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みんなちがってみんないい

米津玄師

米津玄師作詞作曲のパプリカは2018年にリリースされてから、老いも若きも幼児までこの歌を口ずさんでいます。Foorin team Eの「Paprika」はこの1月22日にリリースされます。世界中にこの歌は広がっていく兆しです。この大ヒットは、NHKのプロデュース力にもありますが、やはり楽曲がずば抜けて素晴らしいからだと思います。

スーパーヒットを飛ばし続ける米津玄師さん。彼は自分が自閉症であることをカミングアウトしています。米津玄師さんが自身が高機能自閉症(HFASD)だと知ったのは20歳のときでした。自分が高機能自閉症だとわかってから、かえって気持ちが楽になったそうです。人と違う自分に、何か常に感じる違和感の原因にとても腑に落ちたと言います。同時に鬱病も抱えていたこともあり、そのときの感覚を以下のように語っています。「時間のながれるスピードが死ぬほど早くなって、気がついたら半袖じゃ暮らせない気候になってたり、近所のスーパーに行く決心をしてから帰ってくるまで1時間くらいかかったり、1日20時間くらい寝てたり。」と言います。

また、彼は、父親とほとんど会話することがなかったそうです。感覚としては、親戚のおじさんとか、そこまで近くない知り合い程度だったそうです。彼は絵が好きだった母親の影響で、自分も絵をかくようになったのだ、と語っていました。しかし、そんなお母さんとも、あるきっかけで会話をほとんどかわすことがなくなったそうです。そのきっかけというのは、母と姉が小競り合いするようになって、違和感を感じて孤独な感覚に陥って無口になってしまったと言います。高機能自閉症の影響で、家族にも違和感を感じて、バリアーを張ったのかもしれません。彼の場合、自閉症がわかったのが20歳のときということですから、周りの両親や家族も、本人の辛さを理解できないことや、育てにくさを感じていたのかもしれないし、彼と同じような傾向を持っていたのかもしれません。巷では「親子の断絶」という表現もありますが、私たちが想像している「断絶感」とは違うのかもしれません。現在は年末に実家の徳島に帰って過ごすなど、両親との関係は改善しているといいます。

米津玄師さんの名前は、「よねづ けんし」と読みます。一見芸名のようですが本名です。1991年生まれ徳島出身。小学5年生の時、Web上で流行っていたFLASHアニメーションを視聴したことからDTM(デスクトップミュージック=PCでの曲作り)に興味を持ったそうです。中学3年の時、MTR(マルチトラックレコーダー)を使用してオリジナル曲を制作したそうです。MTRの一人で1パートづつ録音して音楽が作れるところにはまったと言います。高校では「ハチ」というアカウント名で30曲ほどのオリジナル曲をニコニコ動画に投稿していました。高校卒業後は大阪の美術専門学校に通学する傍ら、バンド活動を行っていましたが、自身が個人主義的な人間の為、人とものを作ることができなかったとバンド活動が低調だった旨を語っています。

彼は、メディアに出ない為、なかなかその姿を目にしないかもしれません。時々、テレビ番組でインタビューされることはあっても、ミュージックステーションのような音楽番組で楽曲を披露することは控えているようです。彼自身、インタビューの中で、メディアに出ることが苦手で、出来る事なら出ない方がいいと言っています。彼のキャラクターには合っているように感じます。