思っている。本当はSOSを出したいが、大人を信じていないのかもしれない」と応じた。
勉強会の共同事務局を務める自見英子参院議員は「あるべき姿から考えて(子ども成長見守りシステムの構築を)スタートさせている。国や他の市区町村の中で、どう取り入れていけるか考えたい」と話した。
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非認知能力(英語ではnon-cognitive skills)とは、IQや学力テスト、偏差値などのように点数や指標などで明確に認知できるものではないけど、子どもの将来や人生を豊かにする一連の能力のことです。やり抜く力、目標に向かって頑張る力、自制・自律性、自己肯定感、他者へ配慮、コミュニケーション能力、論理的な思考力などが該当します。
幼児教育で著名な東京大学名誉教授の汐見稔幸氏は、非認知能力を魚捕りで例え、罠をひたすら作り続ける集中力、罠を改善したり罠を仕掛けるポイントを考える直感力、魚が取れなくてもあきらめない忍耐力、失敗してもまあいいかと思える楽天性、友達と協力する力、間違ったことをしたら素直に謝ることができる正直さ、これらが非認知能力であると述べています。
こうした、数字で表すことのできない能力は座学では学べません。遊びや主体的な学びの中で「地頭」として身についていくものです。記事では、こうした能力に課題のある子どもは、学力や素行などでピックアップできないけれども、やがて顕在化していくので早い時期からマークしておくことが大事だという事です。
子ども庁など役所を増やしても、文科省や厚労省があるなら余計に動きが取れなくなるような気がします。結局、政治家のアピールのための施策のようにも感じますが、取りこぼし易い子どもをフォローするこのシステムは優れていると思いました。学力と素行に問題がない子を教師は可もなく不可もなくと見過ごしがちですが、実はしんどいと言えずに、または、しんどいことにも気が付かずに過ごしている子がいるのです。
杉咲花主演『恋です!』担当P、“障害を枷にしない”新しい恋愛ドラマに挑戦
杉咲花主演『恋です!』担当P、「障害を枷にしない」新しい恋愛ドラマに挑戦【インタビュー前編】
2021年11月30日 【中日新聞】
女優の杉咲花が主演する日本テレビ系ドラマ『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』(毎週水曜 後10:00)。ORICONが発表する秋ドラマの満足度調査でも常に上位をキープ。杉咲演じる弱視の盲学生・ユキコとヤンキーでありながら一途にユキコを想う森生(杉野遥亮)の恋に“胸キュン”はもちろん、2人や取り巻く人々たちのほっこりあたたかな人間ドラマも毎週、反響を呼んでいる。このほど、森雅弘プロデューサーにインタビューを行い、“障害をラブストーリーの枷(かせ)にしない”という原作の軸を大切にした今作へのこだわりや、制作の裏側を語ってもらった。
今作はWEB連載での閲覧数累計が2000万PVを突破した人気漫画『ヤンキー君と白杖ガール』(うおやま/KADOKAWA)を実写化。まず、この作品ではユキコの“障害”を恋の障壁、枷として描いていない。2人が乗り越えていくことになるハードルのすべては、知らなかったこと、わかろうとしないこと、わかりたいけどわからないことから生まれ、それでも歩み寄って考えることが大切だと教えてくれているようでもある。
実写化の大きな理由について森氏は「なにより、原作の漫画がおもしろく、かつ、今の時代にピッタリだった」という。「王道のラブコメでありながら社会的マイノリティが主人公。社会的マイノリティの恋愛モノは昔からありますが、障害の持つネガティブな部分を切り取って、ハードルとして恋愛ストーリーのために使っていた。しかし、この原作はそれとは全く違っていたのが新鮮だった。二人が出会い、それぞれの「弱さ」があるからこそ、互いを認め合い、前向きにパワフルに生きている。それが凄く時代に合っていると感じました」とこの作品との出会いから手応えを感じていたそう。
