みんなちがってみんないい
知っていますか「特別児童扶養手当」
特別児童扶養手当は、20歳未満の精神または身体に障害のある子どもを育てる養育者が受けられる手当です。対象は 20歳未満で精神または身体に障害のある子どもを育てている養育者に支給されます。
・身体障害者手帳1~3級程度、および一部4級程度
・療育手帳AとBの一部(審査されます)
・精神障害者保健福祉手帳1級と2級の一部(審査されます)
・手帳をもたないが、障害・疾病等により日常生活に著しい困難がある場合(審査されます)
支給制限は、扶養義務者の前年の所得が600万円くらい(共働きや扶養者数、内容によって違います)を超えると手当は支給されません。京都府の特別児童扶養手当月額は1級認定の場合 52,200円、2級認定の場合 34,770円です。(※手当の月額は物価変動などにより改定されることがあります。)
問い合わせ窓口 各自治体の「子育て支援」の窓口。特別児童扶養手当は毎年8月に「現況届」を提出して更新する必要があります。「現況届」とは手当を引き続き受給する要件があるかどうかを確認するためのもので、その年の6月1日の状況を書くものです。前年の所得の状況と6月1日現在の児童の養育状況等を記載します。「現況届」の提出がない場合、手当が支給されません。
手帳がない発障障害の子どもも特別児童扶養手当を申請することは可能です。その際には、役所の子育て支援の窓口で渡される用紙に、かかりつけ医に診断を書いてもらって申請したうえで、指定の判定医の診断をうける必要があります。
障害児福祉手当は、20歳未満の精神または身体に重度の障害のある子どもを育てる養育者などが受けられる手当です。手当の判定基準に該当する方は特別児童扶養手当と併給することができますが、障害福祉手当のほうが審査条件が少し厳しいです。これは各自治体の「福祉の窓口」で申請します。
そもそも、手当や福祉関係の情報って病院や学校、事業所でも教えてくれないことがあります。自分で積極的に調べて聞いていかないと申請できません。また、お兄ちゃんは特児手当がもらえたけど、下は軽度だからもらえなかったという家庭もあります。時々施しは受けないという方がおられますが、生活費に使っても後ろめたいことは何もないし、家族とその子のために使えばいいのです。
住んでいる自治体ごとに制度が違うので、詳しくは役所の子育て支援の窓口と、福祉の窓口で申請手続きをする際によく確認してみることをおすすめします。
乙訓各自治体のHP
向日市
長岡京市
大山崎町
これらの制度は障害者手帳(特に療育手帳)があるとスムースに申請ができることから、手帳の申請がまだの方は各自治体の「福祉の窓口」でお聞きください。税控除や様々な助成を受けることができます。
そして、手当についての「使い方」について共通しているのは「何が正しいか」ではなく、その家庭にとって「何が必要か」ということです。家庭の必要に合わせて使うことが正しい使い方だということです。必要な人に、必要な手当が届くよう、お役立てください。
ビジョントレーニング
ビジョントレーニングとは視覚機能の力を高めるためのトレーニングです。ものを見る力(視覚機能)は生まれつき備わっているわけではありません。徐々に発達して就学前までにその基礎ができあがると言われています。通常は成長の過程の中で、見たり触れたり体を動かしたり、様々な経験を通じて必要な機能を身につけていきます。これには個人差があります。特に不器用等調整力の弱さと「見えにくさ(視覚機能の困難)」においては関係性が強いといわれています。見る力は一人ひとり違い、この見えにくさを抱えた状態を放置しておくと、努力をしても結果が伴わなくなるという場面も増えてきます。そうなると「どうせ勉強はできない」「運動は嫌いだ」と意欲を失い、自己肯定感の喪失につながっていきます。
もちろん、学習の困難についてはこれまでのブログで述べてきたとおり、音韻機能や他の認知機能の問題もあり、視機能だけに関係づけられるものではありませんので、ビジョントレーニングで学習困難が解決するかどうかは他の認知機能との問題がないかどうかのアセスメントが重要です。ビジョントレーニング自身はそう難しいトレーニングではないのでホームページを見ていると、放デイの療育内容の目玉のようにしているところがありますが、アセスメントをどのようにしているのか明示しているところが少ないのが気になります。2012年の文部科学省実施の調査では子どもの2.5%に読み書き困難があり、その子どもの1割弱が視知覚の弱さが原因ではないかと考えられます。
ビジョントレーニングをすすめる記述には、視機能の課題が学習の困難と結びついている人は次のような傾向があると、書かれています。
1書字:文字を崩さずに正しい形で書けない。ノートに書かれているマス目や行からはみ出す。図形の形を正しく描けない。2読字:行間の読み飛ばしや、読み間違いをする。文章の意味を理解する力が身につかない。3手指の作業:ハサミやカッターなどを使い曲線などを正確に切ることができない。定規等をつかって正確な図形を描いたり、正確な線を引くことができない。紙を折ったり、貼ったりする作業をすることが困難。4集中力:授業中、しっかりと勉強に集中することができない。長時間(30分程度)の読書が続かない。5記憶力:ひらがなや漢字等、正しい形で記憶することが困難。学習において記憶の積み重ねが増えない。約束したことを忘れたり、忘れ物をしたりすることが減らない。6イメージ力:模様を見ながら再現できない。図形を正確にイメージして形を思いうかべられない。方向、方角の認識を身につけることができない。7運動する力:ボールを上手く受け止められない。縄跳びなどの跳躍運動が苦手。ダンスや体操など、目の前のお手本通りに真似るのが苦手。
確かに、生活の80%は視覚からの情報ですので、視知覚入力に課題があれば様々な問題が起こるのは当然です。だからと言って全てを視知覚の問題として扱うのは大雑把すぎる気がします。
これまで、スタンダードな視知覚検査は「フロスティッグ視知覚発達検査(DTVP)」でしたが、ここ10年視知覚の検査はたくさん開発されています。学力の問題との相関性を統計処理したものも出ています。おすすめはWAVESです。WAVESは Wide-range Assessment of Vision-related Essential Skills の略で、日本語では「視覚関連基礎スキルの広範囲アセスメント」と言います。この検査では、視知覚・目と手の協応を総合した総合指数により同年齢の子どもとの比較ができ、また、下位検査の成績によって、形態認知や記憶、協応動作について個人内の得意不得意も把握でき、段階内容別のトレーニングプリントもついています。おそらく多くのビジョントレーニングで療育を行う放デイはこれを利用していると思います。ただ、アセスメントに重要なのはテストバッテリーと言って一つの検査だけで結論を得るのではなく二つ以上の検査等から多面的に分析することです。本事業所ではWAVESとKABC-2(心理・教育アセスメントバッテリー)、STRAW-R(標準読み書きスクリーニング検査)によるテストバッテリーを組むことができます。ご希望の方はスタッフまでご連絡ください。
