みんなちがってみんないい
ハンディある人の夢かなえたい 日本科学未来館館長・浅川智恵子さん
ともに・共生社会めざして
ハンディある人の夢かなえたい 日本科学未来館館長・浅川智恵子さん
2021/12/28【毎日新聞】
日本科学未来館(東京都江東区)の館長、浅川智恵子さん(63)=IBMフェロー=は全盲の研究者だ。今春に就任し、未来館を「アクセシブル(利用しやすい)なミュージアム」として世界のロールモデル(模範)にすることを目標にする。障害者などマイノリティー(少数者)の生活に科学技術がどう貢献するのか。ダイバーシティー(多様性)との関連について、浅川さんに聞いた。【聞き手・明珍美紀】
――日本科学未来館は、新館長のもと、2030年に向けたビジョンに「あなたとともに『未来』をつくるプラットフォーム」を掲げました。
◆一方的に科学技術を享受するだけではなく、利用する方それぞれが、テクノロジーの進歩によって実現される新しい生活を想像し、社会実装に向けた活動に関わっていく。そんな思いが込められています。
――利用者自ら、実用化のために参加するのですね。
◆どんなに素晴らしい技術が発明されても利用されなければ、価値が失われてしまいます。私自身、長い間、視覚障害を中心に、アクセシビリティーの分野で研究開発に従事してきました。研究者という立場だけでなく社会実装を促進するために未来館の館長を引き受けようと決意しました。
――障害者にとって科学技術とは?
◆できなかったことを可能にするツール(道具)です。視覚障害を例に取ると、音声合成という科学技術がなければ、本を読む時は点字か録音されたものを聴く、あるいは人に読んでもらうことになります。実際にそういう時代が長く続いていました。それが、インターネットの普及でコミュニケーションの手段が変わりました。パソコンの画面の情報を音声で読み上げるソフトが開発され、目が見えなくてもキーボードを操作して文章を書き、メールで送ることができます。
また、携帯電話で写真を撮れるようになった時、それまでは周囲の人に聞くしかできませんでしたが、周りの風景を撮影して友人に送り、自分がいる場所を教えてもらうことができるようになりました。これからは、センサーを駆使することで、街を一人で歩くことが可能になるかもしれない。その一歩手前まで技術が進んできました。
――ご自身が開発中の「AIスーツケース」はその一つですね。
◆これは、視覚障害者の移動を補助するスーツケース型のロボットで、スマートフォンの専用アプリケーションを使って、目的地や途中経路を音声で案内します。ロボットにはセンサーが付いていて、危ない場所を回避したり、周囲の人と適切な距離を保って移動したりする機能を備え、未来館でも実装する準備を進めています。
年齢や国籍、障害の有無にかかわらず、まずは未来館が誰でも楽しめるアクセシブルなミュージアムとなり、展示を見に来た来館者が交流し、議論するような場にしたいと思っています。
多様性支える科学技術
――かつては日本では、女性の研究者は少なかったのではありませんか。
◆私がプログラミングの専門学校を経て日本IBMで学生研究員として研究を始めた1980年代半ばは、女性の研究者はごくわずかでした。仕事と生活の調和を図る「ワーク・ライフ・バランス」や女性の視点はほとんどなく、女性の管理職も少ない。そうした環境で、点字のデジタル化などの開発に取り組んでいたところ、当時にすれば(会社側も)大変な決断だったと思いますが、正式な研究員として採用されました。
入社後、米国IBMに出張する機会が多くありました。米国で驚いたのは、管理職に女性がいるのは当たり前だったこと。同僚には、さまざまな障害者やLGBTQなど性的少数者がいたので、視覚障害者の私が仕事に加わることを当然のように受け入れてくれました。ダイバーシティーに関しては日本よりはるかに先を行っているという印象を受けました。
――未来館は、国立研究開発法人の科学技術振興機構が運営しています。今回は、国が関わる施設のトップに女性が就いたことでも話題を呼びました。
◆女性であるというよりは、目の見えない自分が館長を引き受けることの方が大変ですし、新たなチャレンジです。見えない分を補うためには、周囲とのコミュニケーションを図り、多くの人々から意見を聞く。これらは同時に、これからの研究に役に立つことです。
――どのような未来を求めますか。
◆国連がSDGs(持続可能な開発目標)に掲げる「誰一人取り残さない」という理念のように、誰もが社会の一員として、自分らしく生きる権利を保障されることです。
私は目が見えないことは、自分の個性だと受け止めています。世の中にはいろいろな人がいて、そうした多様性によって社会が成り立っていることを理解してもらいたい。
科学技術は、ハンディキャップのある人の自立生活に役立つだけでなく、さまざまな困難を抱えた人の夢を実現できるツールになる可能性があります。その意味で、科学技術とダイバーシティーは密接なつながりがあるのです。
■人物略歴
浅川智恵子(あさかわ・ちえこ)さん
1958年大阪府生まれ。プールでの事故がもとで14歳の時に視力を失う。追手門学院大、専門学校を経て85年日本IBM入社。92年日本語デジタル点字システムを開発。97年視覚障害者向けにウェブページを読み上げる「ホームページ・リーダー」を開発し、世界の視覚障害者の情報アクセス向上に寄与。2004年東京大大学院修了、博士号(工学)取得。09年IBMの最高技術職であるIBMフェローに就任。14年米国赴任。19年全米発明家殿堂入り。21年4月に日本科学未来館の初代館長だった宇宙飛行士、毛利衛さんに続く2代目館長に就任。
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我が国は古から海外の文化を吸収して、日本風にアレンジしてその文化を我が国のものとして長く後世に伝えると言う文化スタイルをとり続けてきました。遣隋使や遣唐使は今から1500年も前に当時の中国へ派遣されました。隋や唐の先進技術や優れた社会制度を求めて、西暦600年頃から894年のおよそ300年間、計23回に渡り日本から遣わされたのです。帰ってきた彼らは、大和政権で古来の八百万神に仏教を同居させた「神仏」を文化とし、農耕・土木・加工技術をはじめとする当時の我が国にとってのハイテクを発展させたのです。
先日終了した大河ドラマ『青天を衝け』の渋沢らが駆け抜けた時代もまた、わが国独自の社会体制に西洋の民主化の流れを輸入して和製立憲君主制と言う独自の政治スタイルを作り上げました。他国の侵略を防衛するために海外技術を取り入れ生産力を高め、国防に多くの国家予算をつぎ込んで、アジアで唯一植民地化を免れて主権を守り抜きました。明治維新を前後する我が国の歴史に多くの人が共感を寄せるのは、古いものを変えていくために必要なものを吸収しアレンジして独自のものにして新しいパワーにしていく姿を分かりやすく表現しているからだと思います。
1980年代の日本のデジタルテクノロジーは国内でWindowsと競り合っていたトロンOSが開発され、日本が世界に先駆けてネットワーク化したマルチプラットホームOSの花開かせるはずの時代でした。残念ながら国防力の弱い我が国は米国との同盟関係強化と引き換えに、米国経済覇権の政治圧力に負けてしまいます。しかし、そんな時代にも米国に渡って多様性社会の洗礼を受け障害者のためのAIプログラミングを学んでいた若き研究者がいました。先進国に渡り多様性を活かす社会制度とそれを支える最先端技術を学んだ浅川館長をはじめとする現代の遣唐使が子どもたちに伝えてくれるものは、我が国の古からの伝統であり未来の可能性だと思います。