だからこそ制作する上では、視覚障害について綿密な取材を行い、リアルを反映した。「実際に当事者の方と会って、話してみた感覚や彼らがなにを望んでいるかを大切にしたいと思いました。どんな人間でも枷はあるし、確かに(身体的な)障害だって枷ではある。ただ、話を展開する上でそれだけにフォーカスするのではなく、弱視として生きる主人公は“世の中との付き合い方”で健常者とは違う部分はありながらも、みな同じ人間ということを大事にしています」と矜持を明かしている。
■視覚障害がある3人の“視え方の違い”をリアルに再現
そして、実際に取材をして森氏が驚いたというのが「一口に“視覚障害”といっても、その人ごとに視え方が違う。例えば、ユキコは光と色がぼんやりわかる程度の弱視だが、同じく盲学校の同級生である空(田辺桃子)は視野が欠損するタイプの弱視、青野(細田佳央太)は生まれたときからの全盲とそれぞれに視え方が違う。3人はそれを見事に演じ分け、わかりやすく“視えない演技”ではないけれど、関係者の方からはすごくリアルだと言っていただいてます」と胸を張る。
具体的には「それぞれの視覚障害について、実際に視覚障害がある盲学校の先生にも指導していただきました。全盲の先生に細田くんが習い、杉咲さんと田辺さんは、弱視でも違う視え方をする先生御二方をそれぞれをモデルにしながら、それぞれの役の「視え方」を設定しました。現場でも、杉咲さんは自分の役の視界に合わせたメガネを作り、リハーサルではそれを付けて演技の確認をしています」と細やかな役作りが、それぞれのキャラクターに深みを与えている。
森氏も「最初は3人も不安だったと思うが、本当に見事に演じています。視覚障害のキャラクターを演じているということを忘れてしまう位、役への理解が進んでいると感じます」と感心している。
これから物語は第2章として、ユキコと森生の未来や夢へと話が進んでいく。そのなかで、どのようにキャラクターたちが動きをみせていくのか期待が高まるが、後編では、各キャストの起用理由について話を聞く。
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同じ障害名でもみんな違うというのはその通りだと思います。身体障害は車いすや装具の状態で見れば何が不自由なのかだいたいの予測はつきます。それでも、どの程度の身体感覚があるのかは本人でなければ分かりません。どう見えるのかはどう感じるのかと同じで本人にしか分からないのです。ドラマの中で、森生の元カノが白杖を持っていれば周囲の人から優しくされて不公平だと言ったことに、ユキコはそれだけで視覚障害の自分を理解されているとは思わないと反論します。
白杖は晴眼者には視覚障害者のシンボルではあるけども、視覚障害者にとっては移動のためのツールでありそれ以上でもそれ以下でもないのです。むしろ、世の中に溢れる視覚情報がどれほど視覚障害者に一人で理解できるようになっているのか考えれば、ほとんど皆無と言った方が正しいのでしょう。また、理解できるもの(聴覚情報化など)が極めて少ないと言っても視覚障害の状態によって違いがあります。
同じように、発達障害もASDやADHD、LDとありその程度や、ミックスの仕方も様々ですが、周囲の人から見ただけでは分かりません。そして、本人がカミングアウトしても障害を言い訳にしているなどとひどい言葉を投げかけられる人もいます。同じ障害でも人によって違います。支援の仕方も違うし、さまざなオーダーメイドの工夫が必要です。『恋です!』が問いかけているのは視覚障害のことだけでなく、社会が障害をどうとらえたら幸福な社会が作れるかということかもしれません。
目からウロコのドイツ流教育「小学4年の成績で人生の進路が決まる」
目からウロコのドイツ流教育「小学4年の成績で人生の進路が決まる」
11/25(木) 【NEWSポストセブン】
冬以降の感染「第6波」が懸念されている新型コロナ禍。昨年、記録的に少なかったインフルエンザの流行とともに、なおも警戒・注意が呼びかけられている。こうした新しい感染症の拡大は、大人だけでなく、子供の成長にも少なからず影響を与えている。昨年から今年にかけて、学校の臨時休校やオンライン授業への切り替えなどが相次ぎ、子供たちの中にも不安が広がった。親にとっても、学校より家で過ごすことが増えたことで、子供たちの勉強の進み具合や、やる気をなくすことを心配する声が多くあがっている。