パラリンピック
東京オリンピックのチケットが取れなかった倍率100倍だったとネット上をにぎわせていますが、パラリンピックはいまいち盛り上がりに欠けると関係者の間では言われています。東京パラリンピックでは22競技537種目が実施されますが、チケットは8000円以下で平均2~3000円だそうです。
実はこのパラリンピックのチケットが史上初で完売されたのが前々回のロンドン大会でした。大会準備にあたって、関係者がとにかく市民にパラスポーツを体験してもらう取り組みを粘り強く行ったそうです。誰だって競技がわからなければ観戦なんてしません。パラスポーツが健常者競技に勝るパワーとテクニックが必要なことは競技を知らないとわからないのです。この結果、ロンドン大会は大成功を収めました。
ところが前回のリオ大会はロンドン大会以前に逆戻り。チケットが余り、観戦席もまばらで選手にも申し訳ない状況がおこりました。リオ大会はそもそも政変のただ中での開催で、選手宿舎問題やオリンピックインフラ建設が追い付かない状況だったので全体の準備そのものが大変だったようです。だからこそ、GDP世界第3位の日本の首都東京で開催するパラリンピックは、ロンドン大会のレベルまでに戻すことが重要です。
世界一の車いすラグビーや世界2位のボッチャなどみどころもたくさんあります。チケット発売は日本国内では、東京2020組織委員会が直接販売し8月発売の予定です。
睡眠障害
人間をはじめとする多くの生物は、基本的なリズム(活動する・休む・眠る)および体内の働き(自律神経機能・内分泌機能・代謝機能などのさまざまな生体機能)が1日に約25時間を周期とするリズムで変動しています。そして、この変動のリズムをもたらしているものを生体時計(体内時計)と呼びます。ヒトの生体時計は実際の1日24時間より約1時間長いので、社会生活を維持していくためには、1日24時間を周期とする生活リズムに調整していかなければなりません。この生活リズムが狂ってしまうと、不眠症、うつ、不登校、全身倦怠感、注意集中困難、イライラ、学習困難などのさまざまな症状が出現します。不眠症は入眠困難という形で現れ、遅寝遅起きになります。近年、発達障害や夜型生活との関連で増加している睡眠相後退症候群は、子どもの身体・知能の発達、さらには不登校、神経症、自閉傾向を強めるとして注目されています。では、どのようにして生活リズムを24時間にリセットして規則正しい生活にすればよいのでしょうか?
生活リズムをリセットする因子として以下のものがあります。光による明暗(昼と夜)・社会的因子(家庭・学校・会社・仕事・遊びなど)・食事・身体的運動・環境(温度・湿度・騒音・振動など)。この中で、朝の光を浴びること、朝食、日中の運動がもっとも強い同調因子です。朝のジョギングや歩いて登校するなどの活動はこれらをすべて満たしてくれるといってもいいでしょう。特に、規則正しい生活リズムの獲得は身体にも心にも良い影響を与え、社会生活の様々なリスクを回避する礎となります。
睡眠を阻害する因子の中で、ストレスが占める割合は一番大きいのかもしれません。一般によく聞かれる不眠症とは、心身の健康を維持するために必要な夜間の睡眠が量的または質的に不足し、昼間の日常生活に支障をきたしたりストレスを抱え込んでいる状態のことをいいます。逆に、睡眠に問題がないということは、日中眠気がなく、心身共に健康に生活できる睡眠がとれるということです。ここで、睡眠障害の4つのタイプを見ると、入眠障害:布団に入ってもなかなか寝つけないタイプ。不眠の中ではもっとも訴えの多い症状です。中途覚醒:夜中に何度も目が覚めてしまい、再び寝つくのが難しいタイプ。熟眠障害:睡眠時間のわりには、朝起きた時にぐっすり眠った感じがしないタイプ。早朝覚醒:朝早く目覚めてしまい、まだ眠りたいのに眠れなくなるタイプ。高齢者に多いのが特徴。睡眠相後退症候群:夜なかなか寝つけず、朝はなかなか起きることができない状態が極端に悪いもので、最も多いのが、通常夜中の2時から朝の6時頃まで眠れず、そのため朝はまったく起きられなくなるというパターンです。一旦眠ると普通に眠れますが、その眠る時間帯が社会のリズムとずれているため社会適応が困難になります。遅刻や欠席が多く、また日中に強い眠気に襲われたり、授業に集中できないといった障害がおこります。このように学校に適応できない状態が続くと二次的に抑うつ状態、不登校、ひきこもりになることも稀ではありません。
中高校生の不眠患者の約半数がDSPSといわれており、思春期での発病率がもっとも高く、典型的なDSPS患者は発病前から夜型人間の傾向が強く、感覚過敏のあるASDや、ゲーム・携帯電話などにはまっている場合に多く見られます。また、DSPSが不登校の原因かもしくは結果かについての判断は難しいですが、両者は深く関係しており、DSPSの治療をすることで不登校から立ち直ることができたケースも多く見られます。DSPSの病態生理は、睡眠相だけでなく、深部体温のリズムや脳のメラトニン(睡眠を制御するホルモン)の分泌リズムが遅れており、このため生体リズムが後退したまま固定され、外部環境に同調できない状態となることがわかっています。
DSPSを改善するための早寝早起きの工夫をみてみましょう。日当たりの良いベッド。朝にカーテンを開ける。朝は必ず起きる。起きたらすぐに着替える。朝に日光を浴びる。日中に身体を動かす。入眠3時間前から照明を落とす。昼寝をしない。メラトニン療法。高照度光療法。ビタミンB12。
寝る前にしたほうがいいことは、寝る1~2時間前から脳をリラックスさせることが大切です。一旦布団に入った後でも、眠れない時は無理に眠ろうとせず、布団を出て気分を変えるのも一つの方法です。できれば眠くなるまで布団には入らないようにしましょう。また、布団の中で、好きな本を読む、携帯電話、ゲームなどをしないようにしましょう。他には、ぬるめのお風呂にゆっくりつかる。カフェインが含まれていないハーブティを飲む。眠りを誘う音楽や心が落ち着くビデオを鑑賞。空腹の時はホットミルクを飲む。就眠3時間前から室内の照明をダウンさせる(真っ暗より薄暗い程度、蛍光灯より白熱灯、直接照明より間接照明)。寝袋、身体を強くしばる、マッサージなどの刺激がよいことも。就眠儀式はあったほうがいい (歯磨き、ストレッチ、ぬいぐるみなど)が挙げられます。
寝る前に避けたほうがよいことは、熱いお風呂に入ること。コーヒーや紅茶などカフェインを含む飲み物。寝る前のおやつや食事。勉強や激しい運動。テレビ、ゲーム、パソコンなど。明るすぎる室内照明(明るい蛍光灯など)。
