「ほかの子には内緒だよ」年上の先生のチョコの思い出 佐藤仙務
2021年2月11日 10時00分【朝日新聞デジタル】
もうすぐバレンタイン。私には、忘れられない思い出がある。
小学6年生のころ、気になる人がいた。「クラスの女の子?」と聞かれそうだが、そうではない。学校のある先生がとても気になっていた。
その先生は当時、20代半ば。まだ12歳だった私の一回り近く年上だったが、廊下ですれ違うと、必ず声をかけてくれる優しい人柄にひかれた。
バレンタインが近づくと
ふだんの私は、クラスメートや先生たちから「おしゃべり好きのひさむくん」と言われていたが、その先生が話しかけてくれるときは決まって口数が減った。
2月になり、バレンタインが近づくにつれ、先生からどうしてもチョコレートがもらいたくなった。すると、学校でそわそわしている私を見て、別の先生が声をかけてくれた。その女性の先生は、私が気になっている先生と同い年ぐらいで姉御肌な性格なこともあり、私はよく悩みを相談していた。友だちに話せないことも、その先生には話すことができた。
私が「あの先生からチョコがほしい」と打ち明けると、その先生は「なんだ。そんなことか。じゃあ自分からチョコがほしいって言えばいいじゃないの」と言った。
私はアドバイスをもらっておきながら、「先生、わかってないね。自分からチョコがほしいって言うのはだめなんだよ」と小生意気に返した。
すると、その先生がくすっと笑い、「きみも男としてのプライドがあるんだね」とちゃかし、こう続けた。「好きって言わないと、その思いは相手のなかでは存在しないの」
私がクラスメートに相談せず、その先生に相談していた理由はこの快活さにあった。クラスメートに相談しても、きっと「大人は子どもなんて相手にしないよ」などという答えが返ってくると思ったからだ。
背中を押してもらった私は意を決し、気になる先生に「バレンタインに先生のチョコがほしいです」と言った。たまたま給食の時間で一緒になったときだった。ドギマギする私を見た先生はひと呼吸おいて、「うん、いいよ。でも、ほかの子には内緒にしてね」と言ってくれた。
チョコにも先生の優しさが
約束通り、先生はバレンタインデーにチョコを手渡してくれた。包みを開けると、ディズニーの棒付きのチョコが入っていた。
当時はまだ、私は手を動かすことができた。棒がついていれば、自分の力で食べることができるのではないかと先生は考えてくれたのだった。チョコはもちろん、先生のその優しさや気づかいが本当にうれしかった。
もったいなくて食べるかどうか、数日悩んだ。
相談に乗ってくれた先生に報告すると、「よかったね。ホワイトデーでお返しをしないとね」と自分のことのように喜んでくれた。だが、少し元気のない声で「でも卒業したら、あんまり会えなくなるね」とも言った。
そのとき、私は初めて気付いた。卒業したら、気になる先生とも相談に乗ってくれた先生ともあまり会えなくなるのだ、と。小中高一貫の養護学校とはいえ、教室の階は違うし、先生たちが転勤する可能性もある。
私は少し考え、相談に乗ってくれた先生にこう言った。「ぼく、卒業する前に手紙書く。思いはきちんと言葉にしないと、相手には伝わらないんでしょ?」
先生はにやりと笑った。
「じゃあ、ひさむくんが話した言葉を先生が手紙に書いてあげる」
そういうと先生は、かわいい便箋(びんせん)を用意してくれた。ペンで字を書くことが難しい私の代筆をしてくれたのだ。ペンを走らせ、私の思いを文字として紡いでくれた。
ホワイトデー当日。私はバレンタインのお返しと一緒に、用意した手紙を気になる先生に渡すことができた。後日もらった先生からの手紙の返事は「好きって言ってくれてうれしいけど、ごめんね」というものだった。
正直落ち込んだし、気持ちを伝えないほうがよかったのかなとも考えた。でも、相談に乗ってくれた先生が言うように「好きって言わないと、その思いは相手のなかでは存在しないの」という言葉を信じた行動だった。
今、当時気になっていた先生は結婚され、子育てに奮闘されていると聞いた。ただ、数年前、母校の文化祭で会ったときに思いがけない言葉をかけてくれた。
「今でも、ひさむの手紙を取ってあるの」
私はなんだか恥ずかしくなった。「何年前の話ですか。もう勘弁してくださいよ」と大人ぶりながら返したが、心の中でこう思った。「やっぱり、伝えておいてよかったかな」
佐藤仙務(さとう・ひさむ)
1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます ―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。
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佐藤さんの「障害は個性」とは思わないとというエッセー(「障害は個性」、それ本当? 2020/09/10)についてコメントを載せました。彼の下で働く障害者のスタッフに「障害は個性だと思うか?」と尋ねたところ、「障害は障害です」と悲壮感なく答えたという話です。そして、何か壁にぶち当たったときに「障がい者だから仕方ない」ということは決して言わないと言います。障害は個性だという言葉で自分を美化しなくても、彼らは障がい者以前に、自分自身の役割と価値を信じ、懸命に生きているからだという主張でした。
今回は、そんな佐藤さんの思春期直前の思い出です。まだ、手が動くだろうからと棒付きのチョコをお店で買う大好きな先生の姿を、佐藤さんは何度も思い描いたに違いありません。背中を押してくれた先生も粋です。「好きって言わないと、その思いは相手のなかでは存在しないの」と恋の指南をして、ラブレターの口頭筆記を引き受けた先生はどんな思いで彼の横でペンを走らせたのでしょう。なんだかぽかぽかと温かいものがこみ上げてきます。障害は障害でしかないけど、障害があるから恋ができないわけじゃないと、佐藤さんはバレンタインデーのあの日に、失恋したホワイトデーのあの日に二人の先生から学んだのかもしれません。