しかし、コロナ禍も、それに伴う自粛や行動制限も、個人にはどうすることもできない。むしろ、この逆境や負担をマイナスと考えるのではなく、乗り越えるべきハードルだと考え、ポジティブに変えていったほうがいいのかもしれない。
その参考になるのがドイツでの教育システムだというのが、現地在住20年を超える留学コーディネーターのキューリング恵美子氏だ。キューリング氏は、近著『ドイツ人はなぜ「自己肯定感」が高いのか』の中で、「みんなが揃って進級する」日本とは正反対の、生徒一人ひとりの能力や志向によって学校や進路を変えるドイツの教育制度について解説している。
小学1年で留年もある! 「みんなちがって、みんないい」
キューリング氏によれば、ドイツの教育では、子供一人ひとりの発達状態や学習テンポを重視しているのだという。
「ドイツで小学校へ入学するには、『入学適正検査』を受けなければなりません。これは、小児科医が発育状態を見るもので、入学して『勉強する』環境に対応できるか、身体的・精神的側面の両方をチェックするのです。
もし、小学校へ行くのにはまだ早いと判断された場合、授業時間が短く少人数制の入学準備学校(クラス)を勧められます。この検査で入学が1年遅れたとしても、保護者の受け止め方は、決してネガティブではありません。むしろ、早く入学して授業についていけないよりは、準備が整ったタイミングで入学するほうが良いと考えます。そのため、小学校の入学時に年齢が上の生徒がいるのは珍しいことではありません」(キューリング氏、以下同)
入学した後も、無理をして進級させることはない。
「年2回出る成績表の結果により、小学1年生から留年があります。成績や子供の能力について先生と保護者が面談し、相談のうえで留年が決定します。しかし、留年もネガティブな意味合いではなく、授業についていけないのなら無理して進級するのではなく、その子に合ったペースで確実に学習させるための仕組みなのです」
まるで詩人・金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の名フレーズ「みんなちがって、みんないい」を地で行くような話だが、まさに一人ひとりが自分に合った学び方をすればいい──そんな考え方がドイツでは当たり前のようだ。
嫌がりながらする勉強は「逆効果」
さらにドイツの教育制度では、小学校の4年間を終えると、その最終成績によって進路が3つに分かれる。卒業後すぐに職業訓練を受けて働く場合と、職業専門学校などを経て事務職や専門職になるためのコース、そして大学進学を目指すコースになる。
つまり、10歳時点での成績で、人生の進路が決まってしまうのだという。
「そのため、親も子供も、無理せず現実を受け入れていきます。他人と競争する、他人と比較するのではなく、留年や転校を恥じることもなく、その子供に合った最適な道を見つけていけばいいという考え方です。
一般的にドイツ人は、特に小さなうちは成績が悪くても親は子供を責めず、いかにその子が納得して能力に合わせて学べるかを考えて支えます。子供にはそれぞれの長所や能力があり、嫌がりながらする勉強に意味はなく、むしろ逆効果になると考えています。
ちなみに、ドイツを代表する文豪のヘルマン・ヘッセは1回、トーマス・マンは2回留年をしているそうです」(キューリング氏)
ドイツでは10人中9人が「学校生活に満足」
他人と比較するあまり、子供に過度なプレッシャーをかけることになれば、かえって子供の「自己肯定感」を下げることにもなりかねない。「ほかの子は頑張っている」「平均より成績が悪い」などと周囲との比較や競争ばかり強調しすぎると、思うように成績が伸びなかった時、子供たちは深く傷つき、学校に行くのも嫌になってしまう可能性もある。
興味深い調査結果がある。内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(2018年)によると、「あなたは、学校生活に満足していますか」の問いに「満足」「どちらかといえば満足」と答えた日本人は65.1%で、調査した7か国中で最下位だった。それに対して、ドイツは87.9%と調査国中で最も高かったという。