障害の種類に関わらず、また、テレビやゲームのしすぎなどにより、生活リズムの乱れている子どもも多く見られます。子どもが衣食住に関わる基本的な行動・習慣を身に付けるためにも、約束を決めて子どもがしたいことをする「時間」を保障しながら、まずは親が子どもの生活リズムをコントロールすることが重要です。さらに、タイムスケジュールのような簡単な表などを使い、目に見える形で評価することでより意識しやすくなるでしょう。そして原因のはっきりした避けきれないストレスが子どもの生活リズムを乱しているなら、まずは、その原因から子どもを遠ざけ、健康な生活リズムを取り戻すことを優先した選択を行うべきだという考え方もあります。
その3:告知のタイミング
告知はとても個別性が高いものです。子どもの支援・親の支援・生活学習環境等を検討して方法を探ります。診断名告知に積極的に取り組んでいる専門家の中でも、どの時期が良いのかは様々です。幼児期からできるだけ早く診断名告知をしたほうがいいという専門家もいれば、問題が噴出しているときこそ診断名告知の好機だという専門家もいます。つまり、答えはなく、それぞれの対象の子どもの状況や環境、専門家のポジションやその背景によっても違うのです。これも必ずというわけではないないですが、前回述べたように支援の効果を子どもが知っていることは告知の理解には有利だという事です。だからといって、場合によっては詳しい告知から入った方が効果が上がる人もいます。
子どもへの診断名告知の判断を親だけが引き受けていくというのはとても荷の重い作業です。必ず医師や心理士、教育関係者等専門家のサポータを作ってから始めます。また文字情報を処理する能力が相応に高い子どもで、診断名に関してもしかしたら既に知っているのかもしれないと思われる場合や混乱なく受け止めるだろうと予測される場合には、ASDの子どもたちは自分のペースで文字情報を手がかりに情報処理をしたほうが理解も納得もしやすいので診断告知に関する書籍を与えて予習してもらうことも有効です。想像力の問題のために一度思い込んだ事柄を修正するのが苦手な子どもたちなので、その意味でもひとりでじっくりと情報で吟味することが有効な場合も多いからです。書籍を渡してもらう場合には、今、目の前で読めと迫ることはしないで、自分のペースで情報処理するようにゆったりと構えて取り組みましょう。また情報を渡す際には、後ろ向きな感想も含めいろいろのことを思ったり話し合ったりすることは大事だと必ず伝えていくことが必要です。
また、告知は1回で済むものではなく、サポーターが協力して少しづつ違う角度から複数回行います。また節目節目にバージョンアップもして伝えていくものです。ここまで読んでお分かりの方も多いかと思うのですが、子どもへの発達障害の告知とは、医師の特権行為というより子どもへの教育なのです。子どもが一つ一つ自分について知っていくプロセスを支援することが大事だからです。これを心理学的医学教育といいます。
ここまで書いたことは、日本のASD告知のオーソリティーでもある吉田友子医師のホームページを参照しています。書籍資料や講演会情報などアクセスしてみてください。http://i-pec.jp/
その2:特性は長所でもある
支援者が子どもに伝えるべき事柄は個々の具体的な困難への対処方法です。それは子どもが実践可能で、効果的でなくてはなりません。手助けと自分の工夫で、毎日の暮らしが安定する!嫌なこと・困ることも、やりようで変えていける!こうした経験を子どもにもたせてから告知は始まります。自閉症の特性は不都合の原因となる場合も多いものですが、人間としての長所でもあります。興味が偏る裏返しは、好きなものには集中でき探究心も高いところが長所です。自分の特性は長所でもあると告知の前に伝えて置くべきことです。叱られてばかりの暮らしの中で取ってつけたように誉められても子どもはそれを信じられません。「自分の特性は長所でもある」という認識は「やりようはある」という実感と不即不離のものです。
やりようはあるという実感・長所でもあるという実感を、毎日の生活の中で、個々の具体的事柄に関して積み重ねていくこの第一段階が、子どもへの告知の基盤です。これを子どもに充分に経験させるには支援者に技術力が必要です。この段階では診断名の告知は必要ではありません。この具体的対応を教える段階を充分に経験しているか否かが、告知が支援となるか、意味のない宣告となるかの分かれ目です。
親だからわが子に合った育児ができるなんて絶対にありません。子どもが自分の良さを発揮するために特別な工夫を必要としているように、特別な工夫を必要とする子どもを育てる親にも特別な工夫が必要です。子どもがその工夫のために支援者を必要としているように、親もまた支援者を必要としています。自閉症協会や親の会、保健所や発達障害支援センター、或いは発達障害の知見に詳しい地域の福祉事業所にも連絡を取ってみることをお勧めします。学校にも相談部門がありますから聞いてみましょう。ただし、担当者によって腕が違うのは病院やいろんな技術職と同じで、ある意味当たり前のことです。親同士の情報も参考にしましょう。この続きは明日。
子どもへの診断告知
子どもに自分の障害について早い時期から告知していくことは必要なことだと言われています。ただ、診断名だけを告知しても、障害受容はできません。近視を説明するのに近視だというだけでなくメガネやコンタクトを装着させることで、なるほどと思わせるような支援の有効性とセットで教える必要があります。告知は子どもに諦めさせたり大人に従わせたりするためではありません。それでは診断名を否定的なものと考えてしまいます。診断名を知っても苦手なものは苦手です。子どもの苦手な理由を聞いて支援策を考えることが大事です。困難な状況であっても具体的支援で乗り越えるしかないのです。告知で何とかなるという発想は、治療方針を示さず当事者が聞いたこともない病名を告げて患者が安心すると言っているのと同じことです。「ADHDだから気をつけろ」とだけの注意は具体的な助言ではありません。これは「多動で不注意だから注意しろ」と言っているのに過ぎません。どうすれば集中できるのか、失敗をどうリカバリするのかを具体的に教える必要があるのです。
A病院では自閉傾向、BセンターではLD。C心理士はADHDと、結局のところよく分からないままでは、子どもに伝えようがありません。診断や評価は支援のためにあります。逆に言えば支援に結びつかない診断や評価は価値の低いものでレッテル貼りです。支援内容が具体的に出てこない診断名だけの診断・評価では、やればできると子どもに思わせるのは無理です。最初に、得手・不得手とその理由(見方・考え方のクセ)を具体的に見きわめます。子どもの見方・考え方のクセは、親にはあまりにも身近すぎて見えにくいです。子どもの考え方のクセを教えてほしいと事前にはっきりと伝えて、医療機関・療育機関・教育機関での評価を利用してみましょう。
子どもへの告知(医学心理学教育)の最も重要な部分は診断名を伝えなくてもできます。特性に合わせた具体的支援から始めるのです。親の判断はLDだったけれど医学診断は軽度精神遅滞だった、親の判断はADHDだったけれど医学診断は自閉症だった、ということは良くあります。子どもに診断名を伝えた後で修正の必要が生じると親子ともども混乱します。診断名を子どもに伝えるのは熟練した専門家の判断を受けてから行います。
赤ちゃんは、誰に強制されたわけでもないのに毎日努力を続けて這い立ち歩行へと進んでいきます。子どもというのは、本来、誰に言われなくても前へ進んでいきます。大人が邪魔し続けて、前に進むことへの希望を奪わなければ前へ進むのです。子どもが診断名を言い訳のように使うとしたら、その子は言い訳をする以外に自分の心を守る方法を手に入れていないのかもしれません。子どもにも達成可能な、人からも歓迎される具体的な方法を教えてあげてください。子どもの意欲を引き出すのは説得ではなく達成感です。
ASDやADHDは病気ではありませんから、治す必要はありません。でもそのために不都合が生じないための工夫や努力は大切です。でも最も大事なことは、子どもたちに何かの技術を教えるのは、子どもたちのやり方は間違いだから正しいやり方を教えるのではないということです。ASDが人口の99%を占める世界があったなら、研修の参加者が「187名が主催者発表でした」ではなく「まぁ200くらい?」なんて平然と表現する曖昧さや、「会話は、興味なくても相手に注目して、キャッチボールのように話す」という変なこだわりは、きっとASDの皆さんにあきれられてしまうでしょう。私たちの教えているのは「多数派のやり方」です。ASDの皆さんの感じ方も一つの真実だけど、みんなの暮らしやすさのために多数派のやり方に合わせるワザを使って欲しいということです。この続きは明日。
気象病
「う~ん15時から降水率60%か~ビミョ~」今日は雨が降るかどうか、梅雨の時期だからこそ外で遊ばせたいスタッフは、ヤフー天気予報といつもにらめっこしています。ところで、季節の変わり目に体調変化や気分変動があるように、気圧が下がると体調が乱れ、片頭痛や関節痛、耳鳴りなどの症状が悪化する「気象病」はご存じでしょうか。季節の変わり目と同じように自律神経のバランスの乱れが関係するそうです。
気圧の低下によって悪化する症状の多くは、自律神経のバランスの乱れが関わっています。春先や秋口などの季節の変わり目や、梅雨時の低気圧接近による気圧の低下で、以下のような症状が悪化することがあると考えられています。
①片頭痛:片頭痛のはっきりとした原因は不明ですが、血管の拡張によって痛みが生じることが知られています。過労や環境の変化などによるストレスとともに、気温や気圧の急激な変化も、痛みの引き金となります。②関節痛:気圧が下がり、相対的に体内の圧力が上がることで、関節まわりの炎症部分が圧迫されます。また、気圧の低下による血流の増加で、自律神経の痛みに対する過敏性が高まると考えられています。③めまい:気圧の低下により相対的に耳の内部の圧力が高まることで、耳の内部にある器官(蝸牛や三半規管)から内リンパ液という液体が漏れだすことで、回転性めまい(ぐるぐると回っているような感覚になるタイプのめまい)が悪化します。④耳鳴り:気圧の低下により、相対的に耳の内部の圧力が高まることで起きます。エレベーターで高層階に行くときに耳鳴りが起きるのと、同じ仕組みです。⑤過敏性腸症候群(IBS):主にストレスによって胃腸の調子が悪くなる状態で、便秘型・下痢型・混合型に分類されます。低気圧が日本に近づく春先や秋口になると、自律神経のバランスが乱れ、症状が起きやすくなります。⑥精神関連:自律神経失調症、パニック障害、うつ病、統合失調症、不安障害などの精神疾患は、自律神経のバランスの乱れを招く気圧の低下によって、悪化しやすいと言われています。尚、昔は喘息も低気圧と関係すると言われてきましたが、最近の研究によると気圧変化か心理変化かどちらかはっきりとは言えないそうです。
それぞれの症状の悪化は、気象状況の影響かどうかに関わらず、医療機関を受診して、適切な治療を行うことが何よりも大切です。治療に加えて、日頃から予防するには、自律神経のバランスを整えるトレーニングも有効です。
●ウォーキングなど適度な運動を行い全身の血行を改善する。●栄養(繊維質タンパク質)がとれる食事と、規則正しい時間に食事をして代謝を整える。●シャワーではなくぬるい湯船にゆっくりつかって汗をかきリラクゼーションする。●就寝する2時間前以降はインターネットやゲームを禁止して快眠を得て生活リズムを整える。●小集団でのレクリエーションや軽作業など計画的に軽いストレスに慣れる。
要するに、自律神経系に働きかける、運動や食や温度管理や、過剰な視覚ストレスを避けつつ日常的に調節できる範囲で仕事や勉学の負荷をかけることです。放デイにできることは、雨の隙間を縫ってみんなで体を動かすことだという事です。
子どもの呼称
福祉の関係者の中には、「~ちゃん」「~くん」と呼ぶことを、人権侵害または人権侵害への傾きがあるとする見解を持つ人がいます。呼称は、そのように単純な問題ではありません。こういう指摘に対して、現場の支援者が納得できない気持ちは理解できますが、ちゃん付けが正しいわけでもありません。
呼称の問題を単純化する悪弊は、自治体職員や福祉支援者に地域住民・利用者を「お客様」と呼ばせることや、学校教育における児童生徒の男女差別を解消するための手立てとして、男女すべてを「~さん」に統一して呼ぶとするなどがあります。「お客様」は消費者主権主義にもとづくビジネスモデルにおける呼称ですから、ビジネスモデルに包摂されない地域住民やサービス利用者は、行政の主権者ではありますが金銭とサービスを交換する「お客様」とは違います。敬意をもって丁寧に接することと、お客様扱いは意味が違います。学校における「~さん」への呼称の統一というのは、差別事案を具体的にとらえて克服していこうとするのではなく、呼称の統一によって「性区別なく公平に扱っていますよ」、「君付けは上から目線だから使いません」というのは、アリバイ工作程度にしか感じないのです。だからと言って、これが全部間違いだというのも逆のステレオタイプのような気がします。もう少し呼称や敬称の問題の本質をつかんだ上で、プロとしての流儀を明確にしたいと思うからここで取り上げてみたのです。
福祉的支援における呼称の問題は、サービスの種類で区別して考える必要があります。一つは施設入所支援やグループホームのように親密圏を構成する支援サービスの中で、支援者と利用者が取り結ぶ関係性にふさわしい呼称の場合です。もう一つは、就労継続支援や就労移行支援に代表されるような、公共圏において支援するか、「公共圏に向けて」支援する時空間において支援者と利用者が取り結ぶ関係性にふさわしい呼称です。だから、この場合は呼び捨てにしたり「~ちゃん」はあり得ません。