子供の能力に合わせた学習環境を整えて、能力以上の強制を課さないドイツの教育システムは、一見残酷に見えながら、「人生は成績がすべてではない」「あなたはあなたのままでいい」ことを幼いころから教えてくれるもののようだ。
むしろ、家庭で過ごす時間が増えた今こそ、親子のつながりを強めて、子供たちの「自己肯定感」を高めるチャンスかもしれない。親も、子供の成績に一喜一憂することなく、子供にとってベストの進路を考えるきっかけにすればいいのではないか。
【参考サイト・文献】
内閣府「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成30年度)」
『ドイツ人はなぜ「自己肯定感」が高いのか』(キューリング恵美子著・小学館新書)
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このドイツの教育システムは戦前の日本の複線型教育のモデルでもありました。戦前の日本は、初等教育を終えると、旧制中学校、高等女学校、実業学校と進路ごとに早期分岐する教育制度でした。戦後の単線型教育制度への改革は、性別や階層によってその後の進路が早期分断される制度の見直しとして、教育の「民主化」、つまりアメリカ流の機会均等がねらいでした。戦後も何度か、このドイツモデルが日本で注目されたことがありますが、教育の機会均等を掲げる憲法との整合性がないので複線型を復活させようと言う向きには動きませんでした。
ドイツの義務教育は、大学進学を目指すなら8年制(もしくは9年制)のギムナジウム、それ以外は職業訓練への道へ進みます。実科学校とよばれるレアルシューレは6年制で卒業後は全日制の職業学校へと進み、職業訓練を受けて公務員や技術者となります。手工業系の職人(美容師、板金工、パン屋など)を目指す場合は5年制のハウプトシューレとよばれる基幹学校へと進学、卒業して、職業学校入学資格を取得する必要があります
この、ギムナジウム・実技学校(レアルシューレ)・基幹学校(ハウプトシューレ)の三分岐型システムがドイツの教育制度の大きな特徴です。学校間での転学は、基幹学校からギムナジウムへの転学はほとんど例がなく、実科学校からギムナジウムへの編入を目指す生徒はいますが難易度も高いので、ほとんどが就職の道へと進むそうです。
今日ドイツでは、国内に増加する移民の子供たちの不十分な教育環境が学力格差を生み出し、ドイツ全体の学力低下が懸念されていたり、グローバル化に伴い、国際基準に合わせるため、ギムナジウムの修了年次を下げたりと試行錯誤の教育改革が行われています。また、教育制度で選別を強めると学力は子どもと親の責任となり、教え方や環境の問題となりにくいのです。今の日本も結局は経済格差が学力格差を形成しているのはドイツと変わらないですが、少なくともチャレンジの機会はあるし、教え方や環境支援によっては高学歴への道もあるわけです。
それでも、ドイツの子どもの自尊感情が高いのはうらやましい限りです。選別をしてでも人と比べなくてもいいと言う安心感を優先するのか、経済力による階級格差をなくす民主主義課題を達成するのかどちらかを選べと言うのは難しいと思います。ただ、この記事はドイツの教育制度のメリットだけを取材しており、デメリットについては触れていないので正確な情報とは言えないです。
「息子の人生変えてくれた」 クライミングで恩返し パラ選手の母、京都に施設計画
「息子の人生変えてくれた」 クライミングで恩返し パラ選手の母、京都に施設計画
2021/11/24【毎日新聞】
パラクライミング世界選手権で9月に金メダルを獲得した選手の母親、濱ノ上(はまのうえ)輝(てる)さん(60)=京都府京田辺市=が健常者だけでなく、障害者やその家族、子育て中の母親など“誰もが安心して集える”ユニバーサルなクライミング施設を計画している。進行性の目の難病を抱える息子を育て上げた濱ノ上さんは「還暦を迎えた今、育児に悩んだ経験を生かし、息子の人生を変えてくれたクライミングを通じ、社会に恩返しできたら」と話す。
濱ノ上さんの長男はパラクライミングの日本代表、濱ノ上文哉さん(31)。網膜色素変性症という進行性の難病で弱視のため、視覚障害者の視力などの程度に応じた分類上のB2クラスで競技をする。
病気が判明した中学1年生の頃は日常生活にさほど支障はなかったが、大学受験を控えたころに病状が悪化した。文哉さんは振り返る。「テストの文章問題が見えにくく、時間内に読み切れなかったり、自転車で運転していて溝に落ちたり、生活面に少しずつ不自由な変化がありました」
同じころから親子関係も悪化し、険悪な状態が続いたという。
濱ノ上さんが、役に立つのではないかと文哉さんに本を差し出せば、視力の低下で簡単には読めないと突き返された。親子の会話は減り、怒らせて物が飛んできたこともあった。濱ノ上さんは「病状を受け入れなければならない息子の不安の全ては理解できない。それでも、母親として何かサポートしたいと歯がゆい思いを何度もしました」と話す。
衝突を繰り返しながらも、文哉さんは大学を無事卒業し、就職が決まった。その半年後、東京転勤になった。親離れ、子離れした東京で、文哉さんは転機を迎える。視覚障害のある仲間に誘われて、2016年にクライミングに挑戦した。「障害に関係なくホールド(突起物)をつかんで登る競技で、障害者も健常者も関係のない雰囲気が、僕にはとても居心地がよかったですね」と文哉さん。ぐんぐん上達し、翌年には日本代表に選ばれた。以降は世界選手権に挑戦を続けて、今年9月に念願の金メダリストに輝いた。
そんな息子の成長に、濱ノ上さんは「子育ては終わった」と実感した。そして「何か社会に恩返しがしたい。それなら、息子が居場所を見つけたクライミングを通じて交流の場を作りたい」と考え、約3年前から計画を温めてきた。
自他ともに認めるバイタリティーあふれる濱ノ上さん。文哉さんの病気が見つかった40歳代の時に、医学的な知識を付けようと、看護専門学校を受験し、准看護師の資格を取った。現在も産婦人科のクリニックに勤務する。そのスキルを生かし、親子関係がすっかり改善された文哉さんにも協力してもらい、今回の計画を進める。
施設は、京田辺市に来年2月に開業予定だ。約85平方メートルの広さで、種目別に、高さ8メートルの「リード」用の壁2面と、高さ4メートルの「ボルダリング」用の壁3面を設置する。専門スタッフを配置し、「オートビレイ」という自動巻き上げ式の命綱を準備し、1人でも安全にクライミングを楽しめるようにする。
施設のバリアフリーにかかる費用の一部をクラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/495549)で募っている。
今月末までのクラウドファンディングで集めたお金は、多目的トイレなどバリアフリーにかかる費用やベビーシッタールームの整備に使う。子連れの母親らの利用を歓迎しており、准看護師の濱ノ上さんと、助産師の長女が世話をしたり、相談に乗ったりする。
濱ノ上さんは「障害のある当事者や家族、コロナ禍で不安が募っているお母さんたちなど、誰もが気軽にクライミングを楽しみ、ほっとできるような交流の場を作っていきたいです」と意気込んでいる。【生野由佳】
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クライミングで気分を晴らそうという一見奇抜な提案ですがそれくらいクライミングは誰にでも開かれたスポーツだと言う裏返しでもあります。ユニバーサルスポーツとしてクライミングを思いついた人は頭の柔軟な人なんだと思います。クライミングは自分の体一つで壁に向かい合うスポーツです。見えない人も、壁や岩の手掛かりの様子を晴眼者(ナビゲーター)と確認しながら、自分のペースで自分自身の目標に向かって高く登ることができます。障害者向けに特別にデザインされたものではなく、障害のある人もない人も同じルールで一緒に楽しめる面白さがあります。
クライミングに勝ち負けはありません。対戦相手や飛んでくるボールもありません。安全はロープや厚いマットにより確保されています。失敗を恐れずに思い切り体を動かせば良いのです。仲間と気持ち良く汗を流し、自分で答えを探し、自分の力で壁と対峙する自分だけのクライミングはユニバーサルスポーツ所以というより、自分の中で高見を目指すスポーツ本来の姿なのだと思います。
京田辺市に施設を作るとのことなので、完成すれば一度子どもたちと利用してもいいかなと思っています。ボール運動や集団遊びとはまた違った味のスポーツの楽しみ方が伝えられるかもしれません。