親密圏における呼称は、関係当事者の同意に従ったいかなる呼称も、公序良俗に反しない限り、人権侵害には該当しません。ただ、支援者の優位性をテコに利用者を「子ども扱い」して呼び捨てにしたり「~ちゃん」と呼称するのは論外です。しかし、この問題の本質は呼称にあるのではなく「子ども扱い」することに人権侵害の根幹があるのです。関係者の相互了解さえあれば多様な呼称が容認されてもいいのかもしれません。ただ、利用者が施設やグループホームから地域社会のさまざまな活動(就労、買い物、外出、友人との仲間活動等)に参加する場面で呼び捨てや「~ちゃん」を使用し続けることは、人権侵害につながる問題をはらんでいます。地域社会における一般市民の受けとめ方の中に障害のある人に対する「子ども扱い」や特別視を助長しかねないからです。
「~ちゃん」の呼称が、いつの間にか人権侵害につながる恐れがあるという指摘は、呼称の問題が本質なのではありません。親密圏そのものがはらむ「割り切れないリスク」に問題の本質があります。親密圏における「暮らしの中の人権侵害」の問題には立ち入らず、呼称という表面的な問題で片づけているとも言えます。障害のある人が親密圏と公共圏のそれぞれにおいて、難しさを感じることなく、もっとも活き活きと周囲の人たちとの関係をゆたかに取り結べるための呼称を、ケース・バイ・ケースで考えるべきかもしれません。ただ、言霊文化を重んじる日本では、声に発した言葉が、相手にも自分にも良くも悪くも影響を与えると言われてきました。敬語や呼称敬称によってその関係性を持続させるという考え方は行動科学としては理にかなっており、あながち否定できるものでもありません。
そこで、児童サービスの場合も同じ課題が浮かび上がります。支援者が子どもを名前呼びにしたり、ちゃんづけしたりするのは良くあります。特別支援の必要な子どもの場合は日常茶飯といっていいかもしれません。しかし、ここにも親密圏と公共圏、もしくは公共圏に向けた支援かどうかということが問われます。中学高校生の利用者に「~ちゃん」と呼びかけた声を、同じ場所で小学生が聞いているという状況に、あまりにも鈍感ではなかったかと思うのです。子どもへの支援者の言動は子どもの言動に乗移っていきます。家族以外からいくつになっても「~ちゃん」と呼びかけられている子どもに、公共圏での自尊感情は担保されるのでしょうか。また支援者自身がそのことを意識できるのでしょうか。さん付け君付けだけで、子どもに敬意を払うことができるわけではありません。そのことを深く理解していること、それがプロとしての流儀と言えるのかもしれません。
その6:虐待防止
行動障害の原因や支援方法を理解をしていないと虐待の可能性が高くなります。今回は虐待防止について考えてみます。
2012年から始まった障害者虐待防止法の最後に「養護者に対する支援等に関する施策を促進」と書かれています。また、「養護者に対する支援」という部分では、家族など養護者の虐待について触れています。家族は、もちろん愛情をもって育てていますが、介護している人の中には大きなストレスを抱えていたり、相談できる人が周りにおらず追い込まれた状態にある人がいます。これらが原因であることが多いので、虐待までに発展しないように、家族などの養護者を支援していく事が必要としています。
また、虐待が起こってしまった場合には、なるべく早く小さいうちに見つけて、虐待がエスカレートする前に被害を防いでいくことが重要です。そこで、法律の中でも早期発見・早期対応ということが重視されています。
虐待の類型は養護者・職員・使用者と分けて書かれています。
〔養護者による虐待の5つの類型〕
①身体的虐待:障害者の身体に外傷が生じ、若しくは生じるおそれのある暴行を加え、または正当な理由なく障害者の身体を拘束すること。②性的虐待:障害者にわいせつな行為をすることまたは障害者をしてわいせつな行為をさせること。③心理的虐待:障害者に対する著しい暴言または著しく拒絶的な対応その他の障害者に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。④放棄・放置:障害者を衰弱させるような著しい減食または長時間の放置、養護者以外の同居人による①から③までに掲げる行為と同様の行為の放置等養護を著しく怠ること。⑤経済的虐待:養護者または障害者の親族が当該障害者の財産を不当に処分すること。その他当該障害者から不当に財産上の利益を得ること。
〔施設・事業所(職員)における虐待の5つの類型〕
①身体的虐待②性的虐待⑤経済的虐待は養護者と同じです。③心理的虐待では、「~不当な差別的な言動」が加筆されます。④放棄・放置では、「他の利用者による①から③までに掲げる行為と同様の行為の放置その他の障害者を養護すべき職務上の義務を著しく怠ること。」が加わります。
〔使用者による虐待の5つの類型〕
①身体的虐待②性的虐待⑤経済的虐待は養護者と同じで、③心理的虐待は、職員と同じです。④放棄・放任では、「養護者以外の同居人」や「他の利用者による」となっていたところが、「~ほかの労働者による」とし、同僚・上司・部下などからの身体的、性的、心理的な虐待が起こっていることを容認したり見過ごすことが書かれています。この使用者による虐待については、障害児童も高齢の障害のある人もこの虐待防止法が適用されることになっています。
〔事業所での身体拘束・行動制限について〕
本人を落ち着かせるためにとか、周りへの影響を考えてなどの理由で本人の行動を抑制することが、本人にとってはマイナスになってしまう可能性があることや、倫理的な部分で問題になってくることがあります。障害特性などをしっかりと理解し、できる限り支援方法の共有化やマニュアル化などによって行動障害が起こってしまう前に、適切に支援することが大事です。身体拘束については、切迫性、非代替性、一時性の3要件すべてを満たすことが必要です。ただ、身体プロンプト(スキル獲得のための身体誘導で、徐々に消去していく行動支援)と身体拘束は全く違うものですから支援の専門家は行動支援の手法について良く学習をすることが必要です。
「問題行動」に対処するために、身体的虐待に該当するような行動制限を繰り返していると、本人の自尊心は傷つき、抑えつける職員や抑えつけられた場面に対して恐怖や不安を強く感じるようになります。人や場面に対しての誤った学習を繰り返した結果、さらに強い「問題行動」につながり、さらに強い行動制限を行うという悪循環に陥ります。行動障害に対する知識と支援技術を学び、支援をマニュアル化することなどによって職員全体で共有し、行動制限の廃止に向けて取り組むことが施設・事業所での障害者虐待を防止することにつながると共に、支援の質の向上にもつながります。
その5:丁寧にひとつずつ
私たちは表出言語を教えられた経験はありません。自然に覚えたからです。行動障害を起こしていたりその可能性のある方に表出のコミュニケーションを教えるにも自分の経験がないのです。人は自分の経験にないことを習得するにはそれなりの時間がかかります。スポーツの経験のある方や習い事をされた方ならわかると思います。さらに、人に教えられるようになるには普通にできる人より深く広く熟知する時間が必要です。
サイン言語の研修会やPECSの研修会に行って少し職場でやってみたけど子どもがうまく反応してくれなかったり成果が出なかったりして、周囲からもなんとなく疎まれている感じがしてあきらめてしまう支援者は少なくないと思います。成功している方は、家庭でも現場でも長く粘り強く取り組んでいる方です。人の発達を考えても、自発のコミュニケーションの基礎が完成するまでに10か月から18か月かかるのです。焦りは禁物です。あの手この手の工夫も必要です。
子どもが自発の表出コミュニケーションの扉を開けると驚くような速さで表出コミュニケーションを吸収していくのも事実です。言葉の獲得まで進む方もいます。言葉があったけれどもうまく使えなかった人も適切に会話ができるようになる人もいます。
この道のりを試行錯誤で切り拓いたのは100年前のヘレンケラーとサリバン先生。今日、表出コミュニケーション支援が最も体系化されエビデンス(科学的根拠)が確認されている方法は、PECS以外に私たちは知りません。ただPECSも細部にわたって万能ではないし人はみな個性があり違います。一番大事なことはその人が好きなことをたくさん知っていることです。先にも述べたように私たちは表出のコミュニケーションを「教えられた」経験はありません。だから私たちも表出のコミュニケーションの学習者です。行動障害を予防し強度行動障害を軽減するコミュニケーション支援は、子どもたちに並走しながら地道に学んで伝えて、一歩一歩進むことが大事だと思うのです。
その4:表出のコミュニケーション
前回の二つのコミュニケーションで重要なのは表出のコミュニケーションだと述べました。ただ、表出のコミュニケーションと言えども誰にでも伝わるものでなければ役に立ちません。また、自発的に使えないと肝心な時に役に立ちません。
言葉での表出は、発声機能に問題がないこと、言語処理機能に問題がないこと、聴覚的短期記憶や長期記憶に問題がないことが前提です。身振りはどうでしょう?身振りはそのサインを模倣できる力や相手にもそのサインが何をさすかがわかる必要があります。絵や写真はどうでしょう?相手にものを渡せる機能と、絵が現物を表現する方法だと分かればだれでも使えますし、誰でも伝わります。つまり、意思伝達に絵カード表現は最短距離で到達できるということです。
二つ目に大事なことは、表出コミュニケーションの自発性を獲得していることです。私たちは用もなく話しかけることはほとんどありません。必ず目的があります。ところが、行動障害の方は、相手に自分から情報を与えて目的をかなえる、「自発的」な表出コミュニケーションが困難な方がほとんどなのです。
また、日常相手が黙っていると「どうしたの?」と私たちは声を掛けます。「どうしたの?」は、「何か欲しいの?」「どこか痛いの?」「何か気分が悪いの?」「何か困っているの?」「何か助けがいるの?」等の意味です。自発的な表出に困難がある人は、「どうしたの」が聞かれなければ何も表出(言えない・身振りできない・カードが示せない)人が多いのです。中には何か言ってほしそうにじっと相手の顔を見つめる人もいます。これが「指示待ち」です。つまり「どうしたの?」や「~してね」を待っているのです。
相手が自分に話しかけたり相手が自分にはたらきかけたりして、初めて伝えるもの、初めて行動を起こすものという理解をしている方が大変多いのです。この状況を想像してみてください。自分の要求を叶えるために相手が自分に話しかけてくれるのを四六時中ずっと相手の様子を見守り待つのです。万が一、話しかけてくれたにしても表出スキルが低くかったり相手の理解力が低かったりして上手く伝えられなかったらまた待つのです。実力行使する行動障害の人たちの気持ちが分かります。
適切な意思伝達は自分から起こすものだということを理解してもらうには、適切なコミュケーションスキルで意思伝達ができ要求が叶ったという経験を蓄積するしか方法がありません。日常場面では、スキルを教えるよりこの自発性を教える方がはるかに難しいと感じています。それはある程度のコミュニケーションの成功体験の回数が必要だからです。その人にもよりますが、1日100回を超えなくては文字通り話にならないと思います。つまりその人が便利だと気がつくまで生活のあらゆる場面で経験が蓄積される必要があります。
その3:二つのコミュニケーション
行動障害の予防には原因を正確につかむことが必要です。この図は障害による二つのコミュニケーションの障害が行動障害の直接原因だとしています。そして環境要因としてのモノ・ヒト・コトが掛け合わされて長い年月をかけて積みあがり行動障害が形成されます。
さて二つのコミュニケーションと書きましたが、このブログをお読みの方はもうお分かりだと思います。
そうです。理解コミュニケーションと表出コミュニケーションの二つです。最近は、理解コミュニケーションは構造化支援や視覚化でずいぶん取り入れられるようにはなってきました。昔は絵カードなんて社会では使えないからと平気で言う方がおられましたが、さすがに影を潜めました。障害のない人でも記憶が定かでなかったり、すべてを知っているわけではないので書いてあるものを頼りにするのだから、聴覚入力や記憶がさらに弱い人なら視覚支援は当たり前だということがやっと広まってきたからです。
例えば以下の経験のない人がいるでしょうか。みんな物事を理解するために、忘れないために視覚支援という情報に大半頼っているのです。(1)カレンダーに予定を書き込んで、忘れないようにしていいる人。(2)《すべきこと》のリストを作って、机や冷蔵庫に貼っている人。(3)何がほしいかを伝えるときに、広告やメニューの写真を指さしたことがある人。(4)買い物に出かける前に、買い物リストを作る人。(5)「列に並んで下さい」、「入口・出口」などの標識を見たことがある人。(6)料理本のレシピを見ながら、食事を作ったことがあり、その料理を作る度に、そのレシピを繰り返す人。(7)家族への伝言を、メモに書いておく人。(8)レストランで注文を決めるとき、メニューに目を通す人。(9)子どもが歯磨きを忘れないように、チェックリストを作った人。(10)やるべきことを思い出すために、付箋紙に書いて鏡や玄関ドアに貼ったことがある人。(11)《イラスト入り組み立て説明書》を見ながら、買ってきた家具などを組み立てたことがある人。(12) 電車やバスに乗るときに、時刻表や接近情報を見る人。(13) 車を運転するときに、様々な道路標識や交通信号を見る人。(14) 新幹線や映画館で指定席に座るとき、座席の番号を切符を見て確認する人。(15) スーパーなどで買い物するとき、値札を見て買うかどうか考える人。あげだすときりがありません。理解コミュニケーションに障害があれば、もっと丁寧に支援するのは当たり前だと思います。
二つ目のコミュニケーションは最も大事なコミュニケーションです。表出のコミュニケーションです。どんなに周りのことや大人の言うことが理解できても、何も伝えることができないとすればあなたならどんな気持になると思いますか?それが毎日毎日です。永遠にその感じが続くとすればどうでしょうか?周囲のことが少々理解できなくても、自分から伝えることができれば大体のことは解決できると思いませんか?
明日は表出のコミュニケーション障害と行動障害について考えてみます。
その2:行動障害に有効な支援
上の図は、行動障害の人の支援を説明するのに定番で使われている資料です。有効な支援ベスト3は、1構造化支援・2コミュニケーション支援・3薬物療法です。やっかいなのは4番のキーパーソン(信頼できる人)ですが、大変曖昧な表現です。信頼できる人とはあくまで本人が決めるのです。信頼できる人とは、上位二つの支援を当たり前のように自然に支援してくれる人は必ず含まれているはずです。見通しのある環境を準備し、本人の伝えられる方法で言いたいことを聞いて周囲と折り合いをつけてくれる人がキーパーソンの条件だと思います。この二つのサポートを抜きにして、自分は信頼されているという支援者がいればそれは根拠のない妄想でしかないと思います。
しかも8割以上の有効票を得た上位2つと比べれば5割ですから、有効半分無効半分です。良いキーパーソンに当たるか当たらないかは裏表の賭けと同じ結果とも言えます。この結果からどうすれば行動障害が予防できるのかは明確です。そして行動障害の原因は何か次回に考えていきます。
強度行動障害
強度行動障害とは、自分の体を叩いたり食べられないものを口に入れる、危険につながる飛び出しなど本人の健康を損ねる行動、他人を叩いたり物を壊す、大泣きが何時間も続くなど周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態のことを言います。
この定義に加えて、「家庭で通常の育て方をし、かなりの養育努力があっても著しい困難が持続している状態」という但し書きも付されています。つまり、精神医学的な診断(例:精神遅滞、自閉症、統合失調症)とは別に、さまざまな養育上の努力はしていても、行動面の問題が継続している状態に対して付けられる呼称が「強度行動障害」であるということです。
下に厚労省が示した障害支援区分に基づく行動援護の判定基準表があります。合計10点以上が行動援護の対象となる要件の1つとなります。
行動援護の対象が強度行動障害というわけではありませんが、強度行動障害と普通の行動障害に質的な境界線はないといった方が正しいと思います。強度と表現しているのは支援側の理由からです。自傷や他害、飛出や奇声は、またはその前駆症状と認められるような指示待ち等は、その程度に関わらず必ず同じ原因があります。少々の行動障害だから見過ごすというのは、困っている姿を見過ごすのと同じだと思うのです。
下記リンクの「強度行動障害支援者養成研修【基礎研修】」のテキストは支援者用に国立のぞみ園が作成したものです。今回は、このテキストに沿いながら、何故行動障害になるのかどんな支援が行動障害の予防につながるのか、連続シリーズで考えたいと思います。
http://www.nozomi.go.jp/investigation/pdf/report/04/05.pdf
みんなの学校
「大阪市立大空小学校。大阪市住吉区にある公立小学校。2012年度の児童数・約220人のうち、特別支援の対象となる数は30人を超えていたが(通常学級数6・特別支援学級7)、すべての子供たちが同じ教室で学ぶ。教職員は通常のルールに沿って加配されているが、地域の住民や学生のボランティアだけでなく、保護者らの支援も積極的に受け入れた「地域に開かれた学校」として、多くの大人たちで見守れる体制を作っている。学校の理念は「すべての子供の学習権を保障する学校をつくる」であり、不登校はゼロ。唯一のルールとして“自分がされていやなことは人にしない 言わない”という「たったひとつの約束」があり、子供たちはこの約束を破ると“やり直す”ために、やり直しの部屋(校長室)へとやってくる。テレビ版「みんなの学校」の放送後には全国各地から、支援を必要とする子どもたちが数多く、校区内へと引っ越している。」
これは映画「みんなの学校」ホームページの掲載文です。この放送を見たとき、大阪出身の人は昔こんなクラスに自分もいたと思い出す人は少なくないかもしれましません。差別をしない教育として大阪のあちこちでこの風景はみられました。でもこの映画の感じとは全然違うと感じた人は多いと思います。差別禁止という考え方が先に立ち、子どもや先生たちの言葉がきれいごとで本音じゃない感じがあったのです。この映画を見た多くの人が感動をします。こんな学校であってほしい、こんな校長先生であってほしい、こんな職員であってほしい、こんな子どもたちであってほしいと思うのです。それは本音で子どもも木村校長も話すからでしょう。きれいごとを言わずに、現実は現実として受け止めながら人としての在り方を観ている人に考えさせるからかもしれません。正しい答えはないけど、正しい答えを探す努力を惜しまないところに感動するのかもしれません。まだ観たことがない方は上映会スケジュールが出ていますのでご覧になってはどうでしょう。
発達段階とあそび
前回は、習い事型放課後等デイサービスのことを掲載しましたが、今回は年齢別のニーズを考えてみます。小学校の低学年は体験型で、遊びながら考えていく段階ですが、高学年になると思考型で、計画してから遊びをデザインするように変わっていきます。集中時間も格段に伸びてきます。同じことを半日ぶっ通しでも平気になってきます。中学生はさらに価値観を計画に取り込みながら「いけてる」「ださい」と判断して遊びをデザインしていきます。これはもう趣味といってもいいレベルです。
このように、年齢によって遊び方は変わっていきます。これは別に、年齢別でないと遊べないというのではなく、各年齢のニーズを満たす内容が遊びに必要だという事です。例えば構成(役割)遊びや製作(ものづくり)遊びなどは、それぞれのニーズを満たす内容が準備されています。
しかし、遊びきるとなると、それぞれのニーズを満たしていく段階別に用意された遊びがやはり必要です。となると、放デイのありかたも年齢別に内容が変わってくるはずです。年齢が増すにつれて、専門的な事、普段はできないことを子どもは求めるようになっていきますし、このニーズにこたえることができない放デイは子どもの心が離れていきます。放デイの内容をデザインすることは子どもの発達のニーズに合わせていくことといえるのかもしれません。
ただ、対人サービスである限り子どもの信頼を得るのは内容だけではなく内容に導くスタッフの人格であるのはどんなところでも変わりはありません。
場面緘黙
場面緘黙(かんもく)とは、家庭なら話せるが学校のような「特定の状況」では声を出して話すことができないことをいいます。「家ではおしゃべりで、家族とのコミュニケーションは全く問題ないのに、家族以外や学校で全く話せないことが続く」状態です。この症状のために、本来持っている様々な能力を、人前で十分に発揮することができにくくなります。人見知りや恥ずかしがりとの違いは、「そこで話せない症状が何か月、何年と長く続くこと」です。人によって症状(話せない場面・程度)にはかなり差があります。
場面緘黙は、育ての方の問題ではなく、「不安症や恐怖症の一種」と考えられるようになってきました。「自分が話すことに怖れを感じる」人として支援を行なうのが主流となっています。発症原因は、『不安になりやすい気質』などの生物学的要因があり、そこに複合的な要因が影響していると考えられています。脳が新しい刺激に敏感に反応する「行動抑制的な気質」を元々もつというケイガン(Kagan 1989米)の仮説が有力です。不安が高まりやすく、行動が慎重となるため、環境に慣れるのに時間がかかります。10~15%の子どもがこの気質を持ち“その傾向は生涯続く”といいます。
入園や入学、転居や転校時などの環境の変化により、不安が高まって発症することが多いようです。クラスでの先生からの叱責やいじめがきっかけとなることもあります。一旦話せないことが続くと、「自分が話し出すとみんながなんていうだろう」など、注目されるような気がして強いプレッシャーを感じます。話さないでいる方が不安レベルが下がるため、この症状が定着するのではないかと考えられています。
場面緘黙を「家庭環境のせい」と考えるのは誤解です。過去の研究では「虐待」や「トラウマ」に関連付けられてきましたが、ほとんどの子どもには関係ないことがわかりました。学校の先生は「親の過保護のせい」と考えがちですが、子どもが人前で話せなければ親が心配そうにするのは当たり前ですし、親も不安になりやすい繊細な気質をもつ場合が多いので理解が必要です。親も周囲から「過保護」「心配し過ぎ」と言われて傷つき孤立しがちです。子どもの一番の理解者になれるのは親と先生です。親と先生が協力しあうことで、子どもへの必要な支援が始められます。
「必要な支援」を行ったうえで「子どもの成長の伸びしろへの手出し(過保護)」を控えることが大切です。症状改善や二次的問題予防には、親や先生、友だちなど、周りの人たちの「場面緘黙への理解」が大きく影響します。場面緘黙は、お医者さんや学校の先生から「大人になったら自然と治る」と言われることが多いですが、場面緘黙には、早期発見と対応が大切です。場面緘黙の子どもは、おとなしい子どもが多く、園や学校で先生が困るような目立つ問題行動がないため、支援を受けにくく、見過ごされがちです。自然に改善したように見える事例でも、事後検証すると、偶然、環境が治療的な設定になっており、本人の努力で治癒したケースも多いようです。支援を受けずに成長すると、症状改善が遅れるだけでなく、うつや他の不安症状、不登校や人間不信などの二次的な問題が生じやすくなります。
場面緘黙の子どもは、自分でも自分がなぜ話せなくなるのかわかりません。それなのに、人から「なぜ話さないのか?」と問われます。周囲の理解やサポートがない幼稚園や学校生活は、緊張の連続です。腹痛や頭痛などの身体への影響、誤解や理不尽な扱いに、悲しみ、無力感、自責感、孤立感、自分への怒りが生じます。先生のサポートがなければ、いじめを受けるリスクも高くなります。話せないことから、社交スキルやコミュニケーション力の練習機会も狭まります。そのため、うつや他の不安症状、不登校や人間不信などの二次的な問題が生じやすくなります。
場面緘黙は、「専門家だけで治せる症状」ではありません。家庭と学校が協力して、まず「安心できる環境」を調整することが最も大切です。研究では、不安が低い場面からスモールステップでチャレンジを進め、活動参加、動作、発話ができる場面を増やしていく行動療法的アプローチが最も効果的とされています。この方法は、「自転車の練習」と似ています。自転車に乗るのを避けていては、自転車はうまくなりません。逆に、いきなりロードレースに参加しても怖い思いをするだけです。補助輪をつけたり、人に支えてもらったりしながら、少しずつ怖くなくなるようにします。米国では、極微量のSSRI(抗うつ薬)で不安をさげて、このようなスモールステップと組み合わせる方法がもっとも有効と言われています。
大事なことは、話さないことを責めないことや、不安が高すぎる場面で発話を強要しないことです。答えが返ってこなくても、あたたかく話しかけてあげてください。返事は返せなくても、とてもうれしいと感じているはずです。筆談が出来る場合は、書くコミュニケーションを促しましょう。よく考えてみれば、私たちも緊張して声が詰まったり、頭が真っ白になることがあります。そんな時に何を言われても落ち着くまでは状況は改善しないことも思い出すはずです。その傾向が強いか弱いかの違いです。だとすれば、どの子にも傾向濃淡の度合いは違うがそういうことがあるはずです。つまり、発達障害の特性の濃淡の傾向と同じだという事です。
ディー君
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20190625000325.html
(ひと)ディー君 タイでAIプログラミングの一日塾を始めた日本人少年
2019年6月25日05時00分 朝日新聞デジタル より
まだあどけなさが残る少年は、人工知能(AI)に話題が及ぶと目つきが変わる。「AIは怖いものではなく身近なもの」
バンコクで4月に始まった、AIを使うためのプログラミングを教える一日塾で、70代の高齢者も相手に手ほどきする「塾長」だ。
こだわりが強く、集団生活になじめない発達障害の自閉症スペクトラムと診断された。5年前、環境を変えようと家族で日本から移住。AIの活動では本名を使わず、自ら愛称「ディー」で通す。タイ語で「良い」という意味だ。
9歳のとき、父親を事故で亡くした。働き始めた母親の帰りを待つ退屈しのぎに、自宅マンションの共用パソコンで遊ぶようになった。我流で操作を覚え、画面が突然シャットダウンするイタズラができるまでに上達した。叱る住民はいなかった。「おおらかな環境が息子には合っているんだと思います」と母(55)は感謝する。
パソコン好きが高じ、2017年に、孫正義氏が設立した育英財団の奨学生に選ばれた。AI開発会社グリッドからもネットを通じて東京から技術支援を受け、プログラミングの課題に取り組む。
「10年以内に、世界の家庭でAIプログラミングをする時代が来る」と予言、自らの将来をこう描く。「塾の経験を生かし、タイのスラムの人々にAIの技術を出前したい」。その表情は大人びて見えた。
(文・写真 大津智義)
大陸文化は個人主義が基本。多様な文化を持ち合う人たちが共生するには大事な流儀とも言えます。日本の独特の同調圧力の中で暮らすのが苦手な特性の人には、大陸文化の中で自由にできることで才能を開花する人も少なくないようです。
教育支援委員会
この時期は特別支援学校の学校説明会やら各自治体の教育支援委員会が主催する就学相談会が始まっています。自分の子どもはどんな教育環境が適しているのだろうとお悩みの保護者の方もおられるかもしれません。そもそもこの教育支援委員会は昔「適正就学指導員会」といういかにも上から目線みたいな名前がついていました。「適正」とは誰が決め、誰が誰に何の権限があって「指導」するのでしょう。やがてこの名前は時代と共に就学支援委員会という名前になり、最近は教育支援委員会という名前に衣替えしています。
前年度の半年ほどの期間で学校や学級を決める話をするのでは相談にも支援にもならないというのが名前変更の理由みたいです。もっと前から相談利用者と相談担当者が子どもを真ん中に置いてどういう教育をすればいいのかというやり取りを続け、その経過として学校選択や学級選択があり、義務教育が終了するまで相談員や関係者が伴走するような理想的なイメージで文科省のHPには説明されています。ただ、この相談に係るのは教育委員会の担当者と就学前施設の園長だったり学校の校長や関係職員の兼務が殆どです。就学だけでなく特支級入級や特支校への転学や中学校のことまで扱うので(本当は特支級から通常級への戻りも検討することになっています)、その相談数は長岡京市や向日市クラスの自治体でも半端ではない数です。文科省の言うとおりに長期間に何度も相談をするとなれば他の業務が滞ると関係者は言います。
虐待問題で児童相談所の職員数が少なすぎるという事を以前掲載しましたが、相談者の人手不足は特別支援も同じです。相談と名はついていますが、相談担当者と保護者の意見が違う時には説得担当者になってしまうと言う声も聞かれます。相談担当者にすれば人的配置の権限は行政にありますから来年度の職員体制を想像しながらの相談になるので立場は複雑です。また、相談から決定に至る期間が短いようにも思います。本当に相談してよかったと利用者に思われるにはまずは相談担当者にも時間的余裕が必要です。そして、利用者である保護者が結論を保留しているときでも、教育の在籍場所で教育内容が決まるのではなく、どこにいても可能な限り必要な教育サービス(例えば専門的支援の人員)が行われる財政的な裏付けが必要です。
では相談利用者である保護者はどうすればいいでしょう。一昔前よりははるかにましになったとはいえ、まだまだ特別支援に関する理解もその財政的な規模も先進諸国と比べれば不十分ですし、居住する場所によって地域格差もあります。居住地域の教育サービス情報を親の会などから仕入れ、まずは信頼のできる診断の専門家と支援の専門家を助言者にして子どもの特性や支援についての正しい知識を得ていくことが大事ではないかと思います。放デイは学校の行き先の相談はできませんが、子どもの特性のことやその支援についてなら助言はできます。ご希望の方があればスタッフまでご連絡